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何度でも、韓国と出会いなおす。

発売して割とすぐに買っていたけど1年半積読だった韓国フェミニズム小説集『ヒョンナムオッパへ』(白水社)を先日読了。

特におすすめしたいのは最後の「火星の子」(キム・ソンジュン)。
火星に移住したおなかに赤ちゃん(後に女の子と判明)のいるクローンの女性と、幽霊のメス犬(メス)と、女性として設定されている探索用ロボットが、なんとかして生きようとする話。淡々としたシスターフッドがよかったです。
『82年生まれ、キム・ジヨン』はこれから…。

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2019年の12月、TwitterのTLで見かけたこの曲が、K-POPを再び聞き始めるきっかけでした。

シンプルに「良い曲だなー、良いMVだなー」と思い、K-HIPHOP系プロデューサーのPrimaryが手掛けた曲をチェックしていたところ、この曲に打ちのめされます。

「スキンヘッドにピアスにスカジャンでこんな優しい歌声ってなんなの、なんなの一体!?あとMV完璧すぎませんか!?」と夜中にこっそり大騒ぎし即DL。MVも毎日数回は観てました。
「韓国のサチモス」的な紹介で一時期話題だった頃、Hyokohというバンドの存在は知ってて「ふんふん、かっこいいな」とは思っていたんですが、はまることなく忘れていました。
で、ここから韓国のHipHop、R&B、インディーシーンを探るべく、SNSやYouTubeを徘徊する日々が続いています。
SNSのフォロワー数やYouTubeの登録者数が3桁いってない人たちまでチェックしてるんで、だいぶヤバいかもしれません…。

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そして今から約10年前は、友人から教えてもらったこの4人組のMVに衝撃を受けていました。

BIGBANGの妹分としてデビューしたので一応女性アイドルグループになりますが、同時代のHipHopやR&Bを影響を自分たちのものにし、バキバキのダンスとメイクとファッションで、ビジュアル面はもう完璧です。
よく韓国に旅行に行く別部署のパートさんに頼んで、韓国盤のCDを入手したのも良い思い出です。ちなみに推しメンはCLさんです。
ただしそれが継続することなく、2Ne1のみで自分の中の第一次K-POPブームは終わりました。

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2004年ごろ(?)、視察のメンバーに選んでもらって同期のK君と当時の会長と一緒に韓国に行きました。
韓国の編集者の方に、いくつかの出版社を案内してもらいお話を伺ったり、日本の出版業界からもかなり注目されていた教保文庫を視察したりしました。
このころは正直あんまり興味なかったので、恥ずかしながら記憶も乏しく…。撮ったはずの写真も見当たらず。
観光客がいかない地元の焼肉屋さんに連れて行ってもらい、隣の席が日本語の勉強をしている学生さんだったので、少しおしゃべりしました。
お土産を買う時間がなく、空港で缶入りの韓国のりを10個ほど買ってカバンに突っ込んで帰国したら税関でちょっと不審がられたのも、良い思い出です。

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「路上観察」で四方田犬彦の名前を覚え、この人の書いた本は割と読んでいたのですが、(主に映画を通しての)アジアとのかかわり方が気になったので、平凡社ライブラリーに入ったこの本を多分発売直後の2000年の7月に手に取った。

1979年、韓国に特に思い入れのないまま日本語教師として韓国に渡り、そこで見聞きしたことを書いたもの。韓国の同僚や教え子たちと飲み交わすも、お互いがあえて踏み込まない距離の取り方。
当時、著者が韓国に行くことに対して冷ややかな反応を示した人たちは、今の状況をどう思っているのだろう。
これ以外にも『星とともに走る』(七月堂)や、最新刊の『夏の速度』(作品社)も同じ時期のことが書かれています。

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大学の同級生で、韓国好きな男の子がいた。日常会話は普通にできるレベルで、長期休みのたびに遊びに行ってた。90年代初頭の話なんで、音楽もドラマも流行ってたということもない。一般教養が同じクラスだっただけの、おとなしめの性格。親しくもならなかったので、もちろんそのご連絡を取ったりもしていない。
どんなきっかけで彼からその話を聞いたかも記憶になく、「へー、珍しいな」くらいの反応しかしなかったけど、なぜか今もその同級生のことは覚えている。


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高校に在日の同級生がいた。いわゆる「通名」。僕も含めて彼が在日であることはみんな知ってたけど、あえてそこに触れることはなかった。「触れてはいけないこと」という意味合いと、子供なりの「そこをイジるのはダメ」という判断と、両方あったと思う。根っこは同じことなんだけど。
ちなみに天然キャラだった。学校に黒のチノパンをはいてきてたので「あれ?ズボンどうしたー?」って聞いたら「え!?あっ!学生ズボンと間違えた!」との返答。
いやいや、はいた時の肌触りでわかるやろ。

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小学校で、1個下に在日の男の子がいた。確か弟もいたはず。彼は「通名」ではなく、韓国姓だった。当時(80年代前半)の状況で考えるとかなりのレアケース。でも、名前を理由にからかわれたりいじめられたりはしてなかったと思う。先生や周りの大人たちがちゃんとしてたんだろうな。
水泳部の後輩だったので、割と仲良かった。別の中学校に行ったのか、日本を離れたのか、その後のことは分からない。

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母は演歌が嫌っていたが、チョー・ヨンピル(とテレサ・テン)は好んでよく聴いていた。それって演歌じゃないの?と子供のころは思ってた。
チョー・ヨンピルが日本語で歌う曲が演歌か否かは、今もよくわからない。

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2020年8月現在。
40代後半にして、2か月ほど前からハングルの勉強を始めた。
歌詞(もちろんハングル)を目で追いながら、好きな曲をヘッドホンで聴いたりしてる。
洋楽を聞き始めた頃とやってることが変わってなくて、ちょっと笑った。

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