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僕の親友は高卒新人で、業務オーバーフローしている。--成長小説・秋の月、風の夜(3)

四郎の後姿をながめて、なんとなく高橋は斎藤課長と話を続ける。

「……四郎が来てから、どんなことが変わりましたか」
「空気だね。もっと何かできることはないか探す、妥協なき品質主義が、息を吹き返した。それに、ぴしっとした良さがでるようになったよ。嶺生(ねおい)くんは、覚えがいいしね。ホリさんがかわいがって、昼メシに連れていってしまうよ」

四郎が自分の湯呑みを下げるついでに、高橋のコーヒーカップも下げる。
「ありがと」と言って、高橋はカップを手渡した。

「ホリさんとの居心地が、いいかもしれませんね、四郎は」

「社内人材に、ホリさんが目の色を変えたのは、はじめてのことだよ。
ホリさんは職人だから、練習題に冨山房(ふざんぼう)の『漢文大系』の誤植を見つけさせたりするんだが、嶺生(ねおい)くんが “死んだおじいさんにもらって全巻持っています” と言うんで、むちゃくちゃ喜んでいた。

ホリさんは編集にも校正指導する役割だけれど、できのよくない奴や、やる気を感じられない奴は、そもそも教育指導を断ってしまう人だから。あれほど素養のある若者が、あまりにも地味な “校正専任” を選んでくれて、よかった。この仕事をやっていて、よかった。と、しみじみ言っていた」

高橋は、自分がこっそりかけている、裏OJT(オンザジョブ・トレーニング)で、ずっと気になっていたことを聞いた。
「オーバーフローは、していませんか」

斎藤は、息を吐いた。「素直になんでも聞いて、宿題も、もらってきてしまうんで、たしかにオーバーフローはしている」

「優先・劣後事項の順位づけは、誰がみていますか」

「課長のわたくしが、みております」斎藤は、申し訳なさそうに苦笑しつつ、返事をした。
「高卒すぐで、社会人経験がまったくないですから、ガードしてやってください。地アタマがいいので、そこらへん、得意そうに見えてしまいます。
けれど、うまくサボることや手抜きすること、ゴールと要件を絞って、ばっさりと切り捨てることを、学習訓練していません。

教えてやってください、といいたいところですけど、斎藤さんもバッサリいくのは、得意なクチじゃありませんもんね」

「そうなんだよ」課長の苦笑いがつづく。
高橋は、斎藤の苦笑いを真正面に受け止めて、頼んだ。
「出張から帰ったらすぐ、業務一覧を、ホリさんからもらった宿題含めて抜けもれがないよう、チェックしてやってください。オーバーフローの一番の原因は、リストに上がっていない抜けもれなので。

優先・劣後の順位づけは、一覧ができたら、僕が四郎と一緒に見ますから。

それが終わったら、さいごに一緒にホリさんと課長同席のミーティングをもってやってください」

斎藤課長は、「一時間取って、嶺生君と作業してみよう……」と、手帳に予定を書きこんでくれた。
高橋はそこまで見届けて、自分の手帳にも、何かを書き込んだ。

なくてはならないメンバー。高卒すぐで、さしたる社員教育もなしに、ベストセラー作家の担当編集に投入されてしまった親友。
肩書は「校正専任」で、実務はバリバリの担当編集。
業務量と要求品質に、あっぷあっぷしながら、よくやっている。

孤立しないように、チームの良さが出るように、的確な指導を仰げるように……

高橋の前に、四郎が立った。
「待たせてごめんえか」
「いこうか」

「行ってきます」
課長にきれいな動作で挨拶する四郎を見ながら、高橋も斎藤課長に会釈した。

「満代、コーヒーおいしかった、淹れてくれてありがとう。またね」高橋が満代に挨拶する。「またねー」と言いながら満代は、四郎にも「行ってらっしゃい」と声をかける。
四郎はぎこちなく「行ってきます」と返事をした。

ご先祖さまたちが、四郎の内側でしゃーしゃー沸きたっているのが、高橋にもわかった。

四郎の体には生まれながらに、話の通じない不浄霊のご先祖さまたちが、めいっぱいつめこまれている。
まるで、ずるずるびちゃびちゃした汚れたこぶだらけの魚網が丸まって押し込まれている状態だ。

彼らの好む “エサ” は、十八歳から三十五歳までの、健康や体細胞の状態に特徴のある女性たち。
特定の条件をはずれる女性には、見向きもしない。
男はなおさら、まっぴらごめんだと思っている。

四郎の凛々(りり)しいすがすがしさを、どうして保てるだろうと思うぐらい、つめこまれたご先祖さまたちは、こわい人ぞろいだ。
妙齢の女性のにおいをかいだだけで、発作的に女の首を折って息の根を止め、胃がだぷだぷになるぐらい、喉がいがらっぽく荒れるぐらい、血を飲んでやっと、人心地がつく……
そんなご先祖さまたちの記憶と衝動が、抑えても抑えても、端からめくれ上がりわきあがるのだった。

「メシまだだろ」
高橋がアバントの運転席でハンドルを握ったまま、助手席の四郎に声をかける。
「まんだ食べとらへん。高橋は」
「そうだろうなと思って、僕もメシ食わずに来た。途中のサービスエリアで、なんか食おう」
「うん」

「ホリさんに昼メシ連れていかれちゃうんだって? あそこの部屋、炊飯ジャーだのカップ麺の棚だのあるんだろ?」
「冷蔵庫も電子レンジもある。俺、よう断らんもんで、梅干とか漬物とかひじきとか野菜の煮たのとか持ってく。話きいとると、楽しいもんで」
「いい自衛策だな!」高橋は笑った。そして、「さっき、満代みてて思った。ご先祖さまたちが “血がまずそう” って怒るのもわかる」とつけ加えた。

「そうか」四郎は力なくつぶやいた。「真鍋さん本人に知られんようにするとて、俺、いっぱいいっぱいや」
「そうだよな、よろしくないよな」高橋はもうひとつ、と意を決して言った。「もうひとつよろしくないことがあってさ。……きいてくれる?」
「なに、なんやね」

「奈々ちゃんのこと考えて、最近自分がぼーっとしている」
「……つきあったらええのに」

「そっちが先約だろ。ちゃんとつきあえ、まずは十七歳いっぱいの時限立法でいいから」
「俺、……奈々瀬のこと、楽しいとこよう連れてったれやへんもん」
「……レジャーやレクリエーションと、恋愛は、違うよ。なあおい、奈々ちゃんに電話かけてくれるかな」

「うん」

電話嫌いの四郎だが、さすがに奈々瀬と携帯の番号を交換してからは、自分から電話をかけるようになった。進歩だな、と高橋は思う。

「……あ、もしもし、嶺生(ねおい)です。今電話ええ? 授業とかテストとかやあらへん?」
――うん。今、家だけど。どうしたの?

すずやかな声を耳にきく。この声を聴くために電話をかけることに、どうして緊張するだろう。
どうしても、自分の内側に、拒絶を予想してしまう反応がある。
「今なあ、有馬先生のとこ行くとて、高橋が運転して車に乗っとるもんで、ちょっと話できたらと思って」
話しながら四郎は、スピーカーに切り替える。

高橋が声を出す。「奈々ちゃん、元気?」

――あっ、高橋さん。元気です。お仕事忙しいんですか。
「忙しい、とは言いたくない。スケジュール管理がへたっぴだと申し上げたい」
――ふふ、高橋さん、がんばりすぎ。

黙って聞いている四郎の耳に、奈々瀬の声がはずむ。

自分が、以前には考えられなかったほど、おずおずと発語する。
そのせいで、奈々瀬もとまどう。
それに対して高橋は、四郎にもそうしてくれるように、
「話せてどれほど嬉しいかわかる?」
という感覚を、奈々瀬に伝えながら発語する。

奈々瀬が、嬉しそうに高橋の声を聞き、はずんであれこれ話す様子が、よくわかる。

それをすんなり、武術の型のように、まねられたらいい。
けれども、高橋の明るいまっすぐな声に似たようすが、高橋に対してはかろうじて出せても、奈々瀬に対して出し得ない。

「あはは。ねえ、何分ぐらい電話してていいの? 土曜の今の時間帯は、何してんの」
――お昼ご飯終わって、二時間ヒマ。今日はねえ、家のことをしたり、勉強したり。
「友達と遊んだり、買い物に行ったりは?」
――たまーに。

「ねえ連休、空いてる? そっちに顔出していい? ドライブいこうよ」
――わあ、行きたい。
「ほんとは夏休み中に、三人で海かプールぐらい行っときたかったけどさあ、安春さんが脳の血管切れちゃうだろ」
――そうですよね。絶対ムリ。わからないようにコッソリは行けない。水着やバスタオル、洗濯しなきゃいけないでしょ。

「だよねー。こっちでナイショで洗濯しといてあげるような荒行かけたら、きっと僕倒れるし」

――やだ、やめてください! もーう。

奈々瀬は、父・安春ゆずりの身体情報読みだ。
やめてくださいといいながら、奈々瀬は声に乗る高橋の奥底の傷つきまで、読み取ってしまう。

子供時代に同居していた父の妹――祐華(ゆか)おばさん――が、明るくふるまう高橋の、女性とのつきあい方をひずませている。
それをふっきるような軽いノリが、軌道を狂わせ、再び高橋自身を傷つける。

ハンドルを握って前を見たまま、高橋は隣に声をかけた。
「四郎、いいから会話に割りこめよ……っていうかそもそも、お前のスマホだぞ……わがもの顔でしゃべってくれ」
「ごめん、話、なに話してええか、思いつかんでごめん」

――四郎が話したいこと、話して……
「えっ」
四郎は高橋の顔を見て、それから急に、とんでもない話題を持ち出した。「あのな奈々瀬、俺やと楽しいとこ、よう連れてったれんでさあ。奈々瀬と高橋が、つきあったらどうやろうかてって、高橋に話したんやん」

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マガジン:小説「秋の月、風の夜」
もくろみ・目次・登場人物紹介
ネタばれミーティング収録先:高橋照美の「小人閑居」

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!