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2023 日本一時帰国(42)

December 25, 2023 
回天と特攻について学ぶ

徳山→大津島→回天記念館

正直、あまり好奇心などから行くべきではないのかと思った。
ただ、昔、同じゴルフ部だった同期が、ゼミ合宿で大津島に行き、回天資料館に行ったという話を聞き、いつか行ってみたいと思っていた。でもなかなか行けなかった。

たまたま、旦那も回天については興味があったらしく、フェリーの時間を合わせたりするのは結構リスキーだとは思いつつ、やはり今回の旅程に入れることにした。

回天訓練基地跡や回天記念館や回天訓練基地跡は大津島にあり、徳山港から出ているフェリーを使う必要がある。

運行時間などはこちらから。

ポートはわかりやすくはないが、それなりにサインに従って進むと駐車場に到着する。

チケットを購入したあとは、時間があるので、すこし待合室をのぞいたりしつつ、外に出たりしていた。

人間魚雷回天の模型。

船は時間通りに出発。
工場がたくさん見える。夜景でも有名な周南エリア。

私たちは14:40の便を使ったので、いくつかの港に寄りながら、フェリーは40分で大津島に到着。

いきなり猫のお出迎え。
島って結構、地域猫がいて、かわいらしい。

一匹みつけたら、どんどん出てきた(笑)

回天記念館は16:30までなので、まず先に行く必要がある(帰りのフェリーは16:40か17:40のどちらかしかもう残っていない)。

回天記念館へ向かう途中に大津島回天神社を通り過ぎる。

10分足らず歩く(山を登る)と回天記念館に到着。
敵軍を見張る高台がさらに山の上にあるようだが、そこは通行禁止となっていた。

記念館がある頂上に到着すると圧倒される。
回天烈士の名を刻んだ石碑が並んでおり、入り口に通じるのだ。

入口の横には鐘が設置されている。
二度と不幸な戦争が起こらないよう平和を祈念して。

海を臨むように慰霊碑も。

回天のレプリカが外に設置されている。
思ったより大きい。

いよいよ記念館へ。

基本、遺書といったものは撮影が禁止されている。
展示物の詳細は回天記念館のホームページにも記載されている。

私の母方の祖父は私が2歳の時に亡くなり、ほとんど記憶がなく、父方の祖父はいちど夏休みの宿題で戦争について話をきく機会があったが、ほとんど話してくれなかった。話したくなかったような記憶がある。

両祖父とも、太平洋戦争には戦地に赴いているし、母方の方は、戦闘機のパイロットだったらしい。父方の祖父は身体が弱く、戦地には行けなかったので、どちらかというと衛生兵的な、医者ではなかったが医務的な任務を戦地でしていたとか。父曰く、祖父はシベリアにいたとからしいが、どうやって戻ってきたのかとか聞いたかもしれないが記憶にない。夏休みの宿題が残っていればいいのだが。。

おそらく、両祖父よりもう少し年齢が上の人たちが烈士として参加していたようではあるが、一部は祖父のような戦闘機のパイロットも招集されていたようだ。

太平洋戦争の末期、"天を回らし、戦局を逆転させる"という願いを込めて、人間魚雷「回天」は誕生したとある。その思いは今の私では想像できない。
今の自分よりよっぽど若い人たちが、日本を背負っていたのかと思うと本当に心苦しい。

大津島の回天基地は訓練所として使われていた。

回天の模型もある。映画「出口のない海」で使うには、俳優の身体が大きいため、すこし大きくしたらしい。

私は、海老蔵の「出口のない海」より、藤原紀香が宝塚歌劇団のスターを戦時中に演じていた時に回天に乗るために出陣した仲村トオルの記憶の方がある。
「愛と青春の宝塚」っていうドラマだった(調べたら)。
当時から、魚雷の中に人が入って、操縦するってどういうこと?って思っていた。
特攻といい、終戦間近の頃って考えることが、今ならおかしい感じがするが、祖母に言わせたら「当時は盲目的に勝てるって信じていた」らしいし、情報統制の怖さを感じる。知らないって怖い。長刀を毎日稽古して、米人に長刀で戦うように女学校で習ってたって。あり得ないわ。

資料館はもっといろいろあるのだが、写真を撮れないので、この程度。
楽しむところではないが、日本人として、特に太平洋戦争について学ばないでいるわけにはいかないし、それをどうとらえるかは各自違うだろうが、歴史を忘れてはいけないと強く思う。

この後は資料館を出て、回転訓練基地跡を含む、島に残った史跡を巡る。

(続く)

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