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敏感に、軽やかに生きる

繊細で敏感で傷つきやすい。
それで悩んでいる人もいれば、そういう人との接し方を悩んでいる人もいると思います。
何年か前に「鈍感力」みたいな言葉が一部で流行ったような気がするんですが(わたしの周りだけかしら)。鈍感力を身に付けて生きやすくなろう、みたいな。

ちょっとよくわからないんですが、根っこの敏感さって、あまり変わらないんじゃないかな、って思うんですよね。なんていうのかな。もともと筋肉が付きにくい体質の人っているじゃないですか。もともと痩せやすいとか太りやすいとか。そういう、体質的なやつ。
だから、体質を敏感→鈍感に変えようって思うのって、なかなか難しいんじゃないかと思うんです。

でも、工夫次第でマッスルは付けられる。

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マッスルつけるのって、大変なんですよね。
肉体的な筋トレって、ちょっとずつ目に見えてくるからまだいいけど、精神的な筋トレって全然目に見えないからもっと大変。

それでね、鈍感力を身に付けようと試行錯誤して、なんと傷つきにくくなって「わたしは強くなった」と思ったときに、実はそれ、筋肉じゃなくてただ防具で固めていただけ、みたいなことがあるんです。
人間って多くの人は、生きているだけで、成長の過程で、精神的な武器や防具を身に付けるんだと思います。自然と。

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わたしの友人に、ものすごくセンシティブで傷つきやすい人がいるんですが。その友人は、すべてのことに対等に真剣に接し、決して何かをさげすんだり貶めたりしない、すばらしい人なんです。
彼は、いうなれば常に何の防具も装備せず、真っ裸の自分で世界と勝負しているんです。だから、自分の無力さを突き付けられたとき、すぐに真正面からそれを痛感して落ち込む。
でも、わたしが鼻で笑っちゃうようなこと言ったとしても、それも全部真剣に受け止めようとしてくれる人なんですよね。

まあ、真剣に真正面にすべてを受け止めるから、受け止め切れなくなってすぐ逃げちゃうっていう面もあるんですが。笑
「すぐ逃げちゃう」っていうところだけ見ている人からすれば「責任感のないやつだ」とか「信用できない」って思われちゃうんですけど。その裏には実は世界に対するものすごい誠実性があって、それが振り切れた結果の「すぐ逃げちゃう」なんです。
繊細で、不器用なんですね。逃げられた側からしたら、まあ結構困るわけですが。笑
それを裏返すと、魅力から来るものだったりして。

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彼にない防具。
それは、無意識的に人を下に見たり、さげすんだり、何かを比べて優越感を感じたりすること。何かをバカにすること。

この防具を着ない人は、たぶんほとんどいないんじゃないかなと思います。
嫌なことがあったら、「あいつは〇〇な奴だから」って自分より下に位置付ける。何かをひとまとめにして大きなくくりにして、自分から遠ざける。
何かを下げて自分を上げる。そうやって、自分の精神が傷つくことを避けているんです。自分にたどり着く前に、防具で跳ね返しているんですね。

下に見たりさげすんだりしている物事に対して、人は真正面から向き合うということはしませんから。相手を見ないための防具。

そしてもう一つ防具があって。それは肩書です。
持っているだけなら自然なんですけど、それを取り出して振り回すと防具になる。
肩書を振り回していれば、自分の中身がどれだけ「足りていないか」ということから目をそらすことができる。
自分と向き合わないための防具というか。

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防具を身に付けると、たしかに鈍感になっていく。
生きやすくなるって感じるかもしれない。

でもね、わたしは敏感に軽やかに生きたい。
たとえば、軽い荷物を持ってるときに一冊の文庫本が増えたら、増えた重みを感じることができるんですけど。重い荷物を持っているときに一冊の文庫本が増えても、増えた重みに気が付かなかったりするじゃないですか。

防具が増えていくと、世界の解像度は粗くなる。
どんどん見えなくなっていく。どんどん感じられなくなっていく。
それでいい人もいるかもしれないけど、わたしは嫌です。笑
他人を傷つけたことにも、気付けなくなりそうで。

じゃあどうすればいいかって、防具を脱ぎ捨てるしかないんですよね。いろいろなものを直視して、真正面から受け止めていく。
そのうちになんとなく気が付くんです。真正面から受け止めて、たしかに傷つくんですけど、そのあともずっと自分を傷つけ続けてるのは「自分の思考の癖」だったりするって。
感じやすく敏感であるということは、「ネガティブだ」ということではないんです。ネガティブというのは思考の癖のことで。だんだんそれを修正していくのが、精神の筋トレなんじゃないかと思うんです。

自分はダメなやつだ、って思うのは敏感だからじゃない。
受け取った情報から、自分が「だめだ」って判断しているだけ。
受け取ったこと、感じたことに対して、自分がネガティブな判断を下しているだけ。

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敏感に感じるっていうのは、ネガティブなことではないです。
世界の解像度が高いっていうことです。
それに、ネガティブな意味づけをしてしまわないように、自分で筋トレするんです。

生きてるといろいろなことがあるし、いろいろな人と出会う。いろいろな自分とも出会う。それをプレーンに捉える。自分でネガティブな味付けをしない。

防具を脱ぎ捨てて笑顔になった人って、強いんです。
防具で固めているだけで中身がふにゃふにゃな人とは、比べるまでもなく。

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なんだかまとまらない記事になってしまった。笑
最近はいろいろな鎧を身にまとって世の中を生きる処世術みたいなのが流行っている気がして。
いまのわたしはそれに逆行したいんです。その鎧を脱ぎ捨てるほうで生きたいと思ったんですよね。というか、もともとはわたしも分厚い鎧を着ていました。でも、分厚い鎧の下の自分の貧弱さを目の当たりにしたとき、これじゃいかんと思ったのです。

ハイセンシティブで、ハイマッスルな人間になろうと。
世界を敏感に、全身で受け止めたいなと。


つよくなりたい。あおこ。

最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました! 意識低めなので、いただいたサポートは書籍代などにはならず、おいしいケーキや紅茶に消えると思います……(*´ω`*)♡