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子の刻参上! 二.くものいづこに(五)

益田が弁当を使っている間に、あれよあれよという速さで次郎吉は銀杏を剥き終わった。木具大工があれほどつとまらぬのに、和泉屋の仕分け棚をこしらえてやったときと同様、その手早さに益田は握り飯のつづきをかじるのも忘れて、思わず見とれた。

黄色と翡翠色の、ところどころの焦げた、てりのある色つやの小さい実が、ざるに山盛り一杯。
「はっはは、若様、ふたりで肩ぁ寄せて二十粒ほど炒るならまだしも、てえへんな量ぅおやりでござんした」

「うん……」益田は握り飯を持った手を、膝においた。「庭を、きれいにしようと思うての……」
「そこへ手紙や書付もった人どもが押しかけちゃあ、そらあにっちもさっちもいかねえやな」
なんとなく次郎吉にはわかったのだが、益田の若様の苦しみにはものさしのおかしさみたいなものがあって、一人きりだの二人きりだのになる見えぬ扉のようなものがこわれているらしいのだ。

三万七千人の敗死、という戦慄すべき天草四郎の状況をそのまま引き継いで、その壊れぐあいが “騙られ担ぎ出されて殺されておしまいになる” とのおろくの汲々たる悲鳴に連なっていることが感じられた。

ひそやかに一人働きをするのがなにより居心地のいい次郎吉には、それは塗炭の苦しみに思えた。

「火の始末はあとできちんと見やすから、さきにおかみさんにわけてきますぜ。わけてもわけても、こりゃあきっと海彦山彦に出てくる臼みてえに、きりがねえやな」

「ははは、海彦の臼は、私もほしいなあ」
「何をおっしゃるやら。和泉屋さんへ若い衆が際限なく運んでくるじゃあござんせんか」
「漁師は、魚に会えぬと、悲惨なことになるのだ。臼なら、置いておけばそこから回すだけで出てくる」
「へへ、きりしたんのえべっさんと大黒さんも、寝て暮らす臼はくれなさそうだい」

益田はやっと、楽しそうに笑った。
「寝て暮らしたいのはやまやまだが、われら一同、“なまる”と、命にかかわるからの」
「一同?」
「私も、次郎さんも、狐も。和泉屋の面々も、なまると魚扱いがぬるくなって、次々腐らせてしまう。早崎屋の面々に至っては、漁そのもので人死にが出続けておっての。なんとか命を拾える仕掛けができぬものか、ほうぼうに人をやっておるのだ」

「そ、そりゃあ……」

「楽な仕事は、お天道さまの下には、一つもない。たといしゃべっているだけと見えて、そのじつ、欲と欲のつぶしあいやら、裏切りだの寝首かきだののさぐりあい抑えあいやら、しゃべりだけで心と命のやり取りをしているものもおるからの」

益田は弁当を半分残したままで、立ち上がった。「どれ、弁当の途中で行儀は悪いが、私も一緒にぎんなんを渡しにいこう。昼からこっち、苦役になってしもうたから、晴れてことが終わった、とこの手に持たせてやろうず」

「それじゃ、おいらはたき火の跡に、もいちど水くんでかけてきやす」
「火は、おそろしいからの」
「へい」

ふと気づいたように、益田はつぶやいた。「次郎さんは、念入りに確かめてくれるところがあるので、私はそれが好きだ」

「そ、そうですかい」

「賭場にいる時と、ぐいぐい酔っていくときには、ぬしから、その念入りさがどこかへぱあんと、ふっとんでしまうので、私はそれが悲しくなってしまって嫌いだ」

うっ、と次郎吉はうめいた。
「そんな……風に、言われっちまうと、おいらぁ……」

「受け止めきらぬことを、いきなり、つきつけ過ぎたかもしれぬ。ゆるせ」
益田がうつむいた。

(心の臓に鉄扇をぴたりとあてるような言葉を使う方だぃ)

やっとのことで息を忘れていたことに気づいた次郎吉は、忍び込んだ屋敷にこういう侍がいたら、一巻の終わりだな、とひとりごちた。

この人は、ことばにならぬもやもやとしたものに、まるで投網をなげてとらえたり、見えぬ正体に粉をふって、かたちをあらわにするように、ことばをあてなさる。

和泉屋の旦那に、ハナの良さで仕事が勤まらぬ来歴を明らかにしてもらったあの時の驚きと、性質は違う何かだった。

次郎吉のなかには

(自分の人となりが、もっと輪郭をはっきり自分でとらまえられるまでは、この人たちから、離れちゃならねえ)

そういう思いが、少しずつだが、わいてきていた。
くじけていたが、息を吹き返した意地……

意地とは違うのかもしれない。
狐の早足に、遅れるものかとついていったあれは、意地であった。

二十五、六歳で、なんのとりえもなく捕まり死に終わってしまうところから、何かを手がかりに生き延びていかれるかもしれないような、

~それだけとも言えぬなにか、やはり言葉にできぬのであった。


次郎吉はうつむく益田から目をそらすように、「さあっ、ざるを、お持ちくださいやせ。若様が落ち葉はきしなすって、ぜえんぶ下ごしらえなすったやつだ、ずっしりあったけえや!」と、ざるを益田に渡した。

「ああ、ものすごくあったかくって、よい色だ……この色あいを散らした小物を持ってみたい」
「おや、若様は夜目がききなさる。おいらぁもう、色味はとうに、見えやせん」
夜目のきかぬ次郎吉の、少し前にたって、ゆるりと歩き出した益田であった。

「夜はちゃんと、家の中におるくちだの」
「へい、ひとさまの引き出しぃあけるときぁ、たいがい、昼ひなかでござんすよ」

「大工とくらべものにならぬほど、そちらの仕事がしやすいようだ」

「見つからねえか、きやっきやしてるときぁ、身も世もねえ苦しみでござんすがね。
……ああ、おいら、親父に勘当されたことだけで荒れてたわけじゃあねえんだな、おいら、おっかあを泣かせた自分が嫌で、けどどうしようもねえってんで、飲む打つに逃げてたんだあ。まいったなあ、どうしようもねえや」

「どうにかしようはなくとも、ほんのすこしのなぐさめがあるとないでは、また違うものだ。泣いてくれる母御であるなら、ぬしがなにかしてやれば、よろこびもするだろう」
「十両超えて盗んじまってる身にゃあ、なにかしてやるったって……」

なんと、部屋にはおろくはおらず、そのかわり狐が砥石で武具を研いでいる。そっと並べてしめりけを取られているぶんだけで、その数、四十あまり。忍びの仕事場に足を踏み入れては、と益田は歩をとどめた。気づかぬふりで次郎吉に向き直り、話のつづきを同じ調子で口に出す。狐の耳にはもう検知されているであろう。ゆっくり片付けるなりなんなりすればよい。

「使いをたてていちど届け物をしてやるくらい、足のつくことではなかろう。父御(ててご)に隠して、身に着けておれるような何かを買って届けて進ぜるがよい。値の張らぬものがよい、盗んだ金で誂えたわけではないとわかるようにの」

「はあ、さすがは益田の若様、人のよろこびそうなことを、ようく知っておいでる」
「ふふ、自分が何でなぐさめられるかは、ちぃとも知らぬ癖にの」

「誰だって、やさしいことを言ってくれる人間がいなきゃあ、自分が何でなぐさめられるかなんて、知りゃあしませんぜ」

「次郎さんもそうかい」

「おいらぁ、どつかれ慣れてんで」
「ゆるせ」
「おいら、殴られたりしばかれたりした相手からは謝られたことねえんで、口に出してみなきゃあわかんねえ言葉が、はねたりすべったりだけで、そうも謝られちゃあ、すわりが悪いんで」

狐がすたすたと歩いて二人のところへ来ていた。「あるじどのおん手ずから、ぎんなんのおすそ分けで」
「狐は、銀杏を食べても、毒ではないか」
「薬にて候」
「ではざるを持て、懐に塩を持って参ったのでの」
「はは」

塩を少しだけつけて、益田は次郎吉にしてもらったように、狐の口元に翡翠色の粒をもっていった。
「なんと」
「次郎さんに、子供のようにこうしてもらったら、はずかしくて、うきうきとした。われら一同、子供のあそびのようなものが、足りておらぬでの」

「……あるじどのには、よきことにて候」
狐のくちに銀杏が消えた瞬間、四肢も口もすべて使ってぶらさがったり渡ったり人を殺めたりを訓練され終えている下忍にとっては、その意味合いが心はしゃぐものなどではないのだ、と、さとった益田であった。

「狐、同じ動作でも、ぬしにとっては、意味合いの違うことであるらしいと、今知った」

狐は銀杏を何度も噛みしめて、変わらぬ表情でのみこんだ。表情は変わらなかったが、人として扱ってもらった満足が、狐の五体を満たしたのには違いなかった。
手がふさがっているときに、丸薬を含ませてもらうようなことでもあろうか。

「ざるの中身、下忍どもで分け合うても、構いませぬか」
「それがよい。本来ならばおすそわけなどという世間のことが届かぬ人々、人らしさに触れて動きの鈍るようなことがあっては申し訳がたたぬが、だからといっておすそわけをもらえぬまま死んでよい人々ではない」

「“とっとっと、こっこ(みんなでとっていっているよ、こちらへ来なされ)”を、しかと頂きましたぞ」狐は、ざるを抱え上げて、益田に頭を下げた。

ああ、それか、と、益田は瞑して自分も頭を下げた。


「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!