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今の視座を捨てれば、小川淳也が見えてくる。

元旦の「朝まで生テレビ」の中で
小川淳也さんが行った発言が、
様々な人の反発を呼んでいるようです。

私は正直、ちょっと驚いているのですが、
誤解している人が多いので、
連続して小川淳也さんに関して書きます。

まず、当の発言は、このような内容です。
これからの日本はどうすべきか、という問いに対して、
「消費税は25%」
「北欧並みの高福祉国家」
「所得税・法人税の累進性や・相続税の強化」
「国民全体での応分の負担」
「GDPだけに囚われてはいけない」
「人口減は希望である」
「地球のサイズは変わらないので成長ではなく均衡を」

そんなところでしょうか。

そのほかに、「教育は医療は無償に」
「心配のいらない社会へ」という内容も言っていたと思います。

こういうことを聞いて、あなたはどう思いますか?
私は、「本気で日本や世界や人類の持続可能性を考えるなら、
まあ、当たり前のアイデアかな」と思います。

まったく驚くに値しないです。
小川さんの掲げる政策がすべて正解で、まちがいがない、とは言いません。
だって未来のことは誰にもわかりませんからね。

でも、アイデアとしてはまったく否定されるものではない。
それよりも、私は小川淳也という政治家を心から支持します。
なぜなら、政治家の中で彼だけが
本気で人類の持続可能性を考えているからであり、
それは、彼だけが人類の課題の本質に目を向けているからです。
(もちろん山添拓さんなども素晴らしい政治家ですが)

彼が政策の一端を語っただけで、
ネットがこれだけ炎上するということこそが
今の日本の政治的な課題のひとつだということです。

これは、ガリレオが「本当は宇宙ではなく地球の方がまわっているのだ」と
地動説を肯定しただけで裁判にかけられたことと似た現象です。
でも彼はコペルニクスの地動説を受け入れるだけの
高い視座があっただけです。

「地球がすべての中心であり、
 宇宙がその周りを回っているに決まっている」

そう決めつけている人にとっては、
地球の方が回っているのだ、などという意見は
「とんでもない」としか思えないでしょう。
けれど、実際は地球が回っていました。よね?

もっと前には、地球が球体であるということさえ、人々は疑いました。
「地球が球だったら、反対側の人は落ちてしまうじゃないか!」と。

自分の目から見えている世界だけを現実だと捉えたからです。

でも遠くからやってくる船は、なぜ帆の先から見えてくるのか、
ということなどから「確かに地球は丸いようだ」ということが
信じられるようになっていきましたね。

人間は「今の自分の視野」というものに縛られています。
今の自分の視野からしかものが見えませんし、意見が聞けません。
でも、それは他の意見を見ようとしないし、
聞こうとしないことが原因です。

ちゃんと考えてみればわかる。
冷静にちゃんと
「帆船がどこから見えてくるか?」という問いに向き合えば、
「本当だね」「このことを言っていたんだね」となる。

そういう経験、ないですか?

小川淳也さんは、当たり前のことを言っています。
それがなぜ当たり前なのかは今までも何度も書いてきましたが、
改めて書いてみます。

「小川淳也はとんでもない奴だ!」としたり顔で書く前に、
ぜひ読んでください。

まず初めに、彼が何をしたいと思っているのか、ということから
整理していく必要があります。

小川淳也が目指していること その①
 「社会を変えていくこと」

社会を変えていくこととは、どのようなことでしょうか。
それは社会の仕組みや常識、価値観そのものが
今とはちがう社会にするということです。

では小川淳也が考える社会はどんなものか。

小川淳也が目指していること その②
「持続可能な社会」

です。
つまり、今のままのやり方では地球も人類も、
その一部である日本も、持続可能ではないということです。
それが前提です。

そして、その持続可能ではない社会は誰がつくってきたのか?といえば、
自民党と、それを受け入れてきた国民ですね。
ですから彼は、自民党が作ってきた
「今の日本」を変えなければと思っているし、
彼の政策はそのための政策であり、それが実現された社会は、
今の日本ではない日本なのだ、ということです。
今とはちがう常識、今とはちがう価値観の社会です。

例えていえば、宇宙ではなく、
地球が回っていることを知っている社会です。

ときによって言い方が変わっていきますが、
最近は、その日本が目指すべき社会を
「競争力のある高福祉国家」と言っています。

ここまでいいでしょうか?

では、なぜ彼が持続可能社会を目指すのか。
その理由です。

いちばん大きいのは、人口動態の変化と資本主義の関係、
そして地球環境の限界です。

今、日本は急激な人口減少という問題と直面しています。
それと同時に人口の構成比という問題もあります。
一言で言えば、超少子高齢化社会ですね。
日本は人間も少ないし、働く人も少ない社会になります。
これは可能性ではなく、このままなら絶対になります。

でも地球全体では人口は増えています。
厳密には「まだ」増えています。
が、ここにも問題があります。

ひとつは、今はまだ世界人口は増えているけれど、
今後はそれも減っていくということです。
もうひとつは、それでもまだしばらくは人口が増えていくということです。
今の人類の数は約80億人ですが、
やがて100億に達すると言われています。
でもその辺りが天井になって、やがては総人口は減ると見られています。

ところで、皆さんは、我々人類が何でできているかご存知ですか?

分子です。

いや、この世のあらゆる物質がそうなんですけどね。
分子でできています。
では、この地球上にあるすべての分子の総数は決まっていて、
増えもしなければ減りもしないという宇宙の法則をご存知でしょうか?

何が言いたいかわかるでしょうか。

これから増えると言われているもう20億人ぶんの人間の分子は、
もうすでにこの地球上に存在しているのです。

今はまだ人間の姿になっていないだけで、
これから「今はまだ人間ではなかった分子が人間になる」わけです。
地球上の全分子の数が決まっているということは、
人間20億人分の「今はまだ人間ではない分子」が人間になるのですから、
人間以外のものは減りますね。

当然、食糧となるものの分子もその中に入っています。

人間を含めたすべての生き物は、ものを食べ、排泄するという
分子の循環を続けることで生命を維持しています。
ですから、100億人の人間が大量の分子を食べ、排泄する
ということが行われるわけです。

わかりますか?

そのサイクルを維持するには、大量の食料が、
ものすごい勢いで必要です。

当たり前ですが、これから食料はどんどん減っていきます。
食糧危機は絶対にやってくるでしょう。
地球上の分子の数は変わらないのに、
その中で人間だけが増えることは、持続可能性がないのです。

ここまでいいでしょうか。

地球上の分子の数は変わらないということは、
資源も含め、あらゆるものは有限だということです。
ですから、人間は地球上の分子の循環の速度を超えて、
食べたり物を作ったり、それを使ったりしていると、
やがて終わりが来てしまうんですね。

なぜなら、分子の変化は可逆ですが、
その循環にはある程度時間がかかるからです。
特に無機物は時間がかかるのです。
石油を燃やしてしまうと石油はなくなってしまいます。
二度と石油にもどることはありません。
鉄鉱石から鉄をつくり、鉄から自動車を作ることはできますが、
自動車を鉄鉱石に戻すことは絶対にできないのです。

もちろん長い時間をかければ分子は循環しますが、
それには何万年もの時間が必要です。

有機物(つまり生命)はもっと早く循環しますが、
人間の消費が早すぎると、循環速度が追いつきません。
そうやって「終わり」が来てしまいます。

それらは恐らくなんとなくイメージがつくと思います。

その終わり方というのは、資源などが「底をつく」わけではなくて、
バランスが崩れるという形で表出してきます。
そのひとつが「地球温暖化」であり「気候変動」ですよね?

地球環境のバランスが崩れていくことによって、
人類がそこで生きていける環境が破壊されます。

では、そのバランスの崩壊とは何が原因で起きるのかと言えば、
それは人間の活動であり、人間の活動の中心は経済活動です。
その経済活動とは、具体的に言えば資本主義のことであり、
資本主義の何が問題なのかと言えば、
それは資本主義が「永遠の成長を求める」という特性があるからです。

地球がひとつしかなく、そのサイズが変わったりすることもない以上、
(つまり分子の総数が増えない以上)
永遠に成長するということはできません。

永遠の成長とは、ものすごくシンプルに言えば
地球の資源を使うサイクルをどんどん早くしていく、ということです。

資本主義の最大の欠点は「お金がお金を産む」という
「貨幣経済」と深く結びついていることです。
お金は長いこと持っておくと増えます(利子ですね)。
しかしそんな自然物はありません。
自然のものは時間とともに必ず崩壊します。それが宇宙の基本原則です。
(エントロピー増大の法則と言います)

しかし、お金はそのルールを無視しています。
資本主義経済も、そのルールを無視しています。
けれど人類も、所詮は自然界の中に暮らす一住民なので、
自然の法則、宇宙の法則にはかないません。
だから、今のままでは人類には持続可能性がないのです。

人類が経済的繁栄を目指すのは一向に構いませんが、
それは「地球環境が許す範囲の中で」という制約がつくのです。

それが実現できなければ、人類の終わりは加速度的に早まるのです。

日本は先に急激な人口減少がやってきますが、
実はやがては世界中が人口減少に転じます。
これは、今まで書いてきた理由から、
人類の持続可能性にとっては希望です。

人間の総数は減ったほうがいいのです。
しかし、それには合わないものがあります。

それが資本主義です。永遠の成長を求める資本主義は、
人口増大をその存在の背骨にしているのです。
ですから、人口が減少していく日本では
今までの資本主義は成立し得ないし、
もし大量の移民を受け入れれば短期的には課題が先送りされますが、
もっと長い目で見ればそれだって本質的な課題解決にはならないのです。

世界中で人口が減るんですからね。

では、具体的にどんなことをしていかなければいけないでしょうか?
地球環境が人類を養える範囲まで人口は減らなければいけないし、
経済も少ない人類に適応しなければいけないわけです。
そのためには資本主義は、「永遠の成長」というテーゼを捨て、
スピードダウンをしたり、あるいは別の価値観に転換するしかない。

それが「均衡経済」ということです。

歴史上、このようなテーマに人類が本気で向き合ったことはないので、
多くの人には荒唐無稽でしょうが、それこそが本当の課題なのです。

では、具体的にはどうすればいいのか。
まず社会構造を変えていかなければなりませんね。

人口が減っていくことに適応しながら、
「今までとはちがう幸せの形」を定義しなければいけません。
ここが大仕事です。

それは恐らく奪い合う価値観ではなく、分け合う価値観です。
それが再分配の強化ですね。
だから、今の富裕層の富をなんとか再分配しなければいけない。

所得税や法人税の累進性の強化ということになります。
相続税もここから来ています。
つまり今までの「所有」の概念を変えて、
人々の関係性をフラットにしなければいけないからです。

もちろん、不労所得への分離課税も大幅に見直されるべきでしょう。
そういうことが必要になる。

それと、消費税ですね。

彼が言っている消費税は、「国民がサービスを買う」という概念なので、
人間が暮らすために最低限必要なものは
ほぼ無償で提供されることが前提です。
貯金しなくていい、稼いだ金は全額使ってしまって構わない、
そういう「将来を心配しなくていい社会」が、
小川淳也のいうこれからの日本です。

ですから、そのとき消費税は25%支払っても大丈夫な
社会システムになっている、という意味で語られている数字です。

今のように「国に取られている税金」だったり、
「何にどう使われているかわからない税金」ではないのです。
自分で様々なサービスを購入している、その代金ですから、
我々がちゃんと実感できるだけの公共サービスがあるということです。

そのように全体でコントロールしていかなければ、
すべてを市場原理に任せていては人類の持続可能性がなくなるからです。

今ある社会を根っこから変えなければ、
日本も含めた人類は未来がないよ、ということが、
すべての話のバックボーンに存在しているのです。

でも、そのバックボーンを知らない人々は、
あくまでも今の視座から彼の意見を判断しますね。

そうやっている間は、人類はやはり終わりに向かって
速度を上げていくしかないということなのです。

では、どうやって社会を変えていくのか。
小川淳也が目指していること その③
「政治と国民の関係性を変える」
です。

具体的には「相互不信の関係」から「信頼の関係」に変えることです。

我々が消費税の増税に反対するのも、マイナンバーに反対するのも、
政治に対する信頼がないからなのです。

それは国民が政治を信頼することを諦めているからだし、
今までの自民党が長い時間をかけてそのように仕向けてきたからです。

統治するという目で見れば、
国民は政治に無関心でいてくれた方がラクです。
だから自民党は国民が「自分の力では何も変えられない」と考える社会を
必死に作ってきたのです。

それは大成功しました。

そしてそれは、昭和のようにずっと右肩上がりの社会であれば、
恐らくなんの問題もないことだったのです。

けれど時代は変わり、
人類の愚行の化けの皮がどんどん剥がれてきているのが
「今」という時代です。
人類は、日本人は、本気で変わらなければならない。

その変化は、政治も国民も同時に起こす必要があるのです。
啐啄の木というやつですね。

今まで書いたすべての変化の最初の第一歩として、
まず国民と政治の関係性を変えなければならない。
それは「信頼」で結ばれている関係でなければならない。

「そんなこと、できるわけない」と思うとしたら、
それこそは現代日本人病なのです。

そこから変えなければならない。
現実に北欧では、政治と国民が信頼関係で結ばれていて、
そのような関係性の中で「高負担の高福祉国家」が実現されているのです。

だから、彼は北欧の社会をモデルとして掲げるわけです。

ここからは私見です。

多くの人が「消費税は何%?」と問うとき、
その視座はあくまでも「今のままの社会で」という前提でしょう。
政治を信頼できず、政権政党がカルト宗教と深い関係を持っていても
それを根本から解決することもできないし、
国民もそれを半ば諦めている。

そんな社会が前提になっています。

でも、小川淳也は社会そのものを変えなければならないと言っている。
だから、そのときの消費税の意味は、今の消費税とはちがうのです。

私は、彼の消費税25%を絶対的に支持しているわけではありません。
消費税を25%にすることで、
今の社会課題が解決されるかはわからないからです。

しかし、必要であれば消費税25%が実現できるような
政治と国民の信頼関係や、国民の社会参加意識は
絶対に実現されていなければいけないと思うのです。

消費税は手段であって、目的ではないのです。
大事なのはあくまでも目的です。日本社会の変革こそが目的です。
日本社会が変わるとは、
そこに暮らす日本国民の意識が変わることと同義です。

だから、「消費税は何%」なんて問いを出している段階で、
「そんなことはどうでもいい」と私は思ってしまうのです。
必要なら50%でも100%でもいいし、不要なら0でもいい。

具体的な税率なんて、あとからみんなで話し合えばいい。
でも、まず、みんなで話し合うことができるのか? ということです。
まず、みんなで、ちゃんと考え話し合える、
そういう国民によって構成される社会を作らなくちゃいけない。

「税金をもっととるなんてとんでもない!」と吠えているだけではなく、
税金の仕組みや、社会の仕組みや、地球の仕組みをもっと知って、
本当になすべきことはなんなのかをみんなで考えなければいけない。

評論家も経済学者も、今の視座でしか語らない。
科学者たちは現実を語っても、それを伝える術を持たない。
重要なのはそれらが同時に掛け合わさることです。
経済と宇宙の始まりは、現実として関係しているのです。

国民はといえば、宇宙論をSFだと思っていることや、
政治を諦めの気持ちでハスに構えて受け止めていることを
今すぐやめなければいけない。

我々はお金に支配された貨幣経済のために生きているのではない。
お金や経済は、人間が頭の中で生み出した幻想です。

翻って、我々人間は宇宙に浮かぶたったひとつの小さな星、
地球に循環する分子の塊なのです。

そちらこそが現実です。

その視座に立てば、
今がいかに狂っているかは誰でもわかるはずです。

これはスピリチュアルではありません。
科学的な事実の突き合わせです。
お金も経済も、存在はあってもいいけれど、
地球の環境上限の範囲以上の力を持ってはいけない。
そういうことを真剣に考えなければいけないフェーズに、
人類はきているのです。

今の社会の枠組みの中で現実の暮らしを営みながら、
その次の社会への転換を提案するというのは、ものすごく難しいことです。

でも、それをしなければいけないし、
それを試みようとしているのが小川淳也という人間なのです。

少しでも伝わるといいのですが。

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