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写真を撮る意味

「写真を撮ることが好きです」「カメラやっています」
僕が自己紹介でよく使う言葉だ。
しかしふと思った。なんで写真を撮ることが好きなんだろう。写真を撮るようになったキッカケ、そしてなぜそれを続けられているのか、写真を始めて変わったことは無いのか、ふと気になった。僕が撮った写真の中には、今はもうない景色、今この世にいない人も含まれているかもしれない。少なくとも、僕の撮った写真には今この世にいない人も写っている。そう考えると、なんだかスマホのカメラのような感覚のないシャッターを押すことがひどく無責任に思えるし、カメラのシャッターももっと重いモノでいいのではと思える。
そんなことを考えているうちにこのnoteを書いてみようと思ったわけだ。では、ひとつずつ「ピント」を合わせていこう。


アウシュヴィッツ

いきなり物騒な名前を持ってきたが、一番最初に写真に引き込まれたのはアウシュヴィッツ収容所の写真だった。カメラを始めようと決意したキッカケである。

2024年2月10日追記:ブログが閉鎖されたようです。僕がカメラを始めようと思ったキッカケの写真は以下の旅行記に収録されています。

このブログ一枚目の写真だ。本当はTwitterで誰かがリツイートしたものが回ってきたのだが、ツイートが消されているのか見つけることが出来なかった。
アウシュヴィッツ強制収容所。誰もが名前を知る場所は通称殺人工場とも呼ばれていて、そこで亡くなった人たちの正確な数は未だに分かっていない。そんな暗い歴史を持つのに、写真から伝わってくるのは爽やかな青と健やかな緑。子供の明るい声が聞こえてきそうな気もする。けど、線路に沿って目をやるとレンガで出来た建物が見える。この写真を見た時に、幸か不幸かこの建物がアウシュヴィッツ強制収容所であることを僕は知っていた。当時たしか高校2年生だったと思う。Twitterで見て、「いい写真だ、スマホの壁紙にでもしよう」と思っていたがそんなことはしてはならないと即座に感じ取った。その後は写真の印象が一転した。綺麗、だけどどこか寂しさのような、静けさのようなものを感じる。鮮やかな青と健やかな緑に写っているがきっと実際は曇り空に枯草だろう。もしかしたら冷たい風も吹いているかもしれない。聞こえる音はきっと子供の笑い声に聞こえるほどの甲高い叫び声だろう、と。このあたりのことは高校の何かの感想文か作文で書いたことを覚えている。

写真の持つ威力を思い知った。たった一枚、データにすればせいぜい20MB。言葉を用いずにこれだけ人の感情を突き動かせるのか?
そんな写真を撮れる人になりたい、ふと思った。大学に入ったらカメラを買おう、そう決意した瞬間だった。

東京ディズニーリゾート

大学に入るタイミングで卒業旅行としてディズニーランドへ行った。元々ディズニーが好きだったのだが、ディズニーのショーやパレードを綺麗に撮りたい。今度はそう思った。アルバイトでためたお金でカメラを買ったのは大学1年生の10月。そこからお金を貯めて、写真の練習だ、と春休みに一人でディズニーランドへ3度行った。3度で合計1300枚ほど撮影したことを覚えている。3か月で同じ場所で1300枚、それに追加で石川県でカメラを手に外を歩いたり、京都へ行ったりもした。春休みは今思えばカメラに熱を注いでいた。

その春休みの一番の自信作

兎に角写真を撮りまくった。ファインダーを覗いてとにかくシャッターを切りまくった。一枚でもたくさんの写真をSNSに投稿して、誰かの心を動かしたい、その一心だった。結局、その気持ちは大学3年生くらいまで続いた。

結果として色々ご縁が繋がり、写真でお金を頂いたりもした。けど、次第に気が付かないうちにモヤモヤが溜まっている様な気がした。

宇宙で音は聞こえない、ハズ?

誰かの心を動かすような写真を撮りたい、と思っていたが、それに自分が疲れているような感覚を大学3年生の終わりごろから感じ始めた。なんだか、写真を撮ること、カメラをすることの目的の矢印が自分に一切向いておらず、目に見えない他人に向いていることに違和感・疲れを感じ始めてきた。

違う。

そう思って、自分が撮りたい写真だけを撮ることにした。他人に響くかじゃなくて自分に世界がどう見えているかを写真を使って表現しようと思うようになった。ぶっきらぼうに言えば、他人なんてどうでもいい、と。
スターウォーズを創ったジョージ・ルーカスがある時記者から「宇宙は真空なので音がしないはずです。何故、スターウォーズでは音がするんですか?」と尋ねられ、「俺の宇宙では音が聞こえるんだ。そっちの方がカッコイイだろ?」と答えたらしい。これと似ているかもしれない。「周りに世界がどう見えているかは知らないけど、僕には世界がこう見えている、こう切り取っている。カッコイイだろ?」といったスタンスだ。当時1000人以上フォロワーがいた写真アカウントも閉鎖し、SNSへの写真公開を一旦停止した。

別の言い方をすれば、過程を大事にするようにした。カメラを持って歩いている時の風、気温、誰かといるなら話したこと、聞いたこと、食べたもの。そちらに意識を割いた方が大切な写真になる気がする。その雰囲気を閉じ込めるように世界を切り取り、シャッターを押す。僕はその時ここをこう見ていたよ、が伝わるように。

別に僕の写真を見て駄作だとか、甘いだとか、思ってもらっても構わないけど、その指摘に耳を傾けるつもりは一切ない。だって、「そっちの方がカッコイイだろ?」

一応SNSを残しておく。フォローしても何も起こらない。あなたの心を動かすことも無い。あるといいな、くらい。


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