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ニューヨーク生活4年で学んだこと - アメリカが「合衆国」であること

リモート飲みをするようになり、今まで会えてなかった日本の友達ともゆっくり話せる時間ができるようになった。

かれこれ5年ぶりの友人なんかもいる。そういった友人にはニューヨークの生活についても、ざっくりと聞かれることがある。あの頃に考えたことや思ったことを忘れてしまっているので、とっさに聞かれると気の利いた回答ができなかったりする。

というわけで、今回はニューヨークで過ごした4年間で何を学んだか、ということを書いていきたいと思います。あ、もちろん英語力の上達は一番に挙げられるのですが、それは一旦置いておき、英語以外で学んだことに限定します。

米国は広大

ニューヨーク生活で学んだことは、米国は広大であるということ。

国土面積は世界第3位の983万平方km。中国よりも少しだけ大きく、日本と比べると26倍の大きさになる。米国で2番目の土地面積であるテキサス州が日本の本州よりも少し大きいくらい。それくらい米国は広い。

ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港からロサンゼルス国際空港までは片道で6時間かかる。同じ国にも時差は3時間ある。

出張が立て続けに入り、ニューヨーク → ロサンゼルス → シカゴ → ニューヨークの移動となると、移動時間と時差とで体内時計がぐちゃぐちゃになる。深い眠りにつけなくなることもよくあった。

車の移動においても、片道2時間以内であれば近距離移動の感覚。会社の同僚は年に3回、フロリダ州まで片道12時間くらいかけて家族に会いに行ってたっけな。そんな話をよく耳にしていた。

人の幅も広い

広いのは国土面積だけではない。

「Black Lives Matter」は、日本のメディアもにぎわせてると思うけど、そんな問題が起こってしまうほど人種・国籍の幅も広い。日本人が95%を占める日本に住んでいると、この問題は異世界のように感じるのではないだろうか。

この国では、語弊を恐れずに言うと「純粋な米国人ではない人」が多い。つまり、親が外国で生まれ、本人が小さい頃に米国に移住してきた人っていうのがザラにいる。歴史が浅い国だし、(以前は)移民を受け入れるスタンスだったので当然なことだ。

ニューヨークに住んでいたこともあり、その傾向は他の州よりも強かったのかもしれない。職場だけを切り取っても国籍はさまざま。

親や祖父母がイギリス人、イタリア人、アイルランド人、韓国人の同僚。その人自身が台湾、ベネズエラ、アルゼンチン、ルーマニア、コンゴ共和国から移住してきたってケースもたくさんあった。

友人の場合だともっと多種多様。移住はもちろん、自分と同じように就労ビザや学生ビザを取得してニューヨークに住んでいる人もたくさんいた。

これが教科書で習った「人種のるつぼ」たる所以なのだろう。

「るつぼ」か「サラダボール」か

しかしながら、最近ではややマイナスな意味を込めて米国を「人種のサラダボール」と揶揄する人もいる。

「るつぼ」のように溶けて交り合うこではなく、サラダボールのように個が分かれて存在している、という意味だ。

それが顕著にあらわになってしまったのが、先に述べた黒人差別問題。メディアを通したニュースを見ると、まるで差別が日常茶飯事に起こっているように思えてしまう。

でもアジア人である自分がニューヨークにいてそこまで強烈には差別は感じなかった。

もしかしたら自分が気にしない人間だからなのかもしれない。運が良かっただけと言われればそうかもしれない。

でも自分には、特にアジア系とラテン系の友達が多かったのだが、黒人の友達も少なからずいた。

周りを見ても、自分と同じように人種や国籍を超え、交じり合って生活している人もいれば、同じ出身国同士で生活している人もいる。

国籍の垣根を越えたつながりを自分は好む。しかし、だからといって同じ国同士でつるんでいるのが悪いとも思わないし、その気持ちも分かる。ある程度同じバックグラウンドや容姿を持つ人に囲まれていたほうが、一緒にいて楽だし、心地いいからだ。

コミュニケーションは取りやすいし、ある程度の規模の人数が集まれば、コミュニティが生まれる。コミュニティが生まれれば、たとえばレストランやスーパーができたりする。

マンハッタンだと、日本食レストランが集まる通りがあれば、コリアン街もある。リトルイタリーもあれば、もちろんチャイナタウンだってあった。

南アメリカ系の料理(ペルーとかボリビア)のレストランを多く見かけるブロックや、ポーランド人が集まっている街もあるし、東アジア系レストランが集積している通りもあった。

要は、同じ国籍やその国籍と近しい国の人で集まると便利なのだ。でもそれは便利だからコミュニティを形成しているだけであり、別に差別意識なんてないと思う。

もちろんニューヨークにも差別は存在すると思うし、それは排除しなければならない考えである。

でもその差別意識は蔓延っているというのではなく、本当に一部の人たちだけに浸透しているものなのかと思っている。

多くの人は、どちらかと言うと、それさえも考える暇がないくらいせっせと働き生活を営んでいるからだ。

アメリカはアメリカ「合衆国」である

先に述べたように米国は国土面積が広大だし、時差さえもある。そのこともあり州を超えた移動は、国境をまたいだ感がある。

なので、北アメリカ大陸にいくつもある州が集まったものとして「合衆国」と呼ぶのは非常に的を射ている。

日本のように一国としてみるのではなく、どちらかというとEUのような「別の国の集合体」と捉えた方が理解はしやすくなる。まとまりの強さからいくとこんな感じだろうか。

EU < アメリカ合衆国 < 日本

米国で起こるニュースをみる際には、米国を一括りにするのではなく、どの州で起きた事件なのかを意識した方がいい。そうした方が米国という存在を正しく捉えられるからだ。

まとめ

何を伝えたかったかというと、アメリカ合衆国は広い。その広い国を形成しているのは、それぞれの州であるが、距離があり過ぎるので、もはやそれぞれがひとつの国のようなものである。

たがらアメリカ合衆国をひとつの国として考えるというよりは、国の集合体として捉えた方が良い。その方がアメリカ関連のニュースの理解が容易くなる。

さて、ニューヨークで学んだことについていろいろと書いていこうと思いましたが、1発目でだらだらと長くなってしまいました。

他にも書き残しておきたいことはいっぱいあるので、今後も暇を見つけてはちょこちょこ書いていこうかと思ってます。書かないかもしれないけど。

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