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会いたい人には、会いにいく

5月24日。愛媛県の内子町という所に来ている。

内子町は江戸時代後期から明治時代にかけて和紙や木蝋の生産で栄えた町で、八日市護国地区には当時の面影を残す町家や豪商の屋敷などが軒を連寝ている。
山々に囲まれ、ゆったりと静かな時間の流れるこの街は、今では今治に並んで愛媛の好きな地域のひとつだ。

目的地は町並み保存地区の入り口にあるゲストハウス。築170年の古民家を改装したのだそう。
昨年の7月に受講したワーケーション研修という自治体職員向けのプログラムに参加した際に視察先兼宿泊地として訪れて以来、何度か来ている。
前回来た時には街の人が集まって月下美人が開花する様子を見ながら楽しい宴の時間を過ごさせてもらった。

1年にひと晩だけ花を咲かせる月下美人
街の方が「今日咲くから」と持ってきた


今、ゲストハウスの共用部でこのnoteを書き始めている。
明後日には所属するNPOの5周年イベントを控え、なんなら明日にはその仕込みをしなければいけないにも関わらず、だ。200名分の軽食を作る予定。初めての規模にハラハラしている。
(この日のうちに投稿しようと思っていたけれど、何やかんやで書き切るのに少し時間を要してしまって、このタイミングでの投稿になってしまった。ちなみに、200名分の軽食は無事作りきった)

強行スケジュールで動いているのには一応理由がある。
昨年の5月から勤めていたスタッフさん(スタッフさん、と書くのもよそよそしすぎるので以下Mさん)が今月末で卒業して旅に出るという知らせを聞いたからだ。それに際して、この1年間の記憶をまとめた写真展をするのだそう。(古民家で写真展。なんだか聞いたことのある話だ)

何となく、会いに行きたいと思った。
これまでに合計で4泊と特段泊数が多いわけでもないし、普段から交流があるほど特別深く関わりがあるわけでもないけど、行った方がいいと心が囁いていた。

カレンダーと睨めっこすると、月末までで空いているのは今日だけだった。思い立ったが吉日、ということですぐさま宿と飛行機を予約した。この軽快さを飛び越えて何処かへ飛んでいってしまうようなフットワークを発揮したのは随分と久しぶりのように感じる。

朝4時半に起きて支度をし、5時15分のバスに乗る。8時20分のフライトに対して随分と早い、6時50分ごろに空港に着いた。朝ご飯を済ませ、1時間20分のフライト。読もうと思っていた本を膝の上に置いて爆睡した。読もうと意気込んだタイミングほど、読めないことが多いのは何故?

5時前



着陸の揺れで目が覚める。10月以来の愛媛。見知った風景に、少しだけ「戻ってきた」感覚があった。
松山で寄りたいところもあったけど、余裕がなく断念。

バスを乗り継いで内子へ。途中オンラインミーティングにも参加。(ちょっとだけ酔った)

川沿いを歩いて酔い覚まし



降車後チェックインまでしばらくあったので、南予サインというコワーキングスペースで少し作業をしていくことにした。ここも昨年の7月に訪れた場所。管理人さんは約1年ぶりに会う僕のことを覚えてくれていた。嬉しい。

この日は他に利用するお客さんがいなかったので、2時間ほど貸切状態で集中して作業ができた。最近、空間が体に与える影響が大きくなってきているのを感じているので、時々こうして普段とは違う場所で作業をするのは良いかもしれない。
こういう時に、ドロップインで入れるコワーキングは貴重だ。

17時前に、ゲストハウスに移動する。
屋内にはMさんがこの1年で撮ってきた写真たちが至る所に飾られていた。
壁に貼られたり、吊られていたり、机に置かれていたり。
共用部だけでなく、客室にも展示があり、彼女が関わった街のプロジェクトで作ったという広場の模型が布団の上に鎮座している様子には思わず笑ってしまった。

オーナーとも昨年9月以来の再会。どういうわけか金髪になっていた。曰く、23年ぶりに染めたのだそう。
映画館を借りたり、ゲストハウス以外の物件活用を考えたり、新たな取り組みがいくつか進んでいるようだった。何だかとても面白そうなので、もう少し頻度高く泊まりにきて色々話を聞いてみたい。

この日は鍼灸の学校に通いながらカメラマンもしているという若者(Tくんとする)、大阪に住みながら内子で茶畑を営む夫婦の常連さん、オーストラリアから来たバスドライバーの女性が宿泊していた。
ゲストハウスの醍醐味といえば、ゲスト同士の交流なのだけど、僕は初対面の人に自分から話しかけるのが本当に苦手なので、話のきっかけになればと思って、コンビーフのリエットのカナッペを作って差し入れしてみた。
Mさんのアシストもあり、みんなで丸テーブルに集まって会話をすることができた。

今回、Mさんの写真展のテーマが「人はなぜ旅をするのか」ということで、それぞれに自分にとって旅とは何かを付箋に書いた。
「視野を広げ、より良く生きること」「素の自分になれること」「ちょっと特別な散歩」など、個性豊かな回答が並ぶ。特にオーストラリアから来た女性の「迷子を楽しむこと」という答えが印象的だった。(旅行とは関係ないが、バスを運転しながら道に迷ったこともあるらしい。・・・大丈夫なんか、それ。笑)
迷っている状況でも、楽しめるのは確かに旅の良いところかもしれない。宛なく歩いてみるからこそ出会える素敵な想定外は確かにある。旅は寄り道するくらいがきっとちょうどいい。

ちなみに僕は「また会いたいと思える誰かに会えること」と書いた。今回の宿泊はまさにこれの答え合わせのようだった。Mさんにも、オーナーにも、また会いたいと思った人にまた会えた。

余談だけど、この日、2016年以来約7年半振りに英語を喋った。
もう、全然語彙がない。話せてたはずのことも記憶の彼方。やはり言語は継続こそが大事なのだと痛感した。
字幕なしでも7割くらいは理解できるくらいの感覚でいたけど、今や3割も理解できない気がする。
また、少し勉強し直してみようかなぁ。


閑話休題。
夜も更けてきた頃に、Mさんから展示の直したい部分があるので手伝って欲しいとの依頼を受けた。Tくんはチラシの作成を頼まれていた。
もちろん二つ返事でOKする。弾丸スケジュールで、あまりゆっくり写真展を楽しむこともできないので、こうして少しでも関わり代を持てることが嬉しかった。
今回展示している写真は和紙に印刷されているそうで、窓際の展示だと太陽光で和紙が透けてとても綺麗なのだそう。ただ、展示の際に四隅をテープで貼ってしまうと、テープの部分が影になってしまうので、糸を通して和紙にテープを付けることなく展示をしたいとのこと。お安い御用である。

黙々と作業をしながら、写真を1枚1枚、じっくりと見ることができた。
和紙の影響もあるのだろうけど、穏やかでどこかノスタルジックな風景たち。優しく流れる時間がそこに切り取られていた。
言葉で仔細を聞かずとも、彼女が内子で過ごした時間が豊かなものだったのが伝わってくる、良い写真たちだった。
完成した展示を直接見られないのが、少しだけ残念。
(後日、出来上がった展示を写真で送ってもらえたのだけど、陽の光に透ける和紙がとても柔らかな雰囲気を作り出していて凄く綺麗だった)


翌朝、10時ごろのフライトで帰京するために8時前にチェックアウト。
「いってらっしゃい」と見送ってくれたMさんに、「いってきます」と答えて宿を後にする。何だかまた会える気がしたので、「またね」と加えて。


今回、余裕のない旅程だったけど、会いに来てよかったと思った。
(ゲストハウスはゆっくり過ごすことで十二分に満喫できると思っている)
会うべくして会う人というのは、会いに行かなくても期が熟せば会えるものだけど、会いたい人が必ずしも会うべくして会える人とは限らない。
そうなった時、会いたい人には会いに行かないと会えない。至極当然な話だ。
またいつかを信じるのも良いけれど、そのいつかを待っているうちに、時間はあっという間に過ぎてしまう。時間の経過は状況を変えてしまうから、待っている内にそのいつかは手の届かないところまで遠のいてしまう可能性だってある。
だから、会いたいと思った時に会いに行く。会いたいと思った時を、会うべき時に自分の意思で変えていく。

最初の出会いというものは紛れもなく偶然だけど、その後を重ねていくのは紛れもなく意志だ。
そんなことを感じた1日だった。


また、会えると良いな。

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