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意外と弱さあり。なぜマラソンやトライアスロンをするのか考

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やらない人にはわからない、マラソンやトライアスロン、ロードバイク等のハードかつ長時間のトレーニングをする人の心境。

想像するによっぽど強いメンタルと向上心があるのだろう、自分には無理だな、的に思われるのだろうなと感じる。

自分はロードバイク歴6年、ランニング歴2年、トレラン歴1年程度で、そこそこ持久系スポーツを趣味としてやってきた。

大会で優勝したりしたこともあるぐらいガッツリやっていたこともある。

その中で大会上位者と知り合ったり話したりする中で感じてきたことや考えたことを書いてみようと思う。


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そういうスポーツをする人のモチベーションって、確かに向上心や克己心、達成感等もある。

過去の自分を超えていく嬉しさや成長感などはやはり大きな喜びだ。


しかし自分の場合、それに負けないくらい大きな要素で不安の解消的な側面もあったように感じがする。

それは、自尊心の欠如というか、自己肯定感の低さといったものからくる、日々生活していく中でこんな自分でいいのだろうか、というものだ。

ダラダラと無駄に時間をを使っているのではないだろうか。もっと有意義な時間の使い方はないか?

こんな生き方でいいのだろうか。

自分はこのままでいいのか?

そんな感情に支配されている。


そんなとき、マラソンやロードバイクはいい。

そこそこハードなため、そんな不安を感じる余裕がない。

また、トレーニングをやり終えたとき頑張った感がある。

身体も鍛えられていく。痩せて締まっていく。

また、周囲からも強いメンタルと身体を維持していると思われる。

俺頑張ってるじゃん、と思えるし、周り話した時にドヤれる要素も強い。


次第に仲間もできてきて、一緒に練習したり大会に出たりするようになり、新たなコミュニティができて楽しくなる。

最初はそんな感情で少しずつ鍛えていく。

それがさらに進み、ストイックさが高まると、トレーニングを休むと今まで作り上げた身体能力が落ちてしまう、という不安が出てくる。


かつて出せていたタイムが出せない。

なかなか落ちた能力が戻らない。

以前一緒に練習できていた仲間達についていけない。

そうなると、一緒にいられなくなる。弱くなった自分はなんだか顔も合わせづらい。

そこでさらに頑張りトレーニングに勤しむ、というループに入るか、そもそも競技をやめちゃうパターンもある。

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そんな感じ。

筋トレにひたすら励むゴリマッチョ達もこんな心境ありそうな気がする。


もちろん、やってる楽しさ、新しいトレーニング方法や機材を知って使ってみる楽しさ、計画通り自分を鍛えられたときの達成感。

レースや大会の緊張感、レース後のスイーツや焼肉や温泉の開放感。

そこから派生した新たな人間関係。

いろんなプラスもある。

ランニングしたら機嫌や気分がよくなるのは、上下動の振動による刺激で脳髄液の流れが良くなるからとかいう物理的な影響もあるようだし。

ただ、トレーニングする人たちが、常に強い心とプラスの獲得だけを目指したエネルギーと自信にあふれた心境でやっているだけではなく、不安や弱さからの回避という弱い側面もある、というように感じている。

言ってみれば、トレーニング、スポーツに対する依存だ。

まあ体鍛えられて元気になって人との交流も生まれれば、どんな動機でもやらないよりやったほうがいいよねとも思う。

各自が自分にフィットした精神安定の方法を見つけていけばいいのだ。

以上、「意外と弱さあり。なぜマラソンやトライアスロンをするのか考」でした。

おしまい。

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