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きわめてキケンな場所。--成長小説・秋の月、風の夜(112)

#23 くぎをさす

そう言われながら、高橋は接待のことを四郎に黙ったままでいた。
だって接待先には、ご先祖さまにとっての「エサ」がうじゃうじゃいるわけだから。とても四郎には打ち明けられない。

シルバーのA4アバントの後部座席から、宮垣耕造が降り立った。運転席からは高橋照美。
駐車場からエレベーターで上がり、クラブのドアをあけると「いらっしゃいませ」の声がかかった。理恵ママが女の子たちと出迎えて、席へと案内する。

宮垣は、ほーおという顔をした。「こりゃあ、若い割には、よくぞちゃんとしたもんだ。一晩百万円ってとこだな」
高橋は、かすかに笑った。目が笑っていなかった。「……宮垣先生に、喜んでいただけるかどうか心もとないです」

「そりゃまたどうしてだ」宮垣はさっそくミユキの腰を抱いて自分の左隣に寄せ、理恵ママを右にくっつけておいて、高橋にたずねる。

「僕じしんおもてなしのアテンドがはじめてでして。心と所作がついていってません」重苦しい気もちをもてあますように、高橋は答えた。理恵ママが高橋に、「そのぶん、私たちが盛り上げるから大丈夫」と話しかける。「耕造先生、日本酒ですか?それとも日本酒とウォッカリッキーのちゃんぽん飲み、なさいます?」

「あははぁ、前来た時の飲み方よく憶えてんね。ソーダなしのウォッカライム。あと純米吟醸があったらそのまま持ってきてくれ」
風の森の山田錦。それとウォッカ、氷、切ったライムというシンプルな飲物が来た。

高橋は全体を見渡し、かつ鏡で女性たちが目配りをどのようにしているのかが、見やすい席に座らせてもらったことに感動した。舞い込んできたオーナー話を受けたので、銀座のマスターの店の姉妹店を京都で展開している。若いながらもいわば同業としてやっていかなければならない高橋に、いわゆる「学割」も大きく適用してくれただけでなく、学びの機会も差し出してくれている。
譲(じょう)さんに相談をもちかけて、全面的な自腹も免れた。

高橋の前には、小さなグラス半分ぐらいに、コルコバードに似せたノンアルコールドリンクが出てきた。高橋雅峰が好んで使うカワセミ色に近い、明るい青色がすきとおっている。
「雅峰さん、ゆっくりちびちび飲みしてね。相当強いから」理恵ママがひとこと添えた。高橋は、「ありがとうございます」と答えて、口をつけた。んっ、と多く口に含むのを止める。テキーラベースの飲物にしか感じられない。すごいな。

ウォッカライムと風の森が、恐ろしい勢いであいていく。宮垣はテーブルの女の子たちにどんどん飲物を入れさせるようあおっておいて、高橋に語りかけた。「雅峰、おまえの友情は、本当に友情か」

「どういうことですか」

「単に執着じゃないのか」
「単に執着だとして」高橋は、それなら答えられる、という明るい表情で答えた。「僕はあいつに何も求めるつもりはありません」
「今夜のことだって、四郎には内緒だろう。何にも知らせずに、こっそり俺にバカ高い接待をかましてくれる。お持ち帰りだってすんなり通るように話がつけてあるんじゃないか。さらに俺が、ほかにもあれやれこれやれと言ったって、おまえは素直にふたつ返事で、アテンドするだろう。動機は何だ」

「四郎はもうすでに、僕を何度も窮地から救ってくれています。そうして僕は、生涯ひとりの親友にかかわることには、自分の命以外なんでも注ぎ込もうと決めている。それだけです」

高橋は、そっと伝えた。「それを試すような悪趣味は、味わわせないでください」
言われた宮垣はうそぶいた。
「俺も悪趣味すぎて天涯孤独になっちまうほどの天邪鬼でねえ」

高橋の顔色がさっと変わった。

若い頃「クラッシャー」と呼ばれていた宮垣だ。数々の狼藉ぶりは聞いている。
「僕に関しては何でも承ります。ほかの人を傷つけることは、勘弁してください……」

自分がいちばん大切にしていて、宮垣の手が届く人物は、いまのところ一人しかいない。傷つけられるとうろたえる、どころか取り返しがつかない。まさか……まさかそんな……ないだろう……いや……この嫌な予感は、なんだ?

言いながら高橋は立ち上がった。「理恵さん、せっかくいろいろしてくださってるのにごめん、今日は僕はここで失礼します。宮垣先生、ごゆっくりお楽しみください。後日お話しましょう」そしてミユキをはじめ女の子たちに「ごめんね、中座してすみません。先生のおもてなし、よろしくおねがいします」と声をかけざま、入口へ去った。

宮垣はそちらへ顔を向けもせず、ウォッカライムをあおった。「おかわりだ、ライムは先にしぼっちまってくれ」
憮然とした表情をしていた。

外へ出てみて、高橋はうろうろと周囲をみわたした。目視で探せない。電話をしてみる。すぐにつながった。「おい! どこにいるの、今」

――あ。迷っとったんやて今。みつけた、よかった……けど何でここにおるの。

「何でって。ばか! なんでここにきた!」

四郎だ。こんな時にも紺の背広、白いYシャツ、黒い革靴だ。
同じく耳にスマホを当てている同士、ほんの十メートルの近さだった。

電話を切って高橋は笑った。「よかった。ああー、大事なくてよかった。先に見つけてよかった」

そして、はらわたが煮えくり返るような気分のまま、たずねた。
「おまえ、宮垣のくそじじいにどういう呼び出し食らったんだ。わざわざ人を窮地に陥れることを好むと思ったが、やっぱりこういうことをしやがるか」高橋はホッとしてゆるんだ緊張から、つい吐き捨てるように言った。

はらわたがちぎれるほど動揺している。なぜって……四郎に親身になってくれているのじゃないのか、宮垣耕造。大切な人を大切にする、というひとのみちを、どうしてこうやすやすと蹴っころがせるのだ。狼藉を通り越して狂犬だ。

「くそじじいは、あかんて……」言いつつ四郎は、高橋のうろたえぶりから、何か尋常でないものを感じ取ったらしい。

「おとつい、この日はここで仕事しとるで、夜の九時になったら迎えに来いてって言わして。お前と会っとんさったんか。なあ、いじわるされとらへんか、なんやようわからんけど」
「おまえの組み立てなおしに、注力してもらう代わりにご接待だ」

「高いお店やん。ものすごいお金いるんやないか」四郎は高橋の顔をまじまじと見た。「お前、俺のせいでようけことお金使ったんか」

それには答えず、高橋は四郎が手に持って探していた店のプリントアウトを見やった。「中に入れって言われたか」
「迎えに来いてって言われたで、ようわからんでとりあえず入って聞こうとおもったけど、ここらへんのにおいがすでにあかん」
「入っちゃだめだ、会わずに帰ろう。宮垣先生のお泊りは別に手当てがついている」高橋はむしろへらへらと、情けない表情で笑った。

「中はきれいなオネエチャンばかりなんだ、入らなくて正解だ。……ご先祖さまの、エサが」

「そういういじわるか。俺が来るで、お前をあわてさせたんか」
四郎の目が、酷薄に沈んだ。「宮垣先生がたまーに見せやっせる、悪いクセやんか。ひとこと言ってくる」

「よせ四郎。僕のことなんかいい。放っとけ」高橋は四郎の腕をつかんだ。

いつもの四郎より嗜虐と殺しの好きな「奥の人」の表情が、ニヤリと振り返って高橋をまっすぐ見た。
「エサが五十人おったって、……十二分ぐらいは、もつ」

そして四郎は自分の五臓六腑に語りかけた、「なあご先祖さまんらなあ、俺の親友に関わることや、こらえてくんさい。人数もだいぶ、少ななっとんさるで、こらえれるわな。改めて言うけども、誰にも傷したらあかんよ」



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もくろみ・目次・登場人物紹介

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!