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「ありがとう」と言われるために奉仕しているわけじゃないけど

わたしは人に奉仕することがすきだ。言われなくてもやってしまうことがあるし、「わたしがやったらスムーズに進みそうだな」と思うことを自らやってしまう性分。

たとえば地元の仲良しメンツでは、中学生の時からお互いの誕生日を祝っている。

その中でお店の予約やアルバムの準備、プレゼント手配なんかもなんとなくこなしてしまっている立ち回り。

家族の中でも誰かと誰の間の仲介とか、言われてないけど明日の分の仕事しときました!とか、なんとなくでやっていた気がする。


別に好きでやっているわけじゃないけど、自然にそう振舞ってしまっているのか、はたまた周りにめんどくさがり屋が集まっているのか…。

おそらく前者だろうな、と思う。

好きでやっているわけじゃない、でも自然とそういう役回りになっていて「彅野がやることが当たり前」になっていることが多い気がする。



苦じゃないし、今更「やりたくなーい!」というほどでもない。

でも「やってもらって当たり前」と「やってもらって感謝される」の間には大きな大きな差があるように思う。

だから少しこちらに限界がきて「実は好きでやってないよ?」「喜んでほしくてやってたんだよ」みたいな本音をぶつけた時に、「好きでやってると思ってたわ」「そんなに言うんだったら、やらなくていいよ?」と言われるとぞわぁっとする。


価値観の違いというか、相手にとっての「やってもらって当たり前」とわたしにとっての「タスクをこなす当たり前」の差がすさまじい、と少し引いてしまう。


違う、そうじゃない、そうじゃなくて、ただ一言「ありがとう」「助かってるよ」って言ってくれれば十分なのに。

「ありがとう」と言われるために奉仕しているわけじゃないけれど、ありがとうがあるとさらに相手といい関係でいられる気がする。


言われるために行動するってのもなんだかおかしな話だけど、そのやりがいとなる「ありがとう」をもらうには、自分が相手のしてくれた行動や気遣いに気づけないといけないんだよね。


「恋人は自分の鏡だと思いなさい」


こんな言葉をどこかで聞いて、それからわたしは恋人だけじゃなくて関わる相手すべてをこのように捉えている。

変な態度を取られたら自分も取っていた、ということ。

ありがとうと言われなかったら、自分もありがとうを言い忘れていたということ。


相手が気づいてくれないから、そうじゃなくて自分から行動をしていかないと周りは変わらないよね。

このnoteを書いて「わたしもありがとうをどんどん伝えていこう」と再確認できた気がする。


彅野アン(なぎのあん)

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