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温もりは冷めてしまうものだけど


はじめまして。ハヤカワトモヒロと申します。

「若者支援」という、わかりやすそうで、一言で言い表すには少し難しいことを仕事としています。

若者たちと過ごす日々では、想像だにしないことが起こります。一般企業に勤めるサラリーマンとしてのルートを進んでいたら、出会えなかった感情にも触れることもしばしば。
瓦解していく「普通」と、それでも譲ることの出来ない自分の中の「正しさ」の摩擦に葛藤しながら日々感じることを、できる限りリアルな言葉で綴ろうと思って、この記事を書いています。

現在3年目。まだまだ駆け足の身。若者支援を充分に語れるほどの立場にいると胸を張って言えるほどの自信はありませんし、ここに書いていることもあくまで僕の視点から見た一側面、一意見に過ぎません。
それでも若者支援についてはまだまだ社会的に認知が不足しているので、誰かが声を上げる必要があります。
僕の書いたこのnoteをきっかけに、少しでも若者支援について関心を寄せてくれる人が増えれば幸いです。

若者支援って何だろうか

とはいえ、若者支援と一口に言われても具体的に何をしているのかイメージしづらいですよね。僕も実際に働き始めるまでは知りませんでした。
障がい者支援にもその障がいの内容や程度によって様々な支援があるように、若者支援にも様々な形があります。

その中でも僕らがしている若者支援は端的に言えば若年層の困窮者支援ということになるのですが、ホームレス支援などから連想されるような困窮者支援とは違う毛色をしています。かと言って、子どもを中心に実施されている学習支援や余暇活動の支援とも違います。(それぞれと近しい要素もあります)

若者支援という響きだけ聞くと、「若者の政治参加」や「キャリア教育」などをイメージする方もいるかも知れません。
確かにこれらも大切な若者支援のひとつですが、僕らの関わる若者たちはそのずっと手前にいます。
親からの暴力やネグレクトなどの要因によって家にいられず、親や身近な大人を頼ることができずに充分な体験や愛情を得ることなく育った彼らの心は傷つき、仕事はおろか生きることへの意欲を失っていることも多くあります。

「親が機嫌を損ねると殴られるので、常に親の顔色を窺っている」
「親がお酒を飲むと暴れだし、木刀で殴られる」
「進路や就職につまずいた途端、親と関係が悪くなった」

核家族化等の影響で地域社会が希薄化している現代において、親がどうあるかによって、安心できる生育環境を得られるか否かが大きく左右されてしまう。残酷なことですがこれが現実です。

近年、「トー横キッズ」や「闇バイト」など、若者に関するニュースがメディアによって取り上げられることが増えてきました。多くの人が決して良い印象を持っていないのではないでしょうか。
これらの背景には、親を頼ることができずに孤立している、支援が必要な若者たちの存在があるのです。

「子ども」ではなく「若者」というのも重要なポイントの一つです。
僕の所属する団体では、支援対象をおおよそ15歳から25歳程度としていて、利用している若者の大半は18歳以上です。
18歳。そう、関わっている若者たちの多くは法律の上では大人なのです。

「若いのだから、大人なのだから働けば良いじゃないか」

そういう声が上がることも理解できますが、そんなに単純な話ではないのです。若いのに、もう大人なのに、働けていない事実がそこにあります。

そこに想像力を働かせて、彼らが社会に参画できるようサポートしていくのが僕らの役割です。
より具体的に説明するのであれば、安心できる「住まい」や「居場所」などの環境を用意し、遊びも学びも含んだ多様な体験や人との関わりの中で意欲の回復・獲得を促し、「仕事」の経験を通じて自信を育む機会を提供することで、若者の主体的な社会参画を後押しするのが、僕らの取り組みです。

ただ、若者たちが意欲を回復・獲得するのは決して容易なことではありません。支援機関に繋がったからなんとかなる、という話ではないのです。
落ち着ける場所だけあればいいという話でもありません。その場所を真に居場所とできるかどうかは、若者たちがどう感じるかに左右されてしまいます。加えて、場所だけあって出口がなければ、多くの場合若者たちはそこに滞留してしまいます。安心の先の意欲や自信を育むことのできる仕組みが不可欠です。

長ければ10数年、抑圧や孤独の中で生きてきた彼らが、ひとときの安息を得ても、数ヶ月で意欲を回復して社会に出られるほど、現実は甘くないのです。(色々なことがうまく作用して早期に自立していく若者もいないわけではありません)

幸いにも大学を出るまで特に家庭に大きな課題を抱えることなく育ち、多少の躓きはあれどなんとか自立して生きているはずの僕でも、何か新しいことを始めたりするとそれに慣れるまでにそれなりの時間がかかります。
ですが、「それなりの時間」で済んでいるのは、これまでに積んできた経験で育まれた自己有効感や粘り強さ、似た経験から類推して取り組む能力があればこそです。

生育過程において大きく体験を欠いてきた若者たちにとって、安全な環境に慣れることも、体験を積むことも、失敗した時に立ち直ることも、これまでにない経験の場合、普通(とされている)人たちの何倍も時間がかかります。

支援が必要な若者がいること、そして若者が意欲を取り戻すには長い時間が必要だということを知っていただくことが、まずは大切なのかなと思います。

居場所づくり

そんな若者支援の中で、僕が主に担当しているのは若者たちの「居場所」に関するサポートです。
具体的には日中や夜間に若者が訪れて自由に過ごすことのできる空間の運営・管理を中心としつつ、地域の中で若者が居場所感を得られるように、協力してくれる街の方と一緒に若者に様々な体験の機会を提供しています。

近年、居場所に対する世の中の関心は高まっており、支援の文脈やサードプレイスとしての居場所の文脈など様々な角度から議論がなされているように思います。
居場所は実に多様で捉えどころのない概念でもあるので、居場所に対しての僕の考えなどはまた別の機会に書こうと思います。

若者たちと居場所で過ごす時間は発見の連続です。「普通」に暮らしていたら交わるはずのなかった人生が交差するこの場所は僕の中にあった常識のようなものを崩してくれました。仕事を始める前後で、人の人生に対する想像力は大きく変化したように思います。
もっと多くの人の常識に風穴を開けるにはどうしたらよいか考える毎日です。

「若者たちにどうなって欲しいですか?」

この仕事をしていると、そんなことを聞かれる機会が少なからずあります。
その度に考えます。僕は若者にどうなって欲しいと思っているんだろうか。

正直なところ、具体的にこうなってほしいというものはなかったりします。
生きていてくれればそれでいい。ただ、その「生きる」ということが、多少でも愉快なものであったらいいな、と思います。

知らない人間の前途など、祈る由もないけれど、出会ってしまった、知らない誰かではないのなら、できる限り幸せになってくれたら嬉しい。
でも、幸せの形はそれぞれです。
人には人の歓びが、その人だけの地獄があります。それを他人がどうこうするものではないという考えが、僕の根っこにはあって。だからこそ、「こうなって欲しい」という確たるものはありません。
わからないもの、わからないことだらけです。
確信なんて持てません。他人の人生に自信を持つことなんて烏滸がましいとさえ思います。

どうなるかは、本人が決めれば良いことです。

残酷な物言いに聞こえるかもしれないけれど、結局のところ選ぶのは当人以外にいません。どんなに素晴らしいアドバイスを送ろうと、どんなに警鐘を鳴らそうと、最終的な決断はその人にしか出来ない。
その責任まで一緒に背負うことは出来ないし、その選択に対する責任を背負って生きてほしいと思っています。
ただ、その決断に、不要な邪魔が入らなければ良いとも思います。歓びは十二分に、地獄には少し軽い気持ちで向き合えるような、心持ちや環境が備わってくれたらと願うばかりです。

選んだ道に対する責任を背負うことが、過度な自己責任論に回収されることがないことを祈りたい。責任なんてものは、負えるだけの分量を握りしめていればそれでいいのだから。
そのためにできることをするのが、僕の役割なのだと思います。

温もりは冷めてしまうものだけど

どんなに心の内を明かして、悲しみを分かち合っても、お菓子のように半分こできるわけじゃない。
同情も、共感もしてあげられる。それでも、その悲しみはその人だけのもの。どうやったって本当の意味で痛みは分かち合えません。

僕にできることといえば、せめてそれを吐き出せる環境を用意することくらい。他人として、違う角度から言葉を投げかけることくらいです。
吐き出すことで少しでも楽になればいいし、投げかけた言葉が少しでも思考を解せたらいい。でも、その先で人生を選び取っていくのは若者自身。
僕らには僕らのスタンスややり方があるので、合う、合わないはどうしたってあります。時に衝突だってするでしょう。
わずかな関わりで離れて行ってしまうことも、時には避けられないことなのかもしれません。人間として関わる以上、多かれ少なかれ摩擦は生じてしまうものです。
だから、どう影響を与えるかではなく、何を残せるかだと思います。

「美味しいご飯を食べた」
「少し気持ちを吐き出せた」
「優しくしてもらえた」

そのひとつひとつは、人の人生に大きく影響を与えるものではないのかもしれないけれど、事実は残ります。
ふとした時に思い出して、一呼吸おく心のすきまになってくれれば、たとえわずかな関わだったとしても意味はあったのかもしれません。

温もりは冷めてしまうものだけど、そこにあった事実は、思いは消えないのだから。

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