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「丁寧に生きる」ということ

いよいよオリンピックが近づいてきましたね。

リアルに大会の様子を想像すればするほど、
「これはやってはいけないことだ」と感じます。

それは、大会後の日本を混乱に陥れ、
またオリンピックそのものの存在意義をも
無に帰させる可能性があるからです。

ずっと考え続けてきました。
確かそれは、2003年くらいから。
「このままではいけないはずだ」と。

そして、このままでは大変なことになる、
と感じてきたことが、どんどん現実になっていく中、
何度かの劇薬が投与されました。

リーマンショックがそれであり、東日本大震災、
それに伴う原発事故も、そのひとつでした。

しかし、世の中は変わらなかった。
いや、むしろ、その大きなショックをまるで都合のいいことに変換して、
悪循環への道をどんどんひた走ってしまいました。

そんな中、何年も何年も、ずっと考えてきました。

そうして、昨年、人類にかつてないサイズの劇薬が投与されました。
当初このウイルスは、お金も地位も立場も関係なく、
何人にも平等に襲い掛かることで、
我々にメッセージを発しているものだと解釈できました。

しかし、時間が経過するにつれ、やはりこのウイルスでさえもが、
「地位や立場に関係している」ということを明らかにしました。

私たちは、今こそ感じ取らなければいけません。

そのメッセージは、お金に、これ以上、
魂を奪われてはいけないということです。

人間が今日も地球を破壊しつづけるのは、
差別をしつづけるのは、殺し合いをつづけるのは、
「お金」が原因です。

もっと詳しくいうなら、それは「金利」なのですが。

お金は、イコール経済であり、経済はイコール人の欲望です。
そして、人の欲望活動が、この世を終焉に至らしめようという中で、
やっとSDGsなどの動きは出てきたけれど、そんなことでは到底遅い、
というのが、このウイルスが発しているメッセージです。

今までのルールを、今すぐやめろ、と、このウイルスはせまります。

このウイルスは、全人類に、端的に、
経済活動の鈍化を要請しているのです。

さぁ、我々はいま、どうすればいいのでしょうか?
ずっと考えてきて、私の中にはひとつの答えがあります。
それはすべてに共通するものなので、多分に抽象的なのですが、
いま、私がたどり着いた、究極的にすべての解決策を提示する言葉です。

それは、

「丁寧に生きる」

ということです。

例えば、人の肌をさするときでもいいでしょう。
丁寧にさする、というのと、荒っぽくさするのとでは、動作がちがいます。

その動作のちがいは、実は「こころ」のちがいだと思うのです。

金利の返済に追われる経済社会の中で
ずっと浮き足立ってきた人類に、

このスピーディな社会の中で、
指先まで神経を行き届かせる、ということを怠ってきた人類に、
いま、提言しているのだと思います。

いい加減にやってはいけない。
適当にやってはいけない。
乱暴にやってはいけない。

もっと丁寧にやりなさい、と。
もっと丁寧に生きなさい、と。

「丁寧に」と考えると、すべての行動は変わってきませんか?
私はそう思うんです。

今、手洗いやうがいが励行されていますが、
そういうものも、丁寧に生きようと思えば、
例えば脱いだ靴を揃えるくらいに当たり前のことだと思うのです。

もっと丁寧に考えて、もっと丁寧に判断して、
もっと丁寧に行動しましょう。

それがこれからも地球の上で人類が生きていく上で、
課せられた交換条件なのだと思うのです。

私は「丁寧に生きる」という言葉にたどり着きました。
あなたは、あなたの言葉で、それを見つけて欲しいのです。

いつでも立ち返ることのできる、
判断基準や、行動規範となる言葉です。

もう遠い過去のような気にもなりますが、
コロナ禍の最初期に、志村けんさんがお亡くなりになりました。
本当にショックでしたが、あのとき感じた気持ちを忘れてはいけません。

すべてが、何かのメッセージを発しています。

甘く見るな。いい加減に考えるな。
そういうことを伝えているんじゃないでしょうか。

これから、本当にオリンピックは開催される可能性があります。
我が国の総理大臣は「バブル方式はできると思う」と発言しました。

「思う」ではダメなのです。
そして、コトの成否を握るのは「最後まで丁寧にやりきれるか」
ということにかかっています。

今の政府を見ていると、丁寧さが欠如しています。
それを受け入れる国民にもまた、丁寧さがなくなっている。

かつて日本人が大切にしてきたこと。
それが「丁寧さ」なはずです。

その価値観は、これからの人類に普遍のものでしょう。
我々は、もういちど「丁寧な生き方」を見直すときなのだと
心から感じています。

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