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お礼を言えない人たち

「ありがとう」と言うのはダサい?

 コンビニやスーパーなどのレジで「ありがとう」と言う客がいる。
 それに対して、こう主張する人たちがいる。
「買い物をして、金を払っているから、『ありがとう』という必要はない。むしろ、そんなことを言うのはダサい」
 と。

「ありがとう」は言う必要がない?

 SNSで上記の話題が何度も取り上げられているが、反応はどうだっただろうか。
 きちんと調べたわけではないが、私のTL(タイムライン。投稿された内容のうち、関連のあると思われる内容を自動で選択・表示してくれるシステム)では、過半数が「『ありがとう』と言っている」とか「直接は言わないが、おかしいとも思わない」などで、「お礼は必要ない」とか「そんなことを言うほうがおかしい」という意見は少なめだ。

 さて、上記のような主張は正しいと言えるのだろうか。
 本質的には、お礼を言わないことは、間違ってはいない。なぜなら客にはその義務がないからだ。
 買い物をして「ありがとう」と言わない客に、店が売るのを拒むことが出来るだろうか。おそらく、出来ないだろう。なぜなら対価を支払っているから。もしも「ありがとうと言わない客は値段を倍にする」などとしたら、どうだろう。むしろ、店が不当販売として怒られるだろう。

 客は「ありがとう」という必要はないが、「ありがとう」ということはおかしなことだろうか。
 私は、おかしなことだとまでは思わない。

お礼を言いたくて

 店員に「ありがとう」という客をおかしいと非難する人は、「ありがとう」と言いたい心裡が分からないのだろう。
 客が対価を払っているというが、それは商品に対してである。その金額には当然、店を維持するための利益が加算されており、それは店員の給与も含まれている。だから、仕事をした店員になんら遠慮はいらない。お礼を言う必要もない。
 では何故、必要とされていないのに店員にお礼を言う人がいるのだろうか。
 お礼が言いたいからだ。

 一度でも接客業をしたことがあれば、その大変さは分かる。
 したことがなくても、例えばスーパーやコンビニの店員が何をしているのかをきちんと考えれば、想像は付くだろう。
 まさか、レジに立って商品のバーコードをスキャンするだけだと思う人はいないだろう。
 店に運ばれてくる商品をバックヤードで管理する。棚が空いたら、商品を補充する。店内や店の周りを清掃する。客が来たら挨拶をする。客の商品をレジで精算する。買い物を終えた客に挨拶する。
 最低限でもこれだけのことをしなくてはいけないのに、タバコの番号(及び銘柄)を覚えなければならない。揚げ物などを扱っていたら、揚げなければならない。コーヒーメーカーも管理しなければならない。コラボが行われたら各種グッズを管理しなければならない。振り込みにも対処する必要がある。各種電子マネーも覚えなければならない。配達物の管理もある。
 店によってはさらに多くのことをこなさなければならず、客の少ない時間帯でも何かをしていなければならない。
 ただ、仕事が多いというだけでは他の業種でも同様で、接客業だけが特別扱いされる理由はない。
 だが、ここで考えて欲しい。
 上記の仕事は、本当に必要だろうか。

 外国人や、あるいは海外へ行ったことがある人が、日本で驚くことがある。
 それはサービスが充実しているということだ。
 日本人には当たり前だと思っていることが、他の国ではそうではないということは多々ある。
 国や地域でも異なるが、店員が客に挨拶をしないこともある。レジに並んでも、店員がゆっくり精算して、列がまるで進まないこともある。店員に商品について尋ねても、ぶっきらぼうな答えしか返ってこないこともある。店内のトイレが有料なのも珍しくはない。一般的な飲食店で水やおしぼりが無料で出てくるなど考えられない。これは安い店だけでなく、高級店でも見受けられるという経験談を読んだり、観たりしたことがある。
 日本は、教育が行き届いているとは言え、強要されているわけでもないのに積極的にサービスを行ってくれる。
 レジで冷凍食品をビニル袋に入れてくれることもある。商品のある棚の場所だけでなく、他の商品との違いや客の要望に合わせた説明もしてくれることもある。落とした商品を取り替えてくれることもあるし、スマホ決済のやり方を教えてくれることもある。
 先ほど、『客が対価を払っているというが、それは商品に対してである』と述べたが、これを店側から見ると、「商品を提供する以外のことには、対価をもらっていない」のだ。だから、本来必要のない行為を日本の店員は行っていることになる。
 極端な話、店員は無表情で商品を差し出してもいいし、金を受け取っても感謝の言葉を言う必要もない。そこには対価がないからだ。
 しかし、そんな店員の方が日本では珍しい。親切な店員の行動には、感謝の念を抱いてしまう。
 感謝の言葉が溢れ出るのである。

プライドの問題?

 では、「ありがとう」と言うのがおかしいという人たちは、感謝の気持ちがないのだろうか。
 こんな意見があった。そんな人は、サービスを受けるのが当たり前だと思い、当たり前だから感謝の気持ちが起きないのではないか、と。
 一理あると思う。
 たとえば、子供が両親に何かをしてもらう度に、お礼を言うだろうか。よほど厳しい家でもない限り、寝起きと就寝の挨拶と、食事の前後の感謝の言葉ぐらいだろう。
 Tという人物を思い出す。Tの父親は会社役員であり創業者の一員で、Tの母親と伯母も会社役員でありながら、家事もきちんとこなさないと気が済まないし、他人のものも積極的に片づけるような人たちだった。その反動か、TもTの父親も、家事や片付けに関しては全く何もやらない人になった。そのため、彼らと一緒にフードコートに行っても、他人に注文に行かせ、食べ終わった後の食器も他人に片付けさせる。そしてそれが当たり前だと思っているから、感謝の言葉が出ない。
 Tの父は社長と共に会社を興すために苦労し、どんな相手にも気さくに付き合い、誰にでも食事を奢るような人柄だったので、Tの父親に同行した人はむしろ積極的に動いていた節がある。だが、Tは会社役員の息子であることを鼻にかけ、自分の気に入らない相手が功績を上げて褒められると憎み、他人の悪口を根拠なく言いふらすような人柄だったので、Tの食事に同行した人はその父親に遠慮していただけで、取り巻き以外には嫌われ、あるいは侮られていた。
 少し長くなってしまったが、つまりTのような、自分のために他人が動くの当たり前だと思っているタイプは、感謝の気持ちがないから感謝の言葉が出ないのである。


 他には、プライドが無駄に高い人もいる。こういうタイプは、他人にお礼を言うことができない。
 なぜなら、「お礼を言う」→「頭を下げる」→「相手より自分の方が低い立場になる」という考えを持つからだ。つまり、自分が低い位置に降りるのを屈辱や敗北と感じる人である。「プライドが許さない」などと言う。
 そういう人たちは、プライドが高いのではなく、「自尊心が高い」だけである。
 考えてみて欲しい。本当にプライド、つまり誇りという考えがあるのなら、そのような態度には出ないはずである。なぜなら、その態度は相手のプライドを傷つけているからだ。相手の親切を無視しているからだ。
 相手はもしかしたら褒めて欲しいと思っていなかったのかも知れない。しかし、褒められたら嬉しいものだ。ところが、プライドが高いと思い込んでいるような人の中には、褒められたくてやっているんだろうなどと勝手に決めつけて貶める場合もある。
 プライドが許さないと言いながら、相手を侮辱する。もう一度言うが、これは相手のプライドを傷つける行為であり、それに気づかない無頓着な人は、単に相手の気持ちや親切心を理解出来ない、幼稚な人でしかない。


 相手の行動に敬意を払い、お礼を言い、相手のプライドを傷つけないよう配慮するのが、本当に「プライドが高い」人の行いではなかろうか。

人が喜ぶことをしましょう

 これは、「人が喜ぶことをしましょう」で完結できる話に過ぎない。
 もしあなたが何をして、お礼を言われたら、どうだろう。よほどひねくれていない限り、嬉しいし、喜ぶだろう。
 もしあなたが何かをして、貶されたら、どうだろう。よほどひねくれていない限り、悲しいし、怒るだろう。
  自分がお礼を言われて嬉しいなら、相手にお礼を言えば喜んでもらえる。それが直接に利益に繋がらなくとも、穏やかな人間関係は構築できる。心づかいの出来る社会を形成できる。

 敬意を払うことの出来ない、幼稚な人間になってはいけない。

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