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準備メモ的なもの2

僕の ”第一読者”(草稿に目を通してくれ、原稿を待っててくれるという燃料役をしてくれる人) で、しろなな&たかてるの物語シリーズの中では「テラダサツキ先生」…として出てくるカウンセラーのお姉さんと、午前中1.5時間、skypeで話していました。

そこで「準備メモ的なもの1」の中に出たトピックが話題になったので、ここで共有。


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「孤独だ」という感覚は、作り手・書き手/描き手・経営者は、必ず持つ感覚です。
大事なのはそれが、構築・制作・経営判断などの作業に対して、品質や覚悟の面でよい形で寄与すること、ですよね。

「書き手は孤独だ」という感覚が、マイナスに作用してしまう書き手って、当人にとって未整理の、いろんな感覚の原因となる事象を、それにからめていると思われます。

その中の一つに、

「読み手が、わくわくしながら自分を待ってくれている」

という感覚が、現在ただいま、持ててないケース……も、あるのではないか? という話。午前中、テラダサツキ先生とそんな話をしていました。


僕なんかはコンサルファームでマーケッターと話す、といったビジネス経験があるので、「筆者と読者が、まるで別の宇宙で別の時間の流れの速さの中で、確かに繋がっている」というのを、納得して感覚することができるのですね。

具体的には、先の「準備メモ的なもの1」のなかの


書き手は営々と蜘蛛が巣を紡ぐように、たとえば50分の授業中に内職さえして更新分を書く。  ⇔  読み手は休み時間に3分で読んでしまって、「次!次どうなるの!」とせっつく。


というところに、書き手の 「ちくせう!」(←”ちくしょう”、を最近、パパさんの息子の小5弟君とこう言って遊んでます)という反応を入れたんですが。。。

これが、ある意味「うれしい悲鳴」だと自覚している書き手は、

「たしかに、読み手とつながって、共同作業をしている!!」

という絆のヨロコビの中にいるわけです。


ここで起きているのは、作り手が何百時間を投入した作品を、消費者が1分とか3分でガガガッと消費して、

「あああ、うまかった!次、次、おかわり!」

こういう現象なわけです。たとえていうなら、キツネ色まで炒めたたまねぎも牛スジも、とろけこんで形を失うぐらい、圧力鍋と通常鍋で煮て煮て煮込んで煮続けた、ホテルカレー。

「あっ!ホテルカレー! あっ、わあ、うまい! これうまい!なにこれ!」

おなかぺこぺこのお客さんが、まるで

「カレーは、飲みもの」

みたいな勢いで平らげて、テーブルで皿とシルバーちらかして

「ふうーーーーーー」

なんて言ってる。で、

「デザート!なんかスイーツたべよー!」(笑)

こういうのと同じ現象の中に、書き手と読み手とがいるわけです。


需要側に対して供給している場面、の飲み込まれ方散らかり方、に慣れていない書き手は、

「あんなに苦労して書いたのに……こんな短い時間でよまれちゃって」

と、その消費のスピードと執筆のスピードが

「おなじものさしの上の時間」

だと誤解してしまい、がっかりする、ということがあります。


実はその時間の流れは、文脈のちがう部分で、それぞれ流れているんだよ……

きみのよみものは、

待たれていて、とびつかれて、あっという間に平らげられる、という形で

読み手を、確かに、夢中にさせたんだよ……



そういうことを、補足解説共有しておこうな。と、思った次第です。


高校生のとき、『走れメロス』が大好きでした。

「待たれているから走るのだ!」
セリヌンティウスの命がけの信頼に対して、メロスは走ります。

この「待たれているから走るのだ!」という文が、本編の中にあるものだ、という錯誤記憶を、僕はずっと持っていました。

おとなになってから、メロスを読み返して、その一文がどこを探してもないことに、僕は愕然としました。


今なら、僕は自分にこういうと思います。

「第一読者を置いて、待たれているから走るのだ、根かぎり書き続けろ、と自分に言い聞かせているのは、ほかならぬ僕自身だ」

書くんだ。待たれているから、書くんだ。と。


「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!