やがて父になる その2

妊娠生活も2ヶ月を過ぎようかという頃であった。

悪阻の症状も目に見えて出始め、すーの食生活もなんとなく変化していた。

根本的な解決もない悪阻の前には、その横で特に何もしてやれる事のない私は、どうしようもない無力感に苛まれていた。

「こりゃ、差がつくわけだ。妊婦さんは母へ向かってズンズン進んでいくのに、夫は実感も得づらけりゃあ日々の変化に右往左往するんだもん。これじゃあ無関心!役に立たない!なんて世間で言われるわな」
と、身に染みて感じていた。

もちろんやれる事はしてあげたいと思っていても、まず最初の難敵である悪阻の前では、妊婦さんはもちろんの事、夫である私もかなり苦戦を強いられていたのである。


そんな日々を過ごしていた3月中頃の事。
夕方の会議終わりにすーから着信と何件かLINEが入っていた。

す『これから帰るよー』

はいはい(心の声)

す『家つきました』

はい、今日もお疲れさん(心の声)

す『少し出血ある。病院電話したら来てくくださいって 行ってくるね』

はいh…はいっ???

『少し出血がある』

はいッッ????


血の気が引いていくのを感じながら急いでかけ直すと、向かう直前であった。

私『えっ、ちょっ、どんな感じ?』
いかにもバカそうな問いである。

す『かくかくしかじかで、これから向かうとこ。お母さん(すーママ)も来てくれるみたいだから大丈夫。たー(私)は来てもいいし、家で連絡待ってても大丈夫だよ』

私『お、お、大ごとじゃないだろうから、まずは先に戻って家で待ってようかな』
私『だ、大丈夫、心配せずに、まっ、まずは運転気をつけて(震え声)』

まずは急いで会社をあとにして、事故らないようにと言い聞かせながら車を走らせた。
足に力が入らず、雨も強かったので教習車よろしくな運転で進んでいく。


その時ある出来事がフラッシュバックした。
「あぁ、親父が急死した時もこんな感じで姉の車乗って病院向かったなあ…」

親父は私が高3の春に何の前触れもなく、この世を去った。
弟と剣道の稽古に向かい、その稽古終わりに面を外してそのまま倒れたのだという。

私はその稽古にはついていかず、親父の姿を見たのは病院で心臓マッサージを受けていた所だった。

稽古について行っていたところで何が変わったわけではないが、近くにいたかったなぁと今でも思う。

そんなノスタルジックな気分になっている時に、家に向かっている自分に違和感を感じた。

『あっ、これ一生言われるやつだ。』

『揉め事起きるたびに、あの時病院に来てくれなかったって言われ続けるやつだ』

今となってみれば、親父の記憶に結びつけて考えるのが正しいのだが、なんとも情けない人間である。

親父のことをふと思い出して冷静になったのが良かったのか悪かったのか、
『これが世に言う、一生言われ続けるやつかぁぁぁぁああああ』
と普段の自分を取り戻してしまったのだ。

急いで病院へと進路方向を変えて、すーママのもとへと合流した。

その時には心配と1年前の記憶が蘇り、祈る気持ちで診察終わりを待った。

結果として赤ちゃんは無事で、安静のために入院となった。

とりあえずは安心しつつ、すーの顔を見て安心しつつ家路についた。

張り詰めていた糸が切れたのか、いつもの偏頭痛が始まり、その日は倒れこむように眠った。

しかし、本当の苦悩はここからであった。
コロナウイルスが日ごとに猛威を奮いはじめたのも去る事ながら、結婚生活ですーに家のことは頼りきっており、5年間の一人暮らしで鍛えた家事スキルが微塵もなくなっていることを痛感するのは、また次のお話。

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