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共助。あらためて出会い、つながり直す|未来のジャム VOL.8|開催レポート

もう春がはじまったのかな。今にも桜が咲きそうな日差しの2024年2月15日。高島市で未来のジャム VOL.8がひらかれました。木曜の夜にもかかわらず、JR新旭駅前から徒歩1分の「未ラボ」には、定員の40名を超える人が集まりました。

高島の未来づくりを考える「未来のジャム」には、高島市内だけでなく、滋賀県の各地、そして兵庫、大阪、京都、奈良。さらには東京からも。この夜のために日本各地から人が集まります。

今回のテーマは、「共助。あらためて出会い、つながり直す」。

ゲストは杉橋 研一さん(社会福祉法人ゆたか会 5代目理事長)と谷 仙一郎 さん(NPO法人元気な仲間 代表)。滋賀でもっとも高齢化率の高い高島の福祉をともに支える二人です。


杉橋研一さんに聞いた「支えあう今津の福祉」

51番目の人はどうするの?

口火を切ったのは、未来のジャムのゲストとしては最高齢の杉橋さん。高島最大の社会福祉法人として、4拠点で約270人余が働くゆたか会の5代目理事長です。

1971年の特別養護老人ホーム「清風荘」誕生と同時に、ゆたか会で働きはじめました。異業種を経て、福祉の下地が全くないなかで、この世界に飛び込んだ。

「最初は、『特別養護老人ホームの“特別”ってなんやろうな?』などと目を白黒させたのを覚えています」「介護保険制度が2000年にはじまる以前の高齢者福祉(措置制度)ということもあって。当時は、施設に入所した人に対応するのが入所施設の福祉的役割だと考えていたんです」

清風荘の定員は50人。すぐいっぱいになったそう。

「でも、入所待機名簿を見ると、地域には51番目の人がいました。どうするの?気になって、気になって仕方がありませんでした」

清風荘はのちに増築を重ね、定員は80人、90人と増えていく。地域サービスも少しずつ付与されていくけれど。

「51番目の人はどうするの?」という疑問が、杉橋さんの福祉の原点となった。

施設のなかの社会人

では、施設に入居できた50番目までの人は幸せだったのだろうか?

「施設に入れてよかったねえ、という感じが薄いんです。上げ膳据え膳の当時の福祉サービス丸抱えで、平均年齢はまだ73歳だというのに、施設入所者はどうも生きてる感じがしない。ある研修会で『施設に入った人は2度死ぬんだ』と聞きました。役割や関係を失って、まずは社会的に死ぬ。そして、体が死ぬ。2度亡くなるんです。仕事として、こんなんでいいんやろうか?」

「その後、身体障害者の施設に異動して、施設のなかでも社会人として生きていける。そういう部分をめざすようになったんですね。施設に入る人も、在宅で介護を必要とする人も分け隔てなく、地域の人とともに生きがいのある人生をつくりたい。これまでの福祉をつくり直していきたい」

今では28の事業に取り組んでいるゆたか会。それでもなお、国の制度だけでは埋められない制度と制度の“つなぎめ”があるという。滋賀県へ手を挙げ、2015年の秋に、身体障害者地域生活支援事業(=厚生省の障害者福祉計画に設定された新制度の一つ)としてほろんを立ち上げた。

現在ほろんでは、障がい者福祉や高齢者福祉のケアマネ、ホームヘルパー、そして就労支援に取り組む現場の職員が、いっしょに地域課題に取り組んでいる。

ここで、コーディネーターの今津新之助さん。

「理事長。ぼくも今日知ったんですが、ほろん会館は、全額ゆたか会の自費負担で立ち上げたんですよね。てっきり助成制度を活用しているんだと思っていました。どうしてですか?」

「建設の助成金があると、自分たちのできることに“ひも”がついてしまう。国の制度だけではどうにもならん。我々で自由にできるスペースをつくりたいと思ったんです」

杉橋さんにあらためて聞いてみる。福祉ってなんだろう?

「福祉が表舞台に出つつありますが、わたしたちにできるのは、高島で安心して暮らすための一助、縁の下の力持ちです。生活の困りごとのほんの一部。ほんの少しだけれど、わたしたちのやるべきことを見つけたい」

ここで会場からも質問がありました。

「都会と高島では福祉の印象が結構違っていて。都会では、事業者同士が“つぶしあい”をしている印象を持っていました。高島では“支えあい”をしている印象。なぜでしょう?」

問いを受けて杉橋さん。

「わたしたちの目的は『高島がよくなるように』なんです。取りあうと、よくなりませんよね。だから『この人の場合は、わたしが担当するよりも市内にある事業所さん、たとえば谷さんにつなごう』という発想が生まれやすいのではないでしょうか。ただしなれ合わないようには気をつけつつ」「地域福祉にかかわる人はみな、暮らしのなかで最も身近な仲間や地域の一員だと思われたいんじゃないかな」

谷 仙一郎さんに聞いた「引き受ける新旭の福祉」

たまたま、なんとなく

「この写真、なにかわかりますか?」

映し出されたスライドに写し出されたのは……花?

「5年に一度だけ咲く、こんにゃくの花なんです」

NPO法人元気な仲間の代表理事である谷さん。1935年創業の高島市・新旭町のこんにゃく屋「谷仙商店」の長男として生まれた。跡を継ぎ、こんにゃくをつくっていた谷さんが、どうして福祉の世界へ?

「たまたま、たまたまなんです。2000年のことでした。得意先のフードショップへこんにゃくを配達したら、おばちゃんが『ヘルパーの3級をとったんやで』と。ぼくはホームヘルパーを知らなかった。家政婦さんと勘違いしたんです」

「しばらくすると『ヘルパーの2級をとったんやで』と。で、頼みもせんのに『あんたも講習受けえ。わたしが代わりに申し込んであげるわ』と(笑)」

こんにゃく屋の自分がどうして家政婦に?縁のない資格ではあったけれど、商売の付き合いも地域の付き合いもある。『まあいいか』と講習を受けて、はじめてホームヘルパーの仕事を知った。

「地域課題を“自分ごと”としてなんとかしていける仕事なんや、と思ったんです。当時は、新旭町の高齢化率が20%を超えたころ。『自分の老後どうやっていくんやろう?』『助けあうことがあると、うまくいくんやないかな』とぼんやり考えはじめていたんです」

地域福祉とまちづくりに取り組む「NPO法人元気な仲間」を立ち上げたのは2003年のこと。

「民家を使ったデイサービスをつくったり、住民同士が支え合う『たすけあい高島』の仕組みをつくったり。ぜんぶ、『自分が進んで』より『なんとなく』でした」

やがて谷さんは大きな大きな「なんとなく」と出会うことに。それが「エスパ」の取得だった。

「エスパをうちが所有することになってしまいまして」

ショップからスマイルへ

エスパは、新旭駅前にある商業施設。10区画以上のショッピングセンターであり、商業を通じて新旭町駅前がにぎわうことを願って、1989年にオープンした。

けれど、エスパの協同組合は3軒まで減少。施設をどう閉じていこう、と考える段階にあった。そこへ、谷さん。

「エスパという名前は『駅西“ショップ”パーク』にちなんでいます。でも、もう商業ではにぎわいを取り戻せない時代。違う形で、これからのにぎわいをつくりたい。『駅西“スマイル”パーク』にしたいと思ったんです」

いろんな立場の人が集まることで、いろんな笑顔が生まれていったら。これから笑顔をつくるのは、福祉なのでは。福祉サービスの提供者と利用者だけでなく、このまちに暮らす一人ひとりが主役になっていけたら。“ショップ”から“スマイル”への切り替えには、そんな思いが込められている。

「でも、ほんとうはこっちに進むはずじゃなかったんです」と谷さんは続けます。

福祉をとりまく制度ができて、ひょんなことから関わりはじめて、その間にも駅前の風景がだんだんと変わっていって。その変化は、このまちに住んでいる人であれば誰もが知っていたし、思うところはあったとしても、なにかができるわけでもなかった。

でも、谷さんはどうして「こっち」に進んだのだろう。「エスパを再建したら物件価値が高まりテナント賃料も右肩上がり」みたいな話ではきっとないはず。もっと遡れば、こんにゃく屋を続けていく道だってあったはず。

明るい「えいや」と利他

「谷さんを『変わり者』と言ってはいけないんですよね」

ここで、マイクを手にとったのは、福島県いわき市から700kmの大移動を経て未来のジャムに駆けつけた小松 理虔(りけん)さん。

理虔さんにもまた暮らしがあって、今日は起きてから日課である愛犬の散歩をすませて、新幹線に飛び乗り滋賀へ。

「まちづくりって、自分の生きざまを語りがちで。でも谷さんを見ていると、あえて引き受けているんだなと。『利他的であろう』と大義名分を掲げるとか、これをやったからこういう見返りがあるだろう、みたいなことを描く前に、シンプルにやってみる。『やむにやまれぬ思いの勇足』みたいな感じですかね?」

それを聞いて、谷さんの口が開く。

「エスパの話がやってきたとき、全国に同じような取り組みはないかと、長野に視察に行ったんです。おかげでわかりました。誰かが『えいや』と動き出すところから、はじまるんです」

再び、理虔さん。

「駅前って、お金を持ってる“勝者”しか集まれない仕組みだったと思うんです。裏を返すと、排除される人たちがいた。駅前ににぎわいを取り戻したいけれど、それでいいのかよ、と。これまでと同じ勝者のにぎわいではなく、誰でもここにいていいんだよ、と。誰にもかひられてる場にする。排除されてきた人たちにもう一度ひらく。つまり、福祉で駅前ににぎわいを取り戻すことなんですね」

それは決して新しい話ではなくて、元々あった話なのだと理虔さんは続ける。

「このあいだ建築家のひとにこんな話を聞いたんです。集合住宅を建てるときに、一階の南向きの部屋は、じいちゃんばあちゃんの住まいにしていくと。」

駅西“スマイル”パーク エスパの取り組みはまだこれから。改修費用の一部にあてられたらと、日本財団の助成事業に申請するも不採用となった。けれど、駅前をなんとか盛り上げていきたいと谷さん。

この日の未来のジャムはここまで。21時にクローズを迎えてからも、未ラボでは話が続きました。

高島の未来づくりを考える「未来のジャム」には、高島市内だけでなく、滋賀県の各地、そして兵庫、大阪、京都、奈良。さらには東京からも。この夜のために日本各地から人が集まります。

それはどうしてだろう。

「共助」をテーマに高島の福祉を見つめると、たとえばメディアを眺めているだけでは伝わりにくい、ざらっとした手触りを感じられるように思う。その温もりを忘れないうちに、自分や、自分のまわり、そして住んでいるまちのことを考えてみると、きっと違う風景が見えてくるのだと思う。

ゆたか会の杉橋さんの「支えあう福祉」と、元気な仲間の谷さんの「引き受ける福祉」が見えてくる。それはきっと、長浜の話であり、草津の話であり、あるいは京都の、大阪の話なんだと思う。

未来のジャム、次回は3/14、16

3月はなんと、未来のジャムを2回開催します。生きものが冬ごもりからむくりと動き出し、春分の日を目前にひかえた、3/14と16の開催です。

滋賀県内はもちろんのこと、そして関西、あるいは日本各地からも足を運んでみませんか。

近場の方も、遠方の方も、都合がつけば両日来てみませんか。それは、楽しく暮らしていくためのレシピ集のような2日間かもしれません。



2024年3月14日(木)に、未来のジャムVOL.9「日常。あたりまえにある魅力を見つける」を開催します!

ゲストは川口瞬(しゅん)さん。神奈川県真鶴(まなづる)町から駆けつけてくれます。いっしょにいると頭の芯から冴えわたっていく、春の海のような人です。

▽ お申し込みはこちら ▽

2024年3月16日㈯に、未来のジャム 特別編として 未来とジャム 2024「交歓。これからを豊かに生きていく地図を描く」 を開催します!

ゲストの一人は、小松理虔(りけん)さん。福島県小名浜市から駆けつけてくれます。いっしょにいるとお腹の奥からじんわり温まっていく、マフラーのような人です。その他、野々村光子さん、西村陽子さん、藤井博志さん、滋賀の福祉に携わる三名をお迎えします。

▽ お申し込みはこちら ▽ 

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お問い合わせ先:
メール jam@tm-lab.jp
電話 0740-25-5730(高島市社会福祉協議会)

企画運営:
TAKASHIMA未ラボ


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