コロナで得た心地よい孤独。

2020/07/02


今日はショーペンハウアーについて。

「自ら孤独を選び、自由になる」


コロナで外出自粛していた2か月間、
すごく快適でストレスフリーだった。

人に会わないのも、外で遊ばないのも、
しなくてよかった。

「誰と会っているか」「どれだけ遊んでいるか」「どこに行ったか」「恋人がいるか」

普段はあまり気にしないようにしているけど、
ネガティブな気分の時は他人のそういうのが気になる。
コロナの2か月はそういうのを気にすることなく、
自由でのびのびと一人の時間を楽しめた。
そんな日々が本当に心地よくて、
社会や経済が周り始めた今、少し恋しくなる。


なんでその時間が恋しいと思うのか。
今日たまたまショーペンハウアーの言ったことを読んで、すごく納得したんだ。

ショーペンハウアーはこう言ってる。


私たちの中には常に「意思」というものがあって、これが生き続けるために絶えず動いて変化している。そしてこれが私たちの苦しみを倍加させている本能や衝動なのだ。この苦しみから逃れるためには「意思」の束縛の手からすり抜けないといけない。世間の騒がしさから離れ、世間に氾濫しているつまらない価値観や闘争に縛られないこと。


ショーペンハウアーは私たちに「孤独=Solitude」でいることを進めている。「Loneliness」ではない。「Solitude」には寂しさはなく、愉快なほど自由であり豊かなものだと。

一人でいられないというのは、常に世間の価値観と合わせて毛局のところ他人の意見や思惑の奴隷になってしまう。「意思」の呪縛だ。

孤独を心地よいと感じられるためには、自分の中身を充満させておくことが大事らしい。
普段からたくさんの疑問や関心を持っていれば、それらにかかわるためにいくら時間があっても足りない状況になる。つまり退屈や孤独を感じる余裕などなくなるのだ。

なるほどと思った。

人と話すこと、会うこと、それはそれでとても大事にしていることだけれど、
わたしは必要以上に考えすぎてしまうことがある。
気を使ってしまうことがある。
自分を綺麗に見せたくて、作ってしまうことがある。

この2か月で「自分自身でいること」の心地よさを学んだ。いつもの日常がもどってきても、これがなくなるわけではない。


いろいろな「意思」に翻弄されず、心地よい孤独を忘れないでいたい。

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