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一人になると、ホッとする人

僕もそうなのだが…

一人になると、ホッとする。

「一人好き」はもともとは、「人嫌い」ではなかった。「人嫌い」とは、「一人好き」が長年無理をして人なかで働いて人なかで暮らしていると、

どうしようもなくそうなるものだ。

そして、これはどうやら、一族ぜんたいの傾向らしい。
僕だってそうだ。そうでなければ「親友は生涯、ただ一人きりでいい」なんて心情に至るもんか。
ガヤガヤしてると、とにかく疲れるのだ。ただ一人心の通じ合うやつと、黙って笑い合っていたいのだ。

頼んだわけではないのだが「視(み)えちゃう」人がいて、ある時

「あらっ。あなたのお祖父様、あちら側で今、一人っきりでひろーいお家に住んで、うれしそうにしてらっしゃる」

と、僕に口走ったことがあった。
聞いて、僕は
「あの、大勢の中にいた祖父でさえ、そうだったか」
と、不思議と合点がいったものだ。

少しだけ脱線するが、

こういう「視えちゃう」カテゴリーの人の中には、自他境界線がゆるい人が、時折混じっている。
僕の親戚にも、似たタイプはわずかだがいる。

死んだ親族が「元気だよ」(魂の状態がオーライだよ ; 体は持たないので)と伝えたいとき「うっかり、知らずに使われる」のを〈良し〉としている心づもりの人だ。

そこに「生きがい」とか「特別感」とかがあるから、ついつい甘くなる。

こういうタイプの人は、
「他人が優先、自分はあと回し」
という〈あり方〉で育ってきたために、

愕然とするほど、パワハラ被害者・過労死予備軍が多い。
自分のことは後回し。
大変な状況のとき遊んでいると怒られる幼少期、手伝わないと怒られる幼少期。
従順であったり気が利くと、褒められる。

そういう「罰と報酬」(アメとムチ)の中で大きくなると、「指示まち族」が出来上がる。
僕はこの中でも「リーダー」だった子供だが、なぜかというと

「ほら委員長、みんなに指示しないと、みんな何していいかわからなくて、待っちゃってるじゃん!」

…このプレッシャーに、絶えずさらされて来たためだ。

あぁ、一人になりたい。くつろぎたい。
そして、「リーダーのプレッシャー」にさらされないこのタイプの子供は、仲間でワイガヤしてればいいので、

プレゼンができない。
企画書が書けない。

他人を説得するってどういうこと!?
という修羅場に、大人になって初めて放り込まれる…という、さらなる地獄が待っている。

僕はだから、
口下手さんで、一人になるとホッとする人のための、文章の手引きを書いてあげたいんだな。

「書ける」「割と書けてる」ことに自信がつけば、

「キーワードが書けてる紙」を他人のところに持っていって、指さしながら説明する

という、「ビジネスの場面での話し方」が、すぐに手に入るからです。

ちなみに「人前で話すことに自信がありません」とか「起業・営業する自信がありません」という表現は、

単なる「コトバ選びの間違いと不足」です。

具体的に何があるか、少し書いてみるようにしましょう。

「自信がない」の中には、

「安心感が持てない、安全だと感じることができない、必要な準備をわかっていない、必要な準備を一通り知識として押さえたが、内発的な動機が今ひとつ出てこない、話す内容を受け入れてもらえる感覚がない、別の状況から逃げようとして起業することを考えているため何をどうしていいか混乱中」

などの「別のコトバで表したほうがいいこと」が
いっぱい、いっぱい、詰まっています。

「人から褒められたい、人に怒られたくない」という

あの、小さい頃はめられてしまった状況を逆手に取って、

「自分の状況がうまく説明できれば、助けてもらってこなすことができる。助けてもらうことができれば、周りのみんなに優越感とやりがいを手渡した上に『チーム力がある』という、わけのわからない当てはまらなそうなコトバでだけど、とりあえず叱責ではなく褒められるという反応を得て、ひと息つくことができる」

ここを考えてみてください。

僕は、あなたが

どんなに人から否定されてきて、人が怖いと思っているか、

ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、わかっていると思えています。

僕も、一人が好きなので。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!