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青空対話集会を想ふ

今日はいつもとちがって、
最近あったことの振り返りのようなとりとめもない記録です。

衆院選が終わり、選挙結果の流れから
立憲民主党の枝野幸男さんが代表辞任を表明。
それから突貫工事のように代表選挙が始まりました。

経緯は省きますが、かねてより応援していた
同い年の衆議院議員、香川1区より選出の小川淳也議員は、
同じく代表選への立候補が噂された大串博志議員の推薦を受け、
25人の推薦者を集めて代表選に立候補しました。

選挙戦は19日から始まりましたが、
それからの約10日間、小川議員はスケジュールが許す限り毎日、
有楽町の街頭に立ち「青空対話集会」をつづけました。

小川さんが地元の香川1区で
市民との対話の場を持ち続けていることは知っていました。
衆院選での選挙活動の模様も毎日ネット配信されていたので、
街宣の様子、対話集会の様子もみていました。

しかし、地方に地元がある議員が、
自らの選挙のために東京で街宣するということは、ほぼないのです。
あるとしたら他の候補の応援演説だけですよね。

つまり、小川淳也の本気の演説を生で聞ける機会は滅多にないのです。
そんなことから、有楽町に足を運んでいたら、
いつの間にか自分にとってもそれが日課のようになっていました。
連日通った理由は、たったひとつ。

本気で社会を変えたい、という同じ気持ちを持つ同志、
小川淳也に会いたかったからです。

どうでしょう。

自分が演説をする候補者だったら、毎日、少しでもちがう人がきて、
自分の主張がひとりでもたくさんの人に聞いてもらえるのが
嬉しいのかも知れません。

毎日、同じ奴が来ているな、というのは、
嬉しいことではないかも知れません。

でも、自分だったら、そう言う人がいたら心強いと思ったので、
2回目からはとても目立つ黄色い上着を着て、
あえて「また同じ人間がいる」ということがわかるようにしました。

ちなみに、この黄色い上着は、
「世の中を本気で変えるには、
 普通の人と同じことをやっていたのではダメだ」
という思いから、数年前、普段着る服から変えようと思って、
あえて探しに探した本当に真っ黄色の上着なのです。

もちろん、今回は最初からそんな効果を狙ったのではなく、
偶然、その上着を着ていったその日、対話集会で手をあげたら
「そこの黄色い人」と指してもらえたのですね。

それがきっかけ、でした。
翌日も有楽町に向かおうと家を出るとき、
「この服装は、また昨日のやつだ、とバレやすいな」と
一瞬気が引けたのですが、返って、それがいいかも、と思って、
そのまま出かけたのです。

そこからは、敢えて同じ黄色い上着を意図的に通しました。
「今日も来ている」ということを
静かな応援のメッセージにしたかったのです。

対話集会は、連日、参加する人がどんどん増えていました。

私も何人かの方に声をかけていただけたり、いろいろな話をしました。
その中で、香川1区からいらっしゃった方から
地元での選挙戦の様子を伺うことができたり、
18歳の息子を連れて行った日もありました。

最初に指された日から、同じ人間が発言するのは良くないと思ったので、
基本的にほぼ手を挙げず、小川さんの対話の様子を見守っていました。
途中、感じたこともあり、最後に居残って伝えたこともあったのですが、
(そのときは、財政支出の上限はインフレ率2%より、
 地球環境の持続可能性だと思う、と伝えました)
とにかく、様々な人が手を挙げ、思いを発言し、
それに小川淳也が応えるという、その場の空気の中に身を委ねることに、
「民主主義の本当の姿」を感じていました。

日が重なるにつれ、参加者同士の会話も増えていったように思います。
つまり青空対話集会は、国会議員と直接話し合える、というだけでなく、
普通の人々が、お互いに、普通に政治の話をすることができる
言論空間を提供する場にもなっていったということです。

このような場が日常的に存在することが、
日本の民主主義の健全性を生み出し、
意識の底上げにつながっていきます。
れいわ新選組の山本太郎さんも同じ活動をつづけていますが、
あらゆる人々がこのような試みを実施することによって、
この国の環境が絶対に変わっていくということを確信しました。

選挙戦はもちろん街頭だけではありません。
むしろそれはほんの一部分であって、
テレビへの出演、ネットでの討論会など、
この期間中、休むまもなく活動がつづいていました。

私も、時間の許される限りその様子をウォッチし、
4人の候補からどんな発言がされるかや、視聴者がどんなことを気にかけ、
それにどのように応えると、どんな反応があるのか、
ということを注視していました。

何より、選挙に立候補し、選挙活動をするということが、
いわゆる地盤のない(自民党以外の)野党議員にとって、
どれだけ過酷なことであるのか、ということを改めて感じました。

これは、小川さんに限らずです。
衆院選では山本太郎さんの様子を注視していましたが、
やはり、常人の気力ではとうていできないようなことをしています。
そんな人々に、有権者だからと、冷酷な言葉を浴びせるというのは、
私にはできないと思いました。

それは、サービスの提供者に対していくらでも要求する
無責任は「お客さん」と同じ態度だと思うからなのですね。
我々は有権者であって、この国の主体です。

政治家にやってもらうのでも、やっていただくのでもなく、
自分でやるものなのだと思います。
しかし、国の制度上、
それそのものは無理なので、代理人である議員を選ぶ。

だから、議員は自分と対等でもあり、
しかし、私一人を背負うわけではなく、
そのほかの数万人を背負うのだから、
私よりずっとずっと苦労も責任も大きい。

でも、彼らも自分と同じ、生身の普通の人間なのです。
であるならば、私は「人材」を大切にしたい。
小川淳也や山本太郎という稀有な才能を持った人間を、
お客様たる有権者のエゴですり減らすのではなく、
彼らの才能が最高に発揮される状態を作ることこそが、
私自身の自主性を社会に活かす方法でもあるのだと感じているのですね。

彼らの才能を活かしきれなかったら、それは日本という国にとって、
大きな大きな損失なのです。
どの政党の誰かに限らず、
本気でこの国をよくしたいと思うすべての人に対して、
そういう視点を、我々一人一人が持つといいと感じています。

さて、青空対話集会の最終日、それは昨日のことなのですが、
その対話の最後に、また手を挙げてみました。
私としては、国民のために全力疾走をつづける小川淳也に
心からのエールを贈るために、あるメッセージを届けたかったんですね。

それは、小川さん本人にではなく、
そこで小川さんに対峙している、我々の方側へのメッセージでした。

「啐啄の機」という言葉があります。
これは、卵から雛が生まれるとき、母親の鳥が外側から、
雛が内側から、同時に殻をつつくことによって殻を破るということです。

つまり、ことを起こすには、どちらか片方ではなく、
両者が同時に変化することによってのみ、それが可能になるということ。

これはまさに政治家と有権者の関係そのままだと思っているのです。
そして、こうして目の前で声の限りに誓いを立てる小川淳也の想いを
決して無駄にしないためには、
我々自身が変わらなければいけないと思うのです。

それは「人任せではいけない」ということなんですね。
小川淳也に任せておけばいい、山本太郎に任せればいい。
そんなことじゃない。そんな気持ちでいる限り、
やっぱり社会は変わらない。

本気で変えたいなら、我々自身が変わること。我々自身が動くこと。
それしかない。その事実に気づくことなのですね。

この選挙戦の間、メディアやネットで気になることがずっとありました。
「小川淳也は、わかりにくい」という意見です。
メディアは「わざと」悪意ある切り取りをします。
そうできそうな意地悪な質問の仕方をします。

それが彼らの商売であって、相手にしなければいいのですが、
残念ながら、今の日本人はメディアをうのみにします。
そんなとき「小川淳也はもっとこう言え」「ああ言え」という意見が出る。
もちろん、必要なことと思うのだけれど、
そう思うなら、あなたが誤解を解けばいい、と思うのです。

何もかもを人任せにせず、自分で動けばいい。
何も、大それたことをしようと思わなくていい。
自分の隣にいる人に、そっと一言、自分の言葉で、
「それはこんな気持ちなんじゃないかな」と呟けばいい。

人に完璧な言葉を求めても、そんなものはもともと存在していない。
それよりも、「彼はウソをつきたくないんじゃないかな」と
「できないことをできるというのは、
 不誠実だと思っているんじゃないかな」と、
私はそう感じているよ、と伝えればいいのだと思うのですね。

いちどにすべての問題は解決できません。
どんな大きな課題も、その解決のための第一歩は、
信じられないくらいちっぽけなものなのです。

小川淳也の誤解を解くのは、小川淳也本人ではなく
(もちろん本人も努力するでしょうが)
我々みんなでそれをやればいいのです。
それぞれの言葉で、それぞれの場所から。
ほんのちっぽけな行動でいいのです。
でも、それを積み重ねていくことで、世の中は確実に大きく変わります。
いやむしろ、その方法でしか、本質的には変えることができないのです。

だから、壇上にいる国会議員たちに「国会部門の変化」は任せるので、
「国民部門の変化」は我々がみんなでやりますよ、と
その言葉を伝えることこそが、小川さんや、その他の議員さんたちが、
いちばん勇気づけられることだと思うんですね。

有権者と政治家は、
お互いがお互いを支え合っている関係なのですからね。

小川さんの話を聞いている群衆たる我々は、
ひとりひとりは赤の他人だけれど、実はチームなのです。
それを感じ取ったとき、政権交代は思いのほか軽々と実現されるでしょう。
それはまさに「啐啄の機」がかなったときだからです。

立憲民主党の代表選は、今日が投票日です。
果たしてどんな結果が待っているかわかりませんが、
この選挙が関わったすべての人々の成長につながったことだけは確かです。

それだけでも、余りあるほどの収穫だったと思います。
どんな結果であるにしても、
みんなで対話をつづけながら、前進していきましょう。

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