課題解決に必要なことは、課題がなんであるかを知ること
今、世の中は課題だらけですね。
本当に課題の巣窟だと言ってもいいような印象です。
恐らく、人間が呼吸をするとそれだけで二酸化炭素を排出するように、
人が心や欲を持って生きるだけで、様々な問題を生み出してしまう。
人間社会は、まるで課題製造機です。
人間が吐き出した二酸化炭素などは、
大自然の力で吸収できるのでしょうが、
もしそれを超えた大量の二酸化炭素を排出すれば、
それは自然の吸収力をたやすく超えて環境を破壊してしまうように、
人間も処理能力を超えた自我や欲望を振りかざせば、
互いの精神や社会を破綻させてしまうのでしょう。
今、人間社会は課題の巣窟と化し、
その解決方法が見出せないままに次々と新しい課題が生まれ、
それが山積しているように受け止めています。
いったいどうしてこのようなことになるのでしょうか。
※
私はここ数年、課題解決のための思考法を体系化し、
ある種のメソッドにしています。
今日はそのことをご紹介してみたいと思っています。
課題を解決するためにいちばん重要なことはなんでしょうか?
それは、課題がなんであるかを知ることです。
んなこと、当たり前だろ! と怒られてしまいそうですが、
世の中の諸課題が解決されずにいる原因の一つに、
課題の本質的な原因が何なのかを、
しっかり把握できていないことがあると思うのです。
課題の設定ミス、ですね。
例えば、「働き方改革」というものがありますね。
ここでは過労による自死の問題だとしましょう。
いま、この問題は主に長時間残業、
つまり、「働く時間の長さ」という問題にされている部分が大きい。
だから、休暇や休日を多く取らせたり、
労働時間を短くすることが対応策だと思われていますね。
しかし、これは、圧倒的に見当違いだと私は思っています。
どんなに労働時間を短くしても、
仕事が原因の自死はなくならないでしょう。
それは、この問題の本質が「労働の時間」ではなく、
「労働の質」であるからです。
このことを把握できれば、
では「労働の質とは何か?」という問いが設定され、
様々な労働の質に対して、なぜそれが毀損されるのか?という分析がされ、
そこで初めて、この問題の本当の意味、本質的な姿が浮かび上がってくる。
例えばそれは社会の競争構造かも知れないし、
コミュニティの欠如かも知れない。
課題が正しく設定された時に、初めて、
その問題を本当に解決できる解決策が生まれるわけですよね。
今までの課題解決法を火事に例えたとしたら、
燃え盛る炎にバケツで水をかけているようなものです。
ホースを使えば、もっと早く鎮火できるかも知れない!などと
新しいアイデアも出ますが、それは起きてしまった火事への対応であって、
もちろんそれも重要ですが、
そもそも火事が起こらないようにするための解決法ではない。
だから、同じことが繰り返されてしまうんですね。
本当に大切なことは、
その問題を引き起こしていることは何なのか?を炙り出すことです。
そうして、その課題という川を遡って遡って源流に到達した時に、
本質が見えてくるわけですね。
そこが本当の原因です。変えなければいけないのは、そこなのです。
それが見つけられない限り、課題は解決しません。
例えば、
マイナンバーが普及しない原因は、国民と政府の信頼関係の問題ですね。
選挙の投票率が低いのは、主権者教育の問題です。
もちろん事象の原因はたったひとつではなく、
いくつかが絡み合っているはずですが、
少なくともそのひとつであるはずです。
そういう原因の根っこを変えないで、
インセンティブで人を動かそうとしても、
結局、本当の目的は達成できない。
では、どうやって問題の源流に遡るのか?
そこが重要なのですね。
※
私は「ルーツ・シンキング」という思考法を提唱しています。
それはとても単純な思考法で、
「その原因はなぜだろう?」という問いを繰り返して、
課題の根っこを遡っていくだけです。
簡単そうですが、ちょっとコツがいります。
少し説明してみます。
多くの課題や悩みは、小さな要因が複雑に絡み合って、
大きな黒い糸の塊のようになっています。
それが頭の中にドヨーンと鎮座している。
そこに「悩み」が存在しているのはわかるけれど、
いったいどこから手をつければいいのかわからない。
そんなふうになっていることが多いわけです。
まずはどこでもいいので、
その塊の一部を手に取ってみることから始めます。
手に取った悩みを、マジマジとみつめ、
それが何でできているのかを確かめてみるのです。
具体的にいうと、自分を悩ませている課題を、
ひとつひとつ、具体的な言葉にして書き出していきます。
おもいつくままに頭の中からどんどん外に出していきます。
そのときに「それはなぜだろう?」という問いを立てるのです。
例えば「学校や会社に行きたくない」という悩みがあるなら、
「なぜ行きたくないんだろう?」と考え、
その理由を可能な限り書き出していく。
この「具体的な言葉に書き出していく」ということが、
悩みの一つを手に取ってみる、という行為なのです。
そして、そのひとつについて、
「なぜそうなるのか?その原因は何か?」と考えることが、
「何でできているかの確認」というわけです。
※
なぜ会社に行きたくないのか?
嫌な仕事があるから。嫌な人間がいるから。電車が混んでいるから。
こんなふうに、どんどん頭から吐き出す。
嫌な仕事とは具体的には何か?
それを嫌だと感じる理由は何か?
そんなふうに「なぜ?」を繰り返していくと、
「理由」は無数に枝分かれして増えていきます。
これが、塊を分解していく作業ですね。
全部で100個も書く頃には、
そのひとつひとつは、とてもシンプルな言葉になっているはずです。
そうなれば、その個別の原因の解決法を見出すのは
それほど難しくはありませんね?
重要なのは、感情論ではなく、物事を事象として捉えること。
視点を主観と客観で入れ替えて、ときには、自分の視点を
幽体離脱したかのように高い位置に設定することです。
例えばひとつのことにいろんな人から意見が出るとき、
そのひとつひとつに対応する視点も必要ですが、
「みんながそれぞれの立場から主張している」とか、
「自分のことを優先し、他者や全体の視点が欠けている」とか、
そういうふうに「起きている事象は何か?」という視点を持つ。
そうすると「ははぁん、なるほど、こういう現象が起きているんだな?」と
見えてくるんですね。
それが起きている場所は、オフィスなのか?
あるいはあの人の頭の中か? あるいは自分の心の中か?
そうやって「起きていること」がわかってくれば、
改善すべきポイントが見えてきます。
ちょっと別の例え話をしましょう。
手品というのは、ストーリーでできています。
そして、人がどこに注目しやすいのか?
どこを見落としやすいのか?というところを見極め、
見落としやすいところで何かを仕込むわけですね。
で、注目しやすいところで、観衆の目を引きつけ、
さもそこで魔法が起きたかのようにお芝居をしている。
それが手品です。
重要なのは、それと似たようなことは我々の日常にも起きていて、
本来注目すべきでないところに我々は注目してしまいやすい、
ということに気づくことです。
先ほどのような思考法をすることで、
まるで手品のタネの瞬間を見破るかのように、
「ここに問題があったのか!」と発見することができるようになります。
ついに、課題の本質、解決すべきことが明確になってきました。
ここでもうひとつ意識すべきは、事象を引き起こす原因はひとつではない、
ということを忘れないことです。
物事は複数の要因によって引き起こされるのが普通です。
病気だって生活習慣とその人の体質などがかけ合わさっていますよね。
ある要因があれば誰もが必ず同じ問題になるわけじゃない。
原因は複数の掛け合わせだ、とわかっていれば、
情勢を一気に変えることのできる方法がないこともわかるはずです。
逆に言えば、たったひとつのアクションで
課題を根こそぎ解決しようとするから、思考がスタックするのです。
横着はいけないのです。
課題の原因が複数あることを認め、その中のひとつについて、
実際にアクションしてみることが重要です。
そのことがきっかけになって、
芋づる式に課題が解決されていくこともあるでしょう。
「好循環」「正のスパイラル」が起こればそういうこともあり得ます。
しかし、それは結果論なので、
まずはひとつでいいので、具体的に動いてみることです。
一見無駄に見えたとしても、
それは何もしない時に比べれば、何万倍も有効なのです。
※
私がここで言わんとしていることが、少しでも伝われば嬉しいです。
このような思考法や視点を持つことで、
情報へのリテラシーも格段に高まります。
自分の頭で「なぜだろう?」と考える癖をつけることで、
世の中の景色は変わっていきます。
ニュースやワイドショーは視聴率だけを目当てに
問題の隅っこにあるどうでもいいことを取り立てて、
それが問題であるかのように垂れ流していることに
気づけるようになります。
彼らの情報のほとんどは、
怒りや憎悪に訴えて数字を稼ぐためのものであって、
決して課題の本質、課題の本当の姿ではありません。
そこを見極める力を持たない限り、
同じことは何度も、何度でも繰り返されるのです。
なぜメディアがそんなことをするのか?といえば、
この資本主義社会で、お金を稼いで生活するためです。
八百屋さんが皆が買ってくれる野菜を売るように、
魚屋さんがよく売れる魚を売るように、
メディアは皆がよくみてくれる情報を売るのです。
それだけのことですね。
逆に言えば、当たり前です。
彼らの垂れ流す情報の質を高めるには、
視聴者がそれを望む以外にない、ということですね。
それがこのメディア問題の本質です。
「その問題の本当の原因は何なのか?」
課題を正しく設定することが、
本気で課題を解決するためになすべきことの第一歩なのです。
追伸:
手品を見るときは、決して「タネを探ろう」としないことです。
それではエンターテインメントの楽しみが半減してしまいますから。
手品は騙されてこそ楽しい。
我々がタネを探らなければならないのは、手品のときではなく、
日常の中で課題とぶつかったときです。
忘れないでください。
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