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朝の一杯のコーヒー。--高橋照美の「小人閑居」(32)

よく眠ったな、と思いながら起きる朝を、年に何度か迎える。
そんな朝には、径のちいさな五徳に胴のケトルをかけて、湯をしゃんしゃんわかす。
二日前に焙煎しておいた豆がある。焙煎の当日は機関車の石炭室から汗だくで出たばかりの気分だから、ゆったり整った珈琲にならない。一日あけたほうが自分ではおちつく。

木のミルでごりごり、わずかな量を引く。年季ものだから木目にかなりの油じみが浮いていて、サンドペーパーで削った方がいいんだろうかと不安になるような、よぼいミルだ。ハンドルがゆるんだらドライバーで締めて使う。

ドリップはなぜだか、ペーパーが好きだ。ネルもフレンチプレスもいいんだろうが、無漂白のペーパードリップが好きだ。サイフォンも扱えない。それじゃ話にならないと言われることもあるが、まずは限られたスキルを徹底的に、とも教わったので、黙って笑うことにしている。


細口鶴首の茶色のやかんからひとまわし注ぐ湯で、ぷっくりと豆が起きる。
それからやかんを置いて、ほかごとをする。
珈琲にはコーヒーだけじゃなくて、おいしい水がひとくちだけあるといい。うちのコップは店に出せないけど捨てるにはまだ惜しい業務用。いつか本当に大切な人と暮らすようになったら、そういうのはやめなきゃ安らがないとも思う。
クラッカーをはんぶんこ。梨があるから半分むく。

ほかごとを挟んでいる間に、豆は「お湯まだー?」みたいな開き方をする。そこへほっそりと湯を回しかける。

どうしてだろう、朝の一杯の珈琲は、二人分淹れるのがとてもおちつく。一人はさびしい。三人分以上だと朝っぱらから仕事仲間とブレイクしてる気分でやりきれない。かけがえのない時間は一対一で過ごす感覚が、とても強い。

朝だから声を張らない。「みかん食べる?」みたいなゆるい声で知らせる。


珈琲入ったよ。


「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!