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小説から学んだ2つのこと


先日、半沢直樹の小説である「銀翼のイカロス」を読んだ。


ここであらすじを書いたところで、これからそれを読もうとする人の楽しみを奪うことになってしまうので、今回はその本の中で一番印象に残っている言葉について紹介させていただく。


それは、半沢直樹が勤める東京中央銀行の頭取が、物語の最後に半沢に言った言葉である。



「物事の是非は、決断した時に決まるものではない(中略)評価が定まるのは、常に後になってからだ。もしかしたら、間違っているかもしれない。だからこそ、いま自分が正しいと信じる選択をしなければならないと私は思う。決して後悔しないために」



小説の最大の醍醐味はこうした人間の信念やその人の哲学を物語を通して触れることができることだと僕は思う。

きっとこの頭取の言葉はこの小説を読んでいない人でも理解することができるだろう。

しかし、小説を読んで、頭取がこの言葉を発するまでのストーリーを知っている読者は、読んでない人の何倍、何十倍もの言葉の重みを感じることができるだろう。

それまでの物語を知っているか知っていないかで、その言葉が心に突き刺さる度合いが違う気がする。



ここで少し、この頭取の言葉から学んだことについても書きたい。


僕は頭取が言う「いま自分が正しいと信じる」選択ってとても難しいことだと感じられた。

その選択がどのような結果を生むかは分からないし、その選択で失敗したら自分で責任を負わなくてはならない。

そもそも僕は、この言葉から

(そもそも「正しい選択」って何?それって存在するの?)

と少し投げやりな考えを持った。

しかし、この私の甘く浅はかな考えを別の本が一蹴してくれた。


それは、現在読んでいる「正義の教室」という本。この本を簡単に言うと、哲学を学べる小説。

ストーリーのおかげで難解な哲学がスラスラと理解できる。

正義の教室には次のようなことが書かれていた。

たとえば、仮に『絶対的な正しさなんかない』と主張する人がいたとしよう。一見、彼は何の正しさも信じていないように思える。だが、実際には彼は『正しさなんかない』ということを信じているのだ。


結局僕は、正しいことはこの世に存在しないことが正しいと思っていたに過ぎなかったのだ!

僕は正しいことは存在しないと思うことで、より客観的で広い視点を持とうとしていたけれど、それは正しさを自分なりに突き詰めることから逃げていたことに気付かされた。


多くの本を読んで、様々な経験をして、色々な人と話す。そして、選択する時がきたら蓄積した知識や経験をフル活用して、頭取が言っている「いま自分が正しいと思う選択」を自信を持って行う。

今の僕は、こうした少しでも良い結果を生む出そうとすることが選択を迫られた時の正しい選択だと信じている。


最後の方、何を言っているのか自分でも分からなくなってしまった。

結局このnoteでは、「小説って読んでいて面白いし、物語から学べることがたくさんあるし、すばらしいもの」「いま自分が正しいと思う選択が重要」ということが言いたかった。

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