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小川淳也は、緊縮ではない 〜彼の言葉を理解する手引き〜

11月19日に告示された立憲民主党の代表選に
先日の衆院選で香川1区から選出された
小川淳也議員が出馬を表明しましたね。

彼は私と同い年で、考えていることも非常に似ていると感じているので、
とても親近感を感じているし、応援しています。
ですので、今回、代表選に出馬できる運びとなったことは
とてもうれしく思っているのですが、
世の中の人々には、彼に対してかなり誤解があるように感じています。

彼を批判する声は大きくこんなものがあります。
①彼は緊縮派である!
②消費税を25%にしょうとしている!
③維新と組もうとしている!

しかし、私は今回、彼の有楽町での街宣の言葉を聞いて、
その内容は、彼を批判する声とはだいぶ異なっていると感じました。

以前にも「人はみな、ちがう言語でしゃべっている」という
記事の中でも書きましたが、
https://note.com/tkma_fkng/n/nb118dacd2b7d
人と人とのコミュニケーションというのは、
それぞれが前提として何を思っているか、
ということが共有されていないと、
成立しないということがあるんですね。

同じ日本語だから言葉は通じているのだけれど、
その言葉を通じて、その人が何を言っているのかが
根本的に理解できないものです。

今日はちょっと特殊ですが、
小川淳也さんが何を伝えようとしているのか、
そのことについて書いてみようと思います。

まず、本論に入る前に、
私自身からも、あなたにお聞きしたいことがあります。

政治とか、経済とか、そういう難しい話とは別にして、
漠然としたイメージで構いません。ちょっと考えて欲しいのです。

今の世の中のやり方で、あなたは今、心から幸せでしょうか?
今の世の中のやり方が、これからも未来永劫つづけていけると思いますか?
そもそも、今の世の中のやり方について、考えたことがありますか?

そんな問いが頭の中に、心の中に、そもそも存在しているか。
それが最初の分岐点になるので、投げさせていただきました。

では、その問いを胸に、話を進めたいと思います。

<①小川淳也は緊縮ではない>

まず、最近、政治や経済を語る人たちの中で、
「緊縮派」なのか「積極財政派」なのか、という争点が生まれました。
このこと自体が、実は大きな前進なのです。

これは、なぜ我々の国が30年間も成長することができず、
皆の給料が下がり続け、生活が苦しくなり続けてきたのか?
という本質的な部分について、人々の目が集まり始めた、ということです。

それはバブル崩壊後あたりから始まって、
もちろん間にあった民主党政権もふくめ、その後の安倍・菅政権でも
ずっと踏襲されてきた「均衡財政」とか「財政赤字の解消」と呼ばれてきた
政府の誤った政策が原因だったということが、
少しずつ浸透してきたからです。

それが明らかになったきっかけはコロナですね。
コロナ禍を乗り越えるために、世界中の国々が通貨発行をして
この難局に対応しているのです。
日本は遅ればせながら、岸田政権がそちらに舵を切るかどうか、
という状況になっています。

「積極財政」というのは、国が新たにお金を発行して、
国民に対して積極的にお金を使うということです。
逆に「緊縮財政」というのは、国民にお金を使わず、
増税をして、その範囲の中だけで国を運営するというものです。
積極財政は国債発行によって財源をまかないますし、
緊縮財政では消費税のゆくえが代表例としてよく議論されます。

この点について、①の小川淳也は緊縮派である!という問いは、
明らかにNOです。
彼は「今は減税をし、積極的に財政出動をして
国民の暮らしの基盤を下支えする」と明言しています。
しかしここで重要なのは「今は」という一言を付け加えていることです。
そして国民の中に不安を感じる人がいるのも、
その「今は」という部分なのではないでしょうか。

<②今のまま、消費税を25%にしようとしているわけではない>

小川議員が、今までのメディア出演などの中で、
消費税を25%にするとか、100%にするとか、そんな発言があったことを
ヒステリックに反応する人がいますね。

確かに彼は「ゆくゆくは消費税をあげる必要がある」
ということを言います。
しかし、この言葉が意味することは、
それを聞いて拒絶反応を表している人のイメージとは根本がちがうのです。

ヒステリックに拒絶する人は、
頭の中身が「自民党政権のまま」なのです。
今の暮らし、今の社会のまま、消費税の数字だけが25%に引き上げられる。
そう考えてしまうから、拒絶が起こるんですね。

小川議員が言っているのは、まず社会を変える、仕組みを根本から変える、
もっと言えば「価値観」を変えるということなのです。
別の言い方をするなら、
「国民と政府の関係性を変える」「信頼感を変える」ということ。
そのような社会になった上で、消費税を上げるということなんですね。

どういうことか。

今、我々の生活はとても苦しい状況です。
そのまま消費税だけをあげるなんて、到底無理ですね。
つまり、消費税を25%上げても、それを支払って、
なおかつ豊かに、幸せに暮らせる社会を作る、という意味で言っています。

自民党が作り上げた、自己責任社会の中でそれをやるのではない。
むしろ、自己責任社会からの脱却を、
みんなの手で本気でやろうと言っているわけです。

そういう意味で言うと、
ある意味、れいわの山本太郎さんとも
非常に重なる部分があります。

皆さんは、いま、10%の消費税でも、とてもしんどいですよね。
それは社会全体が閉塞しているからです。
経済の格差が異常なまでに広がっているからです。

その社会が、そのままでいいと、あなたは思いますか?
思いませんよね?
今、世界中の人々が、そんな社会ではいけないと動き出しています。

その流れと同じことを言っているだけなのです。
消費税の支払いが苦しいような社会のままでいいですか?
そんなの、簡単に支払える社会が良くないですか?

そういう社会に変えようと言うことです。
変えるには、政府による手厚い生活保障が必要になる。
その前に、政府と国民との間の信頼関係が必要になる。
そのためには、政府が人材的にクリーンになる必要がある。

小川淳也議員はそういうことを言っています。
なので、自民党的な社会でいう消費税の話はしていないのです。
戦後、築き上げられてきた昭和の日本を、根本的に変えよう。

そう言っているのですね。

<③維新と組もうとはしていない・対話の在り方を示そうとしている>

小川議員が本気なのは、その「対話の姿勢」からわかります。
今、日本は「論破」という誤った、
非建設的な言論風潮に支配されています。

しかし、そのような流れの中に、誰もが幸せになれる
本当の健全な社会は存在しないのです。

人と対立して、その中で勝ったものがすべてをさらっていく。
それも自民党が作り上げた、誤った社会像であり、誤った常識なのです。
しかし、そこを変えなければ、
これからやってくる様々な「巨大な課題」を解決できないのです。

これからの時代、人類はみんなで対話しながら、
今までの世代にはできなかった新たな解決策を模索しなければいけない。
そのためには、今までは敵だと思っていた人の意見も聞き、
なぜそうなのか?ということを理解する必要がある。

彼は問題の解決を場当たり的な対処療法ではなく、
原因からの根治を望んでいるからこそ、
敵味方で争うのではなく、話し合ってみようというスタンスを持っている。

しかし、我々自身が、戦って言い負かすという方法しか知らないために、
彼がやろうとしていることを解釈する脳の回路を持っていない。
だから「維新とだって対話する」と言っただけで
「維新と組むといった!」となってしまうのです。

維新だって、自民党だって、みんな同じ日本人です。
そこは変わりません。
そういうことからスタートしない限り、これから我々が向き合うべき
本当の問題を解決できないとわかっているから、
彼はそういう言語でしゃべっているのです。

彼は「維新とだって対話する」と言っただけで、
仲間になろうとは言っていません。
仲間になれる部分があるかも知れないことの模索を放棄してはいけない。
そう言っているだけです。

では次に、なぜ小川議員の言葉が誤解されたり、
うまく通じないのか、ということを、少し掘り下げます。

<なぜ小川淳也の言葉は、伝わらないのか>

ちょっと映画のタイトルを利用させていただきました。
誤解なきように言うと、私には痛いほど伝わっています。
なぜなら、課題を共有しているからです。

見ている焦点が同じか、とても似ているからです。
そこがちがうと、言葉は通じません。

だから、彼が何を見ているのか、ということを
私なりに書いてみます。

<①課題設定が他の政治家や市民とちがう>

普通の政治家や、政治のことを気にする市民は、
政治について、政策単体で議論してしまいがちです。

それは非常に近視眼的なんですね。
まるで企業が半期ごとの利益に集中し過ぎて、
長期的には自然環境を破壊してしまうのと似ています。

彼は、そういうふうに物事を考えていないのです。
大きなゴールを見据えて、そこに向かってどうすればいいか、
という視点で物事を考えているんですね。

例えば原発の廃炉計画なんかでもそうですが、
最終的には事故を起こした原発を
まっさらに処理することが目標でしょうが、
そこに到達するまでに、どれくら時間がかかって、
その間にどんなことをしていくのか、ということを
ステップバイステップで計画しますね。

ロードマップなんていいます。

本来、国づくりだってロードマップが必要なのは当たり前で、
そのロードマップというのは、最終目標と、
今すぐやらなければいけないことというのは、
まったくちがう姿をしているものなのです。

普通の政治家は最終目標なしに、目の前の出来事だけで語ろうとします。

なぜなら、有権者が「国」とか「未来」なんてことを考えず、
「今」しか考えたことがないからです。
有権者が望まないことを、政治家はなかなか主張できません。

そういう意味では、安倍晋三の改憲論は、ある意味、えらいですね。
国民は本当は望んでいないのに、
自分の個人的な野望を実現するために、
国民が望んでいるかのような流れを作ろうと必死です。

これは安倍晋三さんの私利私欲の例ですが、
小川議員は国民のためになるカタチでそれをやろうとしているわけです。

つまり彼の政策は、
常に「ロードマップ構造になっている」ということです。
でも、市民の頭にはロードマップ構造が存在しないので、
なかなか伝わらないのですね。

<②彼は常に2050年を考えている>

いや、もしかすると2100年かも知れませんね。
とにかく、彼の頭の中に常に存在しているのが、冒頭の表です。
(見えるかな?)

これは、日本がこれからどのような人口の国になっていくのか、
という実像です。予定や予想ではありません。
人口というのは途中で増えませんから、これは確実にこうなる、
というものです。

おわかりのように、我々の暮らすこの日本という国は、
我々が今まで生きてきたような生き方を
そのままつづけられる状況ではない。

それが現実なのですが、
そのことをちゃんと国民に突きつける政治家はいませんね。
「少子化」とか「人口減少」と口でいう人はいるけれど、
その中身が、こんなに深刻なものだと捉えている人はいない。

そして、そこにプラスして「気候危機」の問題がある。
これも、まだまだ日本には温暖化懐疑論者なんかがいて、
そのデマを信じてしまっている人もいますが、
もう世界中が「今までのやり方」はやめて、
新しいやり方に変えなければならない、ということで前進しています。

SDGsもその流れの一つだし、人権意識の変革も、その流れの一つなのです。
いま、自民党がやっていることは、
世界・人類の流れに完全に逆行して、
古く、破滅的なことをつづけようとしているんですね。

そして日本国民も、見たくない現実から目を背け続けている。
だから、小川淳也の言葉の意味がわからないわけです。

でも、それがわかるようにならなければならない。
何を言っているのかを理解できるようにならなければならない。
彼の視点はそういうところにあります。

国民はお客さんではない。主権者であり、主体なのだと。
未来に対してそういう関わり方をしなければ、
自分の未来が閉ざされてしまう。そういうことを訴えています。

<③小川淳也が求めているのは社会の価値観の大転換である>

先日、私は国立環境研究所の江守正多さんが11月半ばに
日本記者クラブで行った気候危機のシンポジウムを動画で見たのですが、
その中で彼がこんなことを言っていました。

<ココカラ>

「脱炭素化」はしぶしぶ努力して達成できる目標ではない。
  ↓
社会の「大転換」が起きる必要がある。

「大転換」とは、単なる制度や技術の導入ではなく、
人々の世界観の変化を伴う過程。(例:産業革命、奴隷制廃止)

<ココマデ>

私は江守さんのこの話を聞いた時、
小川淳也さんが語っているのと同じだと思ったんですね。

小川さんは、この国で、価値観の大転換が起こらなければいけない
ということを本気で考えているんですね。

今朝のNHKの日曜討論で、小川淳也さんが掲げたフリップには、
こう書いてありました。

「対話型の新しい政治が創る 持続可能な社会」

これを読んで、非常に特徴のない言葉だと思ってしまうでしょうか?
私は、ちょっと身震いしました。
だって、今までのこの国の政治は、本当に国民と対話したことなんか
いちどだってないんですよ。
それはつまり、この国の政治の在り方、
政治と国民の関係の在り方を根っこから本気で変えるということなのです。

彼が望んでいるのは、国民がお客さんになるのではなく、
1億分の1の当事者として、
「国」や「未来」を一緒に本気で考える社会です。

そういう社会を構築しようとしているからこそ、
お客さん体質で、政治はいったい何をしてくれるのか?
という受け身の体勢では、
彼が言っていることの意味がよくわからないわけです。

価値観の大転換がなされた社会では、
政府の透明性と誠実さが国民に共有された上で、
消費税は、当然、自分のために使われるという意識で、
主体性を持った国民が、自分のために支払うものとして抵抗感がなくなる。

買いたいものを買うのに「負担」とは言いませんね?という
彼の言葉はそこからきています。

あなたが、そういう気持ちになっている、という社会を作ろう。
そういう意味です。
今の我々の常識ではまだ想像できない領域に、
みんなで一緒に行こうと彼は叫んでいるのです。

伝わるでしょうか。

有楽町の街宣の中で、彼はこんなことを言いました。
それは「これを言うのは、今日が初めてだ」という注釈付きで、
これは心からのお願いだと。

その言葉の主旨は、こうでした。

例え自分の気持ちよさとは100%が同じではないとしても、
ある種の我慢や忍耐を一緒に抱えて欲しい。
誰もが気持ちよくスッキリしたいものだけれど、
それでは野党が1億個必要になる。

自分とは異なることに寛容になり、それを受け入れること。
それが多様性を認めるということ。

少々のちがいは乗り越え、
野党がみんなでしっかりと手をつないで、
野党を支持する支持者も、しっかりと手をつないで、
忍耐を持って一緒に歩いて欲しい。

ちがいで対立したい誘惑と戦って、多様性を認め、
対話をしていくこと。

身震いする覚悟でこれをお願いするのは、
それが本当のことだからである。

そんな言葉でした。

これは、まったくの真実です。
人類が抱える数多くの問題を、今日も解決できずにきたのは、
我々が「対立したい」と言う誘惑に負け、「対話」を避けてきたからです。

しかし、本当に問題を解決するなら、
人類は対話するしかない。
相互理解に努めるしかない。

先ほどのフリップ、「対話型の新しい政治が創る 持続可能な社会」で
「創る(創造の創)」という文字を使っているのは、
今までなかったものを生み出す、ということですよね。

そういう、まだ未経験なゾーンへと飛び込むということです。
そうすることでしか、
本当の持続可能な社会は作れないからです。

私も、まったく同じように感じるし、
きっと江守正多さんも、そんなことを考えているような気がします。

ここまで長々と書きましたが、
我々が本気で向き合わなければならない課題は「気候危機」です。
人口減少は日本ローカルの大問題ですが、
これも「気候危機」というもっと大きなお皿の上にのっています。

気候危機は、地域的また世代間の不正義という
理不尽な問題をはらんでいて、
その解決に必要なものもまた、「対話」なのです。

小川淳也は、未来を先取りしているから、
まだちょっと何を言っているのかわからないかも知れません。

でも、3年以内に、大転換への動きは日本でもリアルになるでしょう。
ならなければ、終わってしまうからです。
そのときに対応できるのは、
小川淳也の考え方であると私は確信しています。

長くなりましたが、少しでも通じましたら、
嬉しく思います。

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