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作られてしまった神経反射ネットワークの、作りかえに取り組むには。【物語・先の一打(せんのひとうち)】20

《前回までのあらすじ》 額田(ぬかた)奈々瀬は、松本に住む女子高生。父親の転職に関する両親のケンカを止めそこね、感情暴発した母親に怪我を負わされた。初恋相手の四郎……の親友・高橋照美の名古屋の家に緊急避難したのが昨晩。さきほど父親と合流し、転職と引っ越しに関する意向を高橋が聞きだした。四郎が「タイムリミットの一年と二週間後ぎりぎりまで、奈々瀬を心から大切にしたい」と意見表明したまではよかったが。案の定結果は、不承服保留で……。

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安春が四郎をみて、口を開いた。

「四郎君大丈夫か。無理をするな。気づかれないようにしようとしないで、状況を伝えてごらん。いやだめかな。緘黙しちゃうかな」

四郎のからだの震えが止まっていない。なんとか止めようとしている。脂汗が出るほどのショック状態になろうとしていて、そのしんどさをさらに抑えつけようとしている。

「俺」四郎は机の木目をすがるように見ながら、やっとのことで口に言葉をのぼらせた。「意見が違うと」息ができていない。「おかしく……」

奈々瀬が四郎の手に、自分の手のひらをそっとかぶせた。「しゃべるの無理だから、軽く軽く ”なぞっ” て」

”つなぐ” と ”なぞる” は、四郎のご先祖さまたちが ”エサ” の首を折る前、無抵抗にするため使っていた技だ。奈々瀬だけはわずかの間、意識が飛ばずに起きていられる。

四郎は軽く軽く ”なぞっ” た。奈々瀬はその軽い軽い ”なぞり” に対して、一瞬頭をぐらんとさせたが、もちこたえた。
とたんに奈々瀬の観察と仕分けと言語でのまとめが、四郎になだれこむ。四郎はその情報群に「口を貸し」た。

「今反応してるのは父親と権威者というグループへの対応部分、
虐待されて潰される感覚が、意見交換の場面をその前触れと識別して反射でリンクする、
父親が有無を言わさず殴る蹴るで価値観や判断を押しつけるから、違う意見、と認識したらすぐ過去暴力を受けた記憶が引き出しから出てくる、

違う意見に触れただけで痛めつけられた時の反応が直結する、
反射系ぜんぶイマージャンシーになっちゃう感じ、

普段自分の意見を言えないのもこの反応経路由来、
自分の意見は相手の暴力暴言のトリガーになるから、
いつ何が来るかわかんないから警戒を解かない、
スイッチ入りっぱなし、

自分の意見言ったときにはもう無意識に覚悟していて、
体細胞全部が痛めつけられる前提でうずくまる用意をする、
とにかく早く終わってくれるまで無感覚でやられるに任せるモードで
大脳の血流が変わる、
少しだけ脳の委縮がみられる部分もある、

そこへ違う意見を与えられると、
うまく立ち回らないと暴力暴言がふりかかってくる前提で
海馬偏桃体辺縁系全部が緊急避難するので、

通常のディスカッションをこなすとき、これを抑えつけて苦痛に耐えながらやらなければならないので苦痛の上書きをやってしまう」


奈々瀬の口ぶりでぼそぼそ発語しながら、四郎は、理解の進みに驚いていた。ふと我に返って、奈々瀬をいったん切り離した。奈々瀬はぐらんと机につっぷしそうになって、かろうじて頬杖をついてごまかした。”つなぐ” と ”なぞる” が安春の目に危険に映らないように。充分キケンなので。


そうだったのか、そうなのか……
だから、学校のディスカッションも人になにか言われたこともぜんぶ苦しくて苦しくて仕方がなかった……
意見交換がはじまったり、自分の意見を求められたりするのが全部、痛めつけられる前触れとしか認識されていない、この体を治してやらないと……

方法はわからないけれど、治してやらないと……

安春が額に手を当てた。
「ああー、私に面と向かって話せなかったのが改善できたから、それで深堀りせずにいたな。
父親とか権威者というくくりに、私も入っちゃうからなー。まあそれだから、学習の組み換えには私がいたほうがいいっちゃいいんだけれど。

虐待への学習性無力感を持ちながら無理やり意見を表明させられる部分と、相手を認識仕分けずにすべての外的存在がこうする、という原始的な把握をしてる部分と、両方がっちり作りあがっちゃってるみたいだね。
強い安心と快を伴う新学習を、何度も入れてあげながら書き換えてやらないと、なかなか薄れないな」

そして奈々瀬に聞いた。
「奈々瀬、そうしてあげたいのかな」

奈々瀬は黙ってうなずいた。
「四郎君、全身全細胞が緊急反応してるときにあえて言って申し訳ないが、奈々瀬をお母さんがわりには、しないようにしなさい。認知の経路が一部同じだから、混同しやすい。もしもパートナーをお母さんがわりにしてしまったら、その時点でその関係性は対等性を失って失敗するからね」

四郎は返事もできずに、ただこわばったままうなずいた。



「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!