見出し画像

[テキスト編集版] Tokyo TRANSLATION MATTERS AT19:00 戯曲翻訳(の話)をしよう 2nd session 「‘ガラス’じゃない、‘欲望’じゃない、テネシー・ウィリアムズ」

出演■常田景子(翻訳『やけたトタン屋根の上の猫』)
   広田 敦郎(翻訳『地獄のオルフェウス』『西洋能 男が死ぬ日』など)
司会進行■髙田曜子
会場■すみだパーク SASAYA CAFÉ

TRANSLATION MATTERS
https://translation-matters.or.jp/index.html

§1 なぜ(古典を)新訳するのか


 §1-1 “やけ猫” を新訳した常田さんの場合
 §1-2 演出家と協働する
 §1-3 「意気込み系」広田さんの場合
 §1-4 ステレオタイプへのチャレンジ
 §1-5 『やけ猫』の長いト書き
 §1-6 創志さんとのセッション1

§2 『花散里の君』をめぐって


 §2-1 そもそも源氏物語の「花散里」って?
 §2-2 本邦初訳までのあれこれ
 §2-3 『源氏物語』全訳者アーサー・ウェイリー
 §2-4 『花散里の君』のストーリー
 §2-5 テネシー・ワールドの始まり
 §2-7 「これ、日本じゃない」はやめよう
 §2-8 創志さんとのセッション2
 §2-9 会の終わりに


◎こちらは、2021年11月13日に実施されたトークイベントの編集記事です
◎『花散里の君』リーディング台本は含んでいません

(テーマ作家)
テネシー・ウィリアムズ/Tennessee Williams

米国人 劇作家
(1911年3月11日−1983年2月25日) アメリカ合衆国ミシシッピ州コロンバスに生まれる。本名トマス・レイニア・ウィリアムズ(Thomas Lanier Williams)。牧師である(母方の)祖 父、音楽教師の祖母、靴のセールスマンだった父、音楽家の母、2 歳違いの姉ローズ、弟、優しい黑人の乳母らと祖父の牧師館で育つ。8歳のとき、父親の仕事の都合でミズーリ州セントルイスに移住。静かな南部の街から工業都市のアパート暮らしへ。『欲望という名の電車』 『ガラスの動物園』などの登場人物は自叙伝的であるとされる。『欲望という名の電車』 (1948)と『やけたトタン屋根の上の猫』(1955)でピューリツァー賞受賞。1956年、三島由紀夫との出会いから『男が死ぬ日』(The Day on Which a Man Dies)を執筆。三島の「近代能楽集」に倣って「西洋能」(An Occidental Noh Play)という副題がつけられた。1959年から 1970年までに三度の来日。1983年、NYのホテル・エリゼにて没す。

(左から)髙田曜子氏 常田景子氏 広田敦郎氏


木内)19:00になりましたので始めます。今夜の主催の木内です。

TRANSLATION MATTERSという集まりは、戯曲翻訳者が、文学者としてではなく、演劇を作る表現者のひとりとして、さまざまな企画を発信してゆこうという意気込みで設立しました。「戯曲翻訳(の話)をしよう」はその一つです。

先月の1回目のセッションでは、英国の劇作家サイモン・スティーヴンスをテーマに戯曲翻訳の話をしました。サイモンさんからの映像メッセージにあったとおり、「翻訳とはどんな表現行為か」という話になったと思います。

翻訳者は一人ひとり、考え方も方法も異なりますが、今夜は二人の翻訳者が、それぞれ訳したテネシー・ウィリアムズ作品を題材に話をしてくれます。前半は常田さんをメインスピーカーに、後半は広田さんによる新訳リーディングを中心に展開します。それらを通じて、新たに(古典を)翻訳する意味を探っていけたらと思っています。

(出演各氏の紹介、略)

§1 なぜ(古典を)新訳するのか


髙田)私も今回このテーマでセッションをすることになってから、大先輩である常田さん、広田さん、木内さんとお話させていただいてー
『ガラスの動物園』や『欲望という名の電車』は日本でもすごく知られていて上演されているけれども、テネシー・ウィリアムズの作品には、ある種の固定観念というか、ステレオタイプがあることにあらためて気づきました。
それは、なにか、こう、すごく美しくて儚くて、詩的でというイメージがあると思うんですがー
この会の準備でお話を聞く中で、実はテネシー・ウィリアムズには、前衛的で実験的で生命力を大事にしてるとか、すごく多面性のある作家であるということを勉強させていただきました。ですので、今日は皆さんと同じ目線でお二人のお話を聞けたらと思っております。

そういったテネシー・ウィリアムズの多面性にも触れていきつつ、その一方で、よく知られた作品の新たな翻訳を作って上演することの意味であるとか、それがどういった作業になるのかをお話していただこうと思っております。

前半はまず、それはもうたくさんの翻訳作品がある常田さんから、新訳で上演することの意味とか、すでに翻訳がある作品をなぜ新訳をするのか、うかがっていこうと思います。

常田さんは、テネシー・ウィリアムズの作品では、2010年上演の『やけたトタン屋根の上の猫』の翻訳をされていますー

常田)というか、まあ、実は、そんな意気込みのようなものはなかったんです。新国立劇場の公演で、当時は宮田慶子さんが芸術監督で、文学座の松本祐子さんが演出だったんですが、翻訳をどうするかとお二人で話し合った結果、私に「翻訳しますか」という話が来たわけです。松本さんとは以前にも一緒に仕事をしていましたので、松本さんがテネシーをやるんだったら訳させてもらいたいなと思って引き受けました。そのとき私は初めてテネシー・ウィリアムズを訳したんですけれどもー

§1-1 “やけ猫” を新訳した常田さんの場合


常田)広田さんも髙田さんも同じだと思うんですが、私は翻訳家なんだけれども、上演台本製作が主な仕事なんですよね。どういうことかというと、演出家と一緒に台本を作っていくという作業があるんです。最初は自分が思ったように訳すわけです。けれども、それが演出家の上演プランや上演方針とかそういうものによって、あるいは言葉の使い方も翻訳者によって違うので、そういった話し合いを2回3回とやって上演台本にしていくということです。

髙田)既存の翻訳がある中で新訳する場合、例えば今回はこういうプロダクションにしたいというようなお話はあったんですか?

常田)それはなくてー
翻訳家の言葉は三人三様、四人四様の中で、それまで一緒に仕事をした演出家から、私にというお話だったのでー
最初に翻訳を始めた頃、既存の翻訳があるものも訳してるんですが、絶対違うものを出さなきゃいけない!みたいな強迫観念のようなものがあって、既存の翻訳は絶対見ない、偶々同じになっちゃったら仕方ないけれど、既存のものを見ちゃってから同じ訳を出すのは嫌だったんですね。だから既存の訳は見なかったんだけれども、そのあとはもうそんなに頑なにならなくてもと思って。既存の訳があるときはプロデューサーの方が用意してくださったものをときどき見て、なるほどねと思ったり、そういうような形で利用させてもらうようになったんですね。『やけたトタン屋の上の猫』を訳した頃はもうそうなっていましたから、既存の翻訳もありましたけれども、さあ新訳だあっていう意気込みも緊張感もありませんでした。

新訳で緊張したことと言えばー
私、『奇跡の人』※の翻訳をやってまして、昔は額田やえ子さんの訳で、市原悦子さんや大竹しのぶさんがサリバン役を演じてきた舞台ですが、あるとき私のところに回って来たんだけど、額田やえ子さんの翻訳はやっぱりある意味で傑作なんで、もしもクオリティが落ちちゃったらえらい責任だと思って、そのときはやっぱり緊張はありました。

※『奇跡の人』ウィリアム・ギブソンによる有名舞台。アニー・サリバンとヘレン・ケラーの交流を描く。日本では1964年額田やえ子訳で初演。今日まで上演され続けている。漫画『ガラスの仮面』によって知る人も多い。

常田)『やけたトタン屋根の上の猫』の頃には、新訳を出すぞっていう意気込みがなかったのは、松本さんがどういうふうにテネシーを演出するんだろうなっていう興味と、ある種共同作業をしている感じがあったからかもしれませんね。

髙田)常田さんのお仕事のされかたは、結構お稽古場に入って行かれるんですか?


§1-2 演出家と協働する


常田)はい、そうですね。読み合わせをやっているときは聞いて、やっぱり俳優がセリフを発して気がつくことがあるんで、ああこれじゃダメじゃんって。

ちなみに、松本さんも結構気が強いところがあって、私もそうなんで、最初の頃は本当にもうすごい喧嘩してましたね。一番初めの台本打ち合わせのときは、松本さんが「常田さんの家に行ってもいいですか」って言ってウチに来たんですけど、ウチでやっておいてよかったよほんとにって感じだったですね。

客席)(笑)

髙田)それは喧嘩?―

常田)キーキー言い合ったり、二人ムスッとしたまま機嫌悪くなって、沈黙が続いたり。でも何度か仕事をするうちに、だんだんお互いにタチがわかってきて、こういうのは腑に落ちないんだなっていうようなことがわかって来ましたねー

髙田)冒頭で木内さんもおっしゃっていたけれども、私たちは研究者や文学者とは違って、現場の人間として、演出家の方と共同でやっていく作業っていうことですよね?

常田)そうですね、そういうふうに考えてます。「いいです、来ないでください」っていう方もいらっしゃるかもしれないけど、今まではそういう方はいらっしゃらないので、言いたいこと言わせてもらって喧嘩しながらやってますけど。いつも喧嘩してるとは限らないけどね。

§1-3 「意気込み系」広田さんの場合


髙田)広田さんも既存訳があって新訳を、上演のための翻訳をされることがあると思うんですが、プロセスとか意気込みはどんな感じですか?

広田)ぼくが演劇の仕事をするようになった90年代の頃の衝動を考えるとー
tptというカンパニーで翻訳を始めたんですが、そこはベニサンピットという劇場を拠点に、外国人演出家を招いて近代古典を中心とした上演活動をしていたんです。ぼくはそれまでの演劇がすごく不満だったんですよね。当時ある演劇が嫌で、もっと変化が必要だという衝動がつねにあって、tptでは古典の翻訳が中心だったので、ある意味、意気込み系なんですよね。なんで今までこんな芝居ばっかりなんだ!って現状を変えたいと思ってました。

ここから先は

13,432字 / 9画像

¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?