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その関係性を整備しているのって、誰なんだろう

釣った魚にエサはやらない、じゃないですけど。
「いつも他人ばっかり助けようとして、身内や恋人のことは放っておく人」って一定数いる気がします。

かくいううちの母親もそのタイプでして。笑
外では果てしなく面倒見がいいというか、すべてのことを「わたしじゃなきゃダメなんだ」と引き受け、日々外を飛び回っているんですが、家のなかではなかなか、なんというか。外で引き受けたことをうちにもって帰ってきてわたしにやらせる、なんていうアグレッシブなこともします。
もともと五人兄弟の末っ子ということもあり、びっくりするほど末っ子体質でして。家の中ではとりあえず笑ってごまかす、まあ誰かがやってくれる、甘えれば万事OK、みたいな人なんですよね。笑

兄は言う。「本当にあの人は家事ができないから」って。

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でも、「本来の性質として」そうだったかなぁ、って思うんです。
今でこそわたしがいろいろと家事をやっているけれども、わたしが子どものときってずーっと母が家事をやっていて、それが当たり前でした。
いまは母の末っ子体質が前面に出ているけど、確実に昔はわたしが末っ子体質でした。誰かがやってくれるって思っていました。

ふとね、このあいだ、コンロの拭き掃除をしているときに思ったんです。
これ、毎日やってるけど、誰にも感謝されたことないよなって。
これ、というよりも、いろいろな家事ぜんぶ。
感謝されるどころか、無意識に家事増やされたりして。笑

たぶんお母さん、評価と感謝をされたかったんだろうなって。

うちの父親は文句は言うけど感謝はしないタイプの父親で。
家事をやったことのない兄は、どんな家事があって何にどれだけ手間がかかるかもわからないで。
わたしだって、母からバトンタッチで受け取ってからはじめて家事の手間がわかって。

そりゃ、やりたくなくなるよな。
誰も評価も感謝もしてくれないんだもん。
家のことがやってあるのが当たり前、って、みんな思ってるんだもん。
それで、きちんとそれがやられていないと怒られる。
「うちのは家事ができなくて」みたいに言われる。

なんの罰ゲームなんでしょう。。

それに対して、外でなにかをやれば。外の人をちょこっと助ければ。
簡単に評価してもらえるし、感謝してもらえる。外は風通しがいいから、うわさも広まって、いろいろな人がその功績を知ってくれる。
「すごいね」「ありがとね」って、いっぱい言ってもらえる。

そりゃ、外に行きたくなります。「自分が役に立ってる」実感も、「自分を評価してもらえている」実感も、「自分が感謝されている」実感も、外のほうがずっとずっとあるから。

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うちのような事例ってたくさんあるんじゃないかなと思います。
「いつも他人ばっかり助けようとして、付き合ってからかまってくれなくなった」っていう恋人とか。
「外面はとてもいいのに、うちでは何にもしない、だらけているだけ」とか。

なんか、それだけ聞くと「その人個人の性質の問題」のように聞こえるんだけど、もしかしたら原因はそこじゃないのかもしれないな、と最近思います。
もちろんね、性質の問題もあるのかもしれないけど。

でも、もしかしたら、内側からの評価と感謝が圧倒的に足りていないがゆえに起きていることなのかもしれないって思います。

付き合ってからも、些細なことにもきちんと感謝を伝えているか。本当にすごいね、ありがとう、って伝えているか。些細な変化を見逃さずに受け取っているか。

距離が近くなれば近くなるほど、いろいろなことが当たり前になってしまう。相手の善意も厚意も、当たり前になってしまう。あって当然のことになってしまう。
だから相手は、善意を善意と受け取ってくれる人に。厚意を厚意と受け取ってくれる人に。つまり、「外」の人に、それを向けるようになってしまうんです。
資源としての体や精神は有限なので、「内」の人に向ける分は当然、少なくなっていくでしょう。


「あの人は、釣った魚にエサをやらない」
「外面はいいけど、うちではひどい」

本当に、責められるべきはその人なのかな。
まあ、本当に責められるべき人も、たまにいますけども。笑

***

家の中がきちんと回っているって、何一つ当たり前のことじゃないんだって思います。誰かの努力で回っている。恋人同士の関係もそう。
当たり前に整っている関係性なんてないんです。誰かが整備士の役目をしている。

それにきちんと気付く。きちんと、いちいち、大げさなくらい、感謝する。きちんと、いちいち、大げさなくらい、評価する。

できれば、たまに役割を代わる。
「いつもやってくれてるから、たまにはやらせて?」っていう。
間違っても「やってあげるよ」って言わない。笑
やった後にドヤ顔で評価と感謝を求めない。笑
だってそれ、毎日相手がやってることなんですから。
いつもありがとうね、っていう気持ちを忘れずに。

***

わたしは、何十年と感謝も評価もされずに頑張ってきた母の家事を引き継いで、いま母が外で輝いているのを見て、「これでよかったんだな」って思います。
彼女もちゃんと感謝されて評価されて、年に合わない体力の使い方しているけど、きっと精神的には充実しているだろうなって。

長いこと気付かなくて、本当に申し訳なかった。
ありがとうもおいしいも、きれいになったねも、もっと言えた気がするよなあ。
でも時間は巻き戻せないから、淡々と家事をする。まあ、あと何年実家にいるかはわかりませんけどね。その間くらいはね、何も言わずにやろうと思います。

最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました! 意識低めなので、いただいたサポートは書籍代などにはならず、おいしいケーキや紅茶に消えると思います……(*´ω`*)♡