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「自分を受け入れて生きる」と「自分を言い訳にして生きる」は明確に違う

むかしは病名がつかなかったけど、今の時代では病名がつく。
そういうことが多くなりました。病名だけじゃなくて、特性の名前とか、カテゴリの名前とか。肩書とか。分類が進んでラベルが貼られるようになったこと、いろいろあります。

かくいうわたしも、ずーっと病名のつかなかったものに病名がついたり、病名をつけられたくないがために病院に行かなかったり、そういう経験があります。

わたし、昔からカテゴリに分けられるのが嫌いだったんですよね。とくに自分の弱さについて。
「死んでも憐れまれたくない、死んでも同情されたくない」っていうめちゃくちゃ気の強い女だったもので。
(いまはもうちょっと柔らかくなっていると思います。たぶん。笑)

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そうやって、特性や特徴に名前がつきやすくなった今、いろいろなところで
「わたし〇〇だから」って先に断りを入れる状況に遭遇します。

「わたし〇〇だから」という人には大きく二種類いると思う。
ひとつは自分の特性や特徴に名前がついたことで、自分を受け入れて生きている人。もうひとつは、自分の特性や特徴に名前がついたことで、それを言い訳にして生きている人。

どっちもいる。どっちもいます。本当に。
それで、「障害を言い訳にするな!」とかそういう言葉までささやかれるようになってきちゃったりして。
わたしね、思うんですが。「受け入れて生きる人」になるまでの過程で、「言い訳にして生きる期間」があるのは当然なのかもしれないって。

ま、もちろん、一生言い訳して終わるタイプもいるとは思いますけど。

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突然なんですが、俳句を作ったことはありますか。
わたしはほとんどないです。ご覧の通りの長文家ですので。笑
そんな長文家のわたしが、もし毎日の日記を必ず5・7・5で作れって言われたらどうするでしょうか。一日を表すのに17文字しか使えないって言われたら。

それはもう、ものすごく悩むと思うんですよね。言葉をたくさん調べて、この言葉は季節と情景の二つを同時に表せるなとか。より短い言葉でできる表現はないかとか。この名称の別名はないかとか。助詞を一つ変えるだけで雰囲気が変わるんじゃないかとか。
たくさん考えて、工夫すると思うんです。そこにぎゅっと一日を詰め込むために、めちゃくちゃ頭を使う。
制限があることによって、創意工夫が生まれる。その創意工夫に妥協しなければしないほど、個性が生まれる。たった17文字のなかに、圧倒的な個性が生まれる。

「17文字しかないんだもん。表現できるわけないじゃーん。てきとうでいいや」って思った瞬間に、なんの工夫も感動もない、なんか人生でもう30回くらい見たことあるような、凡作ができあがります。「じいちゃんち せんこうのにおい なつかしい」みたいな。30回くらい見た気がする、こういうやつ。笑

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制限が加わることで、人間は創意工夫できるようになる。
17文字で表すために言葉のプロになる。お金がないからティッシュペーパーでアートをする。時間がないから時短レシピが生まれるし、時短グッズが生まれる。平地がなくて斜面しかないから、段々畑を作る。
制限があることで、自分の頭をつかって、いろいろな手段や対策を講じたり、新しいことを取り入れてみたり、そういう工夫をすることができる。

わたし、思うんです。
人間って創意工夫するために生まれたんじゃないかしらって。
人生に別に意味なんてないですけど、意味も目的もないと思いますけど、そんな人生を創意工夫して「個」を作っていくのが、しいて言えば目的なんじゃないかなって。だからみんなそれぞれに違う制限を持って生まれているんじゃないですかね。わかりませんけど。

障害や特性って、ある種の制限です。個性だとか長所だとかなんだかんだ言葉を変えて言ってみても、制限であることには変わりません。
あのね、障害や特性自体を個性っていうのは、まだ早いと思う。
障害や特性によっていろいろな制限が出る、それを「障害だからしょうがないじゃん!」「特性だからしょうがないじゃん!」って言って、物事を放棄してしまう。これは個性でもなんでもない。これはただの、言い訳。

個性って、その先に発揮されるんです。
制限の中でできること、制限があるからこそ生まれる表現、できないことの隙間を見事に縫って仕上げていく日常。
人間は創意を凝らし、工夫することができる。そこに個性が現れる。
障害や特性を受け入れて生きていく、自分を受け入れて生きていくっていうことは、制限によって物事を放棄するのではなく、制限によって創意工夫をして生きていくことなんだと思います。

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冒頭でも言いましたが、わたしはまず病名をつけられたくないがために病院に行かないような人間でした。もうね、見たくないものには目をつぶりまくり。この時点で、まず自分と向き合うのを拒否していたわけですが。笑

人間って、自分を受け入れるのに何段階か必要ですね。
まず、自分を拒否したり否定したりする期間があって。つぎに、自分の特性を認めていく時期があって。この時期に絶望が始まったり、「認める」ということに時間がすごくかかって同時に「言い訳をする時期」になったりします。そして、その現実を受け入れて、それを個性に転換していく時期。

みんながみんな、受け入れられるとも限らない。一生受け入れられない人もいる。
自分が持っている制限を受け入れるのは、苦しみを伴ったりすることも多いと思います。だからね、絶望したり言い訳したりする期間って、必要なこともあるんです。苦しみもなく一足飛びに制限を受け入れるなんて、たぶん普通の人間には無理です。

だから、「障害や特性を言い訳にするな」っていう言葉は、やっぱりすごく乱暴だと思う。
でも、もしその先の世界があるのだということを知らない人がいたら、ぜひ気付いてほしい。俳句がなぜあれほど個性豊かになるのか、世の中にはなぜこんなに創意工夫のあふれたモノや環境が誕生したのか、思い出してほしい。
自分の一生を、物事を放棄する一生にするのではなく、創意工夫でいっぱいのアートにすることができるって、なんとなく覚えておいてほしい。全然そう思えなくても、なんとなくでいい。


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ゲームや漫画のキャラクターでいませんか。
自分の能力を封印することで、ものすごい力を発揮するタイプのキャラクター。

アレです。人間って、たぶんみんなアレです。
わかりませんけど。



最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました! 意識低めなので、いただいたサポートは書籍代などにはならず、おいしいケーキや紅茶に消えると思います……(*´ω`*)♡