9/26 わざわざ知らせない

 『自分がされていやなことは人にしてはいけない』というのはよく聞くけれど、『自分がされてうれしいことはどんどん人にしなさい』とは、聞かないことはないけれど、いやなことバージョンほどは聞かないな、なんてことを思いついた。

 人のおめでたい話や転機の話は、聞いてうれしい気持ちになるし「おめでとう!」やら「がんばれ!」って思うし、あなたの明るい話をわたしに教えてくれてありがとう、それをわたしに話そうと思ってくれて実際に伝えてくれたことがうれしい、と思う。

 逆に、わたしはそういう自分のおめでたい(?)話や転機の話を、それを伝えるためだけに人に連絡をしたことって、ほとんどないかもしれない。直接会ってごはん食べたりお茶したりしながら近況報告の流れになって、やっと「そういえばわたしさ、」みたいな流れで言うことが多い。もしくは、仕事つながり(だった)の人たちと繋がってからというもの、滅多に投稿しなくなったし、投稿するとしても文章がおかためになってしまっているFacebookで、『ご報告』的な、当たり差し障りのない周知文みたいな文章で距離感の近さ遠さ関係なく一斉にお知らせすることになるパターンもある。(そもそも、そんなに人に大々的にお知らせしないといけないような変化や転機なんて、数年に一度あるかないかくらいしかないけれども)

 今日、友達とLINEでやりとりをしている最中に、仕事の話になって、「あら、働きはじめたのね」みたいな話になり、そういえば伝えてなかった、ということに気がついた。直接会ったのは去年の秋の終わりくらいで、そこからちょこちょこ連絡は取っているものの、別に話題にのぼらなかったし、わざわざ話題として持ち出すようなことでもないかと思っていた。自分的には、結構(気持ちの)距離が近い友達。「そういえばそうなのよ。春先から在宅でマイペースに……」みたいな報告をしたら喜んでくれた。もっと早くに伝えてもよかったな、と、うれしさとちょっとの罪悪感をあわせて感じた。

 自分情報をどこまで伝えるか。事の大きさと相手と自分との距離感。そんなことを考えて。それでも、わたしはあまりにも言わなさすぎるのかもしれない、と思った。ただ、そんなことをいちいち伝えてどうする、と思う自分もいる。それなのに、相手が自分に教えてくれなかったら、それはそれでさびしく思う気がするなー、なんて。

 アラフォーにもなって、いまだに人との距離感のとり方・掴み方が上手にできずにいる。でも、なんだかもうずっと上手にできないままでそれなりにやっていくしかない、という(いい意味での)あきらめもでてきた。やっとこさ。

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