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秋が終わる。十九歳と十六歳の。--成長小説・秋の月、風の夜(最終回)

場所を変えた。高橋は、四郎と奈々瀬を店ちかくの公園に連れて行った。
当初、近くの図書館を仕事場に予定していた高橋は、園内にすばらしく居心地のいい白木のテ―ブルとベンチのセットを見つけた。
懸命にせせってくるころあいの哀蚊(あわれが)も、風がつよいからか、みあたらない。

「僕はここで、合流時間まで仕事してることにする」高橋は四郎と奈々瀬に伝えると、車をおきに行った。

ざあざあと、まるで朝嵐のような風音が公園をとりまいていた。
日を浴びて、黄色、茶色、うすべにに色づいた木の葉が、キラキラとおどっている。トンボがしんどそうにぽとりと、ベンチに平たく休んで、うごかなかった。

四郎は木々のざわめきと景色にみとれた。

奈々瀬が一緒に歩くことが、どうしてこんなに心地いいのだろう。どうやら足音を立てず気配のない、四郎に刷り込まれた動きに、ある程度合わせてくれているらしかった。

「ねえ」
奈々瀬が四郎に声をかけた。
「なに」
きいて四郎は、あの甘いやさしい「なあに」という投げかけを、できない、と思った。したいのかどうかわからない。でもできない。

それには構わず、奈々瀬は
「なぞってつないでもらったとき、まずいかな。って思ったことがあるんだけど、聞いていい?」と聞いた。
四郎は「うん」とうなずいた。奈々瀬はたずねた。
「私の服装、刺激強すぎる?」

「肌みせがない分、スカートが短すぎん分、ありがたいんやけど。でも俺は、足首見るだけでも体の線が推測できるだけでも、もうだめ。あのな、奈々瀬な……去年より、胸、育っとるし……」
何に自分の視線が釘づけになるか必死で白状して、四郎は大きく息をついた。

「えっ、四郎、やっぱりそこ?」奈々瀬が自分の胸を腕でおさえ、四郎はその瞬間、奈々瀬の胸が「たゆん」と揺れるのを目撃してしまった。
「あっ」四郎は目をつむった。

「もうだめやで話題を変えます。……俺な、ご先祖さまのエサな、十八歳ぐらいから長くて三十五歳ごろまでやろ。やで高橋が奈々瀬のこと三十五歳まで預かっとってくれて、三十六歳になった奈々瀬と一緒におらしてくれやへんかなー。てって、ひどい都合ええこと、何回も考えたんやて。

聞いとって腹立った?
モノみたいな勝手なこと思っとるで怒るやろうなてって思って、よう言わなんだ。けどなんでも話してかな、あかんもんな」

「都合のいいこと、私も考えてた。四郎か高橋さんかどっちか、じゃなくてどっちとも、二人がお互い嫉妬しないなら、日を変えてつきあえないかなって。高橋さんが、四郎が黙って身を引いちゃうからそういうのはだめ、って却下だったけど。でもすごく勝手で都合のいい想像をしてみたの……」

「あ、ほんと?」
「ふたりとつきあったら、全然別の気持ちが味わえるんじゃないかって」

四郎は「俺もそう思う」と言いながら、案外頭の芯が冷えていくのを感じた。この年頃の女の子は、体の衝動に翻弄されない分、漫画や映画みたいな恋に恋する部分が大きくて、それを気持ちや体験というのかもしれない。

四郎は、憶測で終わらせずに確認しようと思った。
「奈々瀬。奈々瀬が気持ちとか体験とかほしいのに、俺自分の体の衝動に翻弄されとったら、奈々瀬のほしいもんと違ってまうやろ。俺、奈々瀬とおって、全然おちついとれん状態になったら、正直に言ってもええ?」

「言ってみて。反対に、私が心拍数とか体の反応とか読み取っちゃっても、引かないでくれるとうれしいな」

四郎はほっとしたような表情をした。
「わかった。俺、俺な、すごい衝動の波は激しいもんで。……高橋も、結構悶々とするてって言っとった。
女の子は男がどんだけ悶々としとるかなんて、話きかされやへんでわからへんもんな。脳みそ、テストステロンのシャワーは一日何回も浴びるもんで、とにかく平常心でおれん」

「なんとなくわかる。
それでね。私も、四郎のことをモノみたいに想像ふくらませちゃうこと、あるのよ」
「どっ、どんな」
四郎はこわいものみたさのように、しどろもどろになりながらたずねた。ちょっとだけ安心もした。

「ないしょ」奈々瀬は笑った。
「つないでなぞったらわかっちゃうかもしれないけど、今はないしょ」

会話にいっしょうけんめいで四郎は気づかなかったが、自分の状態を受け止めてもらえる実感がましたことで、奈々瀬に疲れを覚える感覚は減っていた。

好きな相手がいる。その人と話すことが、なぐさめやいたわりになる。
それはなにげなくて、誰もがたいしたことではないと思ってしまうたぐいの、僥倖や奇跡の一種だった。

手をすべりおちてから、価値に気づくたぐいの。どこにでもざらに転がっていると誤解して、失ってからうろたえるもの。
ことばにならなくても、それにうすうす感づいて、四郎は息をひそめていた。

おじいさんが小学生の四郎に「あきらめろ」と言ったもの……挑めるならそれに挑む。
普通のひとの、普通の生活。人とつながる、安心してつながれる人がいる日常が続けられて、やがて人生という大河になること。

「四郎」
「なに」

なあに、はムズカシイ。岐阜弁は時に、つっけんどんに聞こえる。

「四郎、なにってきく時、何考えてるか教えて?」
何かにつっかえている、と察した奈々瀬がたずねた。
「あのな、高橋と奈々瀬やとな、互いに呼びかけたあと ”なあに” てってきくやろ」
「そうよね。今、四郎も言えてたでしょ」
「うっ……!?」

「今真似してくれたとき、言えてたでしょ。 もっぺん、互いに呼びかけたあとって説明つきで、真似して言って」
「互いに呼びかけたあと、なあに、てって」
「もう大丈夫ってまで、てってをつけてて、慣れたらそっと手をはなすみたいに、なあに、だけにして」

「なあに、てって……なあに」言いながら四郎は、なんとなく愉快になった。「甘い言い方やんなあ」
「四郎がそんな風に甘い言い方してくれるの、嬉しい。なに、なんやね……も、なあに、も、自由に選んで私に投げかけてね」

不意に、高橋が「単なるスキルなんだ、練習だよ」と言ったことが腑に落ちた。

性格上ムリだとか自分に合わないとか理屈をつける暇もなく、練習をリードしてもらえて、うまくいってしまったではないか。
まるで四郎が、護身術を知らない人に護身の基礎を手渡してやるときみたいに巧みだった。「強み以外は要介護」とは、からっきしなところは、それが強みの誰かがカバーしてくれる、人は互いにそういうものだ……というマインドでもあるらしい。

奈々瀬といたい。手をつないで、簡単にやりとりや表現のぎこちなさの先に抜け出したい。楽しさや幸せや生きがいを知っている人たちが、こっちこっち、と手をひっぱってくれることに素直でいたい。

「私ね、恋愛は相手次第。って、考え違いしすぎてたかもしれないの」
「どういうこと」

「四郎とならうまくいくかしら、高橋さんとならうまくいくかしらって、あれこれ比べてたの。失礼でしょ」

「そうかな。俺どう考えたって、俺より高橋との方が、うまくいきそうに思う」奈々瀬が言っていることがわからない。四郎はとまどいながら答えた。相手次第とは、考え違いではなく真実ではないのか。

「俺とおって苦労したり一緒に苦しんだりするぐらいなら、奈々瀬が毎日たのしていろいろ嬉して、何歳までにこれやりたいなーとか実現しやすいのは、高橋と一緒の方が簡単やし、いろいろ深いことも味わえそうやんか」

「それがね。やりたいことや仕事を助けてくれる人と、恋の相手は別でもいいんだって気づいちゃったわけ。あと、たとえば去年の冬、急に殺人犯に狙われたり、リナさんたちで言えば急に子供が殺されたりって現実のまさかがふりかかってきちゃったとき、四郎以外の誰もどうしようもなかったでしょ。だから最初のうまくいきそうなんて、ある程度で、すべてじゃない」

四郎にはすっかり遠い記憶になっていたことを、当事者として奈々瀬はずうっと考えていたのだ。だから「自分はどうあるのか」を一生懸命言うのだ。

「だいじなのって、私がどういう態度で恋したり愛したり受け止めたり受け入れたり断ったり、感じたことを伝えたりするか、なのかなって。そういう意味で、まずは自分次第。相手はその次」

「あ、待って、難しい、ついてっとらへん……」
「そう、どこ難しかった?」

「自分次第の次に相手次第。俺に限って言えば、相手によってすごく違う自分が出たり、話も通じんようになるで。相手次第の部分が多い気がするで、そこがわからん」

「あそっか」奈々瀬はきゅっと四郎の手を握って、うふふと笑った。「話が通じる相手に限ってみて。高橋さんに出してる四郎と、私に出してる四郎と、全然違う?」
「違う……俺、奈々瀬とおると、ときどきすっごいおちつきがのうなる」
「恋しちゃったらジェットコースターみたいになる、私もそう。だからさっきの話するまで、キュンキュンとかドキドキとか、もっとほしい! もっと感じてたい! くださいください、なんて思ってたの」

「高橋ならさあ、”もう、思ってくださーい、あげますあげますって感じだよ!” てって言いそうやん? 俺からは、あげれんような気がするけど、かわええ……」

奈々瀬は、四郎がかなりがんばって表現してくれたことと、「かわええ……」に、きゅんとした気持ちを味わった。(もっとくださいと思ってるときより、自分は何を渡せるかな、と思ってる時の方が、いっぱい受け取れるみたい)と感じた。

「かわいいって言ってくれてありがと。
でね、くださいくださいってばかり思ってくとしたら、それって気づかないうちに、くれくれちゃんになっちゃった。ってことでしょ。そうすると、さらに相手次第になっちゃって、ああしてくれない、こうしてくれないって、うまくいかなくなっちゃいそう。
だから今は、自分は何を手渡せるのかって考えようとしてるの。そしたら結果的に、いっぱいいいもの受け取れてるかもって。そういうハナシ。また変わるかもしれないけど」

「おー。わかったー」四郎は安心した声を出した。

そして四郎は、ん? という顔をした。「なあ奈々瀬、奈々瀬は、他人から話わかりにくいてって言われて落ち込んだり、自分で話下手やてって思ってがっかりしたことない? 俺ようあるもんで、どうしたらええやろ」

「大丈夫、だいたい通じる。今みたいに難しいとこだけとりだして、やりとりを続ければいいだけでしょ。たぶん四郎に、話わかりにくいっていう人は、四郎のこと理解したい! わかろうと努力したい! って気は、あんまりないわよ。愛着土台が作り直されるまでは、緊張しながら警戒しながらこちらが持ち出す価値のある相手じゃないと思う。放っておけばいい人たちだと思う」
「切り分けうまいな……俺の話、通じる? わけわからんことない?」

「誰にも伝わらないとか、生まれつき嫌われてるとか、赤ちゃんのとき入れられちゃった前提につかまらない限り、わかると思う。四郎が失望しちゃって言い直せなくなることを、二人で防げればいいかな。そういうときとっても疲れるから、お互いにちょい待ちしようね」

「うん」

「でね。四郎か高橋さん、一人をしっかり選んで恋や愛っていう人間関係に取り組むってことしないと。って思ったの。

私、恋や愛は恋や愛だと思い込んでたの。あれって、実は人間関係だったの。のぼせあがったときの、って条件がつくけど、人間関係なのよ。

人間関係に取り組むんだって実質を間違えたら、私は、わけのわかんないことしだして全部だめにするわって思ったの」

「すご」四郎はため息をついた。「俺にとっての恋てって……奈々瀬の顔みとったり、変な汗が出ることやったり、キ……キスとか」(キスとかその先とか)

四郎はまたもや目をつむった。つむった目の裏で、さっき見てしまった「たゆん」という揺れが再生される。

「違う人の違う脳で考えてることだから、お互いにこういうものを手渡してほしいって伝えあって、満たしあえたらいいんじゃないかしら」

相手を察してただ合わせるのではなくて、こういうのがほしいと相手に言う、確認する、すり合わせるということか、と四郎は理解した。

「こういうおしゃべりで、奈々瀬はココロが満たされた感じとか、つながった感じとか、もらえとる?」
「すごく楽しい。こんな感じ、いいな」

「なあ」四郎が奈々瀬に、わずかに頬を寄せた。

とうとうたずねた。
「キスしても、ええ?」

奈々瀬は、目をつむって、あごをあげた。

唇がそっと、唇にかさなった。
そして、離れた。
やわらかい、と思う間もなく離れた。

「あのな」四郎は、そっと告げた。「えらい、へたくそで、ごめん」
「ファーストキスって、あっけないのね」奈々瀬は言った。そして、笑った。

それから、いくぶん斜めに、奈々瀬が四郎の唇に、花びらのようなくちびるをつけた。
奈々瀬の唇が、半分だけひらく。そして、互いの唇をわずかに挟むようにしてみた。
四郎の唇は案外、するんときめがこまかかった。奈々瀬の唇は柔らかくて、どきりとする質感を四郎の唇にのこした。

リップクリームを塗っていないくちびる。四郎はおちつかなかった。奈々瀬がそれを選んだとしても、おちつかなかった。
人が自分を気づかってくれたり、自分がムリなものを押しつけないでいてくれるなんて、おちつかなかった。

唇が離れた。

「キスってどうやるのかしら。高橋さんにキスの練習、って教わったとき、あんなにくらくらするほどすごかったのに、何がちがうのかしら」
「そうやな、なんかがすごく違うけど、何が違うんやぜんぜんわからへん」

「わかんない……」

二十三歳と十九歳では、みている恋の景色は、まったく違う。
しかも家に縛られて友達もいなかった十九歳では、唇をつけるだけで大冒険だ。

二人は、あまりのわからなさに、うっかりわらった。

なおも思い出すように、形のよい口元を半分ひらいた四郎が、記憶を掘り当てた。
「あっ、あんとき高橋、唇のもっと内側で指はさみよった、あっつい息もあたったし奈々瀬の指濡れたやん!」
「やぁん」奈々瀬はまっかになった。 ”つないでなぞ” った四郎と自分とが、キスの練習をしたほうとされた方、双方の感覚を把握している。つまりそれは、三人でキスしたのとまったく変わりがないぐらい、混ぜ合わせになってしまっているということだ。
「やめてぇ、エッチすぎる……」
「やめる」うわずった吐息とともに、そんな風に四郎は言って、ぎこちなく奈々瀬を抱いたまま、空を見上げた。

秋が終わる。
十九歳と十六歳の秋が終わる。

今、ほんの今という瞬間しかない。それは通りすぎていく。
通りすぎていくこの体験の、二度とないみずみずしさ、せつなさ、あっけなさは、どうだろう。

奈々瀬が十八歳をすぎて、ご先祖さまたちの「エサ」の年齢に突入してしまって、会うと危険になるのなら、親しくならないほうがいい。四郎はずっとずっと、そう思ってきた。

けれども。
残った二年を、一年を、半年を、一ヶ月を、一週間を、一日を、懸命に、懸命にかさねるとしたら、どれだけ思い出を残せるだろう。
別れを覚悟して、それでも向き合うとしたら、互いにどれだけのものを渡しあえるだろう。

「会えなくなるのなら、はじめから親しくならないほうが」と目をそらし、四郎はずっとずっと当事者であることから立ち去ろうとしていた。
大怪我をさせたら、殺してしまったらという恐怖をどうしていいかわからない、と告げることができる人がすでにいる。
それはまぶしいぐらい恵まれている神様からのプレゼントだと気づけないほど、おびえてがんじがらめになっていた。

四郎はそっと、奈々瀬から手を離した。
ご先祖さまと「奥の人」は、いつか車の中でしていたように、なるべく身じろぎしないで協力してくれていた。キスがおわったので、そうっとうごめきはじめた。

「すごいことしちゃったって、思ってるの?四郎」ふふ、と奈々瀬が微笑した。
「うん」四郎は恥ずかしそうに、うなずいた。「奈々瀬、わかってくれること、ありがとうな。嬉しい」
奈々瀬は、四郎のあごのラインを見たまま、「うん」と答えた。

ややあって四郎は、
「……俺で、よかったの?はじめてキスした人、俺で」
そんなふうに聞いた。

ちょっとびっくりしたように、奈々瀬は目をみひらいた。
そうして、黙って微笑した。

「……四郎が好き……四郎がいい」奈々瀬は、じぶんから手をつないで、それから向き直って、四郎の腕に頬を寄せた。
初めて会った夜、コートを着せかけてくれたときの、あのにおい。ちょっと熱いくらいの体温。

――完


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長い長い長い「下書き」でしたが、ついに最後までお目にかけることができました。お付き合いくださった方、本当にありがとうございます。感謝します。
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Cast  嶺生四郎 額田奈々瀬 高橋照美 ほか 

【協力】殺陣指導 中野弘幸




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マガジン:小説「秋の月、風の夜」0-99
マガジン:小説「秋の月、風の夜」100-
もくろみ・目次・登場人物紹介

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!