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残酷で異常

皆さんお疲れ様です。ARASKAです。

最近よく友達や知り合い、職場の人と頻繁にプライベートで会うようにしているのですが、大人になると少なからず過去の話をします。学生の頃何してたとか、誰と誰が付き合ってたとか、今そのまま結婚したり別れたりしてるとか、誰でも話すような事です。

なかでも自分があまり掘り返されたくない過去の話は盛り上がってしまったりします。学生時代の何故か眉毛をいじってはいけないという家訓と、体を大きくしなければいけない部活動のおかげで、若い頃のロバート秋山に似ていたとよく言われます。今はココリコの田中に似ていると言われるのですが。。。

そんな過去も嫌だ嫌だというよりは、認めてしまって笑いに変えてしまう方が得策で、嫌な空気が流れそうになると、空気清浄機のように除菌する機能が大人になってから備えられたため、そりゃ酒も進むってもんです。

「残酷で異常」という映画は、まさにその過去との向き合い方と、過去に戻れたらという淡い希望と、それを認めた未来と、すべての要素が詰まったオチのしっかりした映画です。

私は学生の頃自分では何もせず、他人を見る能力には長けていたので、人の輪には入ることができるけども、2人で会ったり遊んだりしたいかと言われればそれはまた別の話と思われているであろう人間でした。というわけでそれなりに友達はいても、何もしていない事に負い目を感じて、全く自分に自信がありませんでした。今は何かを起こそうと必死です。

「残酷で異常」でいう認めた先に今自分が立っていると思うと、自分で自分のケツを蹴り上げて、因果関係とか後々の見返りを気にせずになんでもしてやる。と思ました。

それだけ面白い映画で、やっぱり記事や音楽が自分の好みの人が勧める映画はやっぱり安心して見れるという、私調べの統計データの信用度が増しました。

期待せずに自分の人生を気にしないで、周りの人生に巻き込まれていく事で、なんか形になっていってくれたら私の人生も最後にはね。という期待をしてはいけませんね。はい。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

書くために本を読みます! 本の経済が潤いますように!