素敵な同僚
なんとなく緩やかなADHD疑いを持つ筆者が、「最近少し、慌てなくなった」と前回書き、その理由の1つは、「そうした行動を優しくより良い方向へ促してくれるメンター的同僚がいてくれること」と書いたのだが、その人がどんな人なのかを自分なりに書いてみる。
昨夏に人事異動があり、8年ぶりに入社時に属していた部署に戻ったところ、私の班は私を含め女性3人の小さなチームになっていた。45歳のお二人と38歳の私。出自は違うものの、現在の暮らしぶりや家族構成も似ていて、繁忙期はバタバタだが、今のところすごく自由な雰囲気で仕事ができている。
一人は数年前にキャリア採用で入った人(仮にAさんとする)で、仕事がとにかく早く、状況把握が的確で、言葉選びが正確で、柔軟で率直で、臆さず、そして明るく体力があり、おそらくどこの会社に行っても「できる」と言われるタイプの人。この人とは顔見知りだったので、同じ班と聞いてホッとした。
もう一人は私と同じく編集畑にいた人(Bさんとする)で、うちの看板誌で長く働いた経験を持ちつつ、現在の部署では課内異動なども経験しているため3人の中ではキャリアが長い。顧客対応も必要なため、臨機応変な判断を求められることの多い現在の課の中で、誰よりも何よりも優しく、判断は速く冷静で、落とし所までのストーリーを描いてから、静かながらも確かな説得力を持って話す人。私には最初、皆に等しく優しいので心の奥がなかなか見えない人のように映っていたけれど、半年間一緒に過ごしていて、この人がものすごい「人を動かす力」を持っているということがわかってきた。
Aさんが北風ならBさんは太陽。どちらにも人を動かす強い力があるが、僅差で、私にも、そして周囲の人にも、「この人が言うならそうしよう」とより強く思わせるのは、不思議とBさんのように思える。それは「この人ならわかってくれる」という、経験に裏打ちされた豊かな想像力もそうだし、「こうしたらいい」という提案が、いつもとても現実的だからでもあると思う。
この人と話していると、理屈ばかり言って現実的なことが何も見えていない自分にはっとする。そして、それでは仕事は前に進まないということに気付かされる。
仕事って、セオリー通りに行かないことの方が多く、結局は人の複雑な感情で動いていることも多いこと、常識にとらわれずそこをよく見ていれば、意外と進む話もあること、などを38歳にして、ようやく少しわかってきた。
異動して間もないこともあり、何かエラーがあったときなどに私が「こういう視点が足りなかったかもしれない」などと反省の弁を述べると、その度にその人が言ってくれるのは「いやでもその視点で考えたとて、こういう展開になって同じ顛末になったかも、じゃない? 例えば次は、●●さんにここを頼んで、その代わりここをやる、とかするのはどう?そうしたらあなたも楽だし、この人も状況がよく見えるかも。」など、私を決して責めず、「冷静な視点だとそうかもしれない、自意識が強くて見えていなかった」と気づかせると同時に、全体を俯瞰したら、誰がどう動くとスムーズかを、まるでチェスや将棋の解説のように、明快に描いてくれるのだ。
これはもちろん私だけではなく、周囲で何かあるたびにこの人が取る言動で、この人には「全体を見る」ということができるから、「ここを無理しても仕方ない、こことここを動かせば良い」ということがわかるのかな、などと思いながら一緒に仕事をしている。こんな人のそばにいられて、今、すごく幸せだ。
そして言うまでもなく、気配り上手でリーダーシップがあり、いつもセンスのいいAさんのことも、私はとても好き。Bさんに習うことで、自分の良い面が伸ばせそうだと思うので、仕事のスタイルはBさんを意識して、慌てず全体を見て必要なことを順にやる、ということを静かに目指している。気持ちは逸るけれど、今はまず、慌てずにそれをしたい。
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