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【短編小説】拝み屋緒神は拝みたい

 こんな夢を見た。

 都内のマンションの一室で遺体が発見された。男が首を吊って死んでいたのだ。
 男はその部屋の主で、名前は函南那緒といった。歳は32歳、都内の企業に勤める何の変哲もない独身サラリーマンである。特異な点を挙げるとしたら、勤め先の製薬会社が労基が泡を吹いて倒れるレベルのブラック企業で、函南もまた早朝から深夜まで馬車馬の如く働いていたことくらいだろうか。身体が悲鳴を上げる前に精神に限界が来たらしい。天涯孤独の函南那緒には逃げる先もなかった。
 遺族がいないので、遺体の処理は全て公的機関によって事務的に行われた。然るべき手順で供養され、遺骨は共同墓地に埋まっている。手順に間違いも不足も無かった。しかし、だからと言って魂が成仏するとは限らない。
 現場となったマンションは清掃後に売り出された。言うまでもなく事故物件だったが、立地が良かったこともあって買い手はすぐに付いた。しかし半年も経たないうちにまた空き物件になり、以降も人が住みつかない。住民曰く、毎夜毎夜梁がぎぃぎぃ軋む音がするらしい。最初は家鳴りだと思ったらしいが、だとしたら、軋む音がまるでなにかをぶら下げているみたいに規則的であること、そして夜にしか鳴らないのはあまりに不自然だった。次第に住民は体調を崩し、逃げるように転居する。
 ここで首を吊ったサラリーマンの祟りであるに違いない。大家がそう考えることも、その考えに則って拝み屋を呼ぶことも、マンションのすぐ近所に事務所を構えている緒神鞍馬に声がかかるのも極自然な流れだ。そこまではいいのだ。緒神も納得している。問題は、

「死んだと言われましてもですねぇ、拝み屋さん。私には死んだ覚えがないんですよ……」
 梁から首を吊ったまま、困ったように眉根を下げてそんなことを言う幽霊、函南那緒である。そっちが困った顔をするなと思う。困り果てているのはこっちだ。
 家財道具が一切置かれていない室内は六畳程度で、持ち込んだランタンだけでどうにか視界を保っている。薄暗い室内で部屋の梁をぎいぎい鳴らしながら首を吊っている幽霊がいる光景は結構だいぶ不気味だが、そんなことを言っている場合じゃない。
「首を吊ったまま言う台詞じゃないだろ、それ」
「はぁ……そう言われましても……どうして私、首なんて吊っているんでしょう?」
「首を吊って死んだからだろ……」
 こんなにも明白なのに、何故か函南には伝わらない。がしがし頭を掻くと、腕に絡めた数珠がじゃらじゃら音を立てた。
 拝み屋は拝む者である。特定の宗教によるものではなく、その定義や仕事内容は拝み屋の数だけあると言っていい。緒神の場合は、死者の未練払拭と成仏の為に拝んでいる。否、必ずしも拝まないかもしれない。現に今は拝んでいない。
 函南の場合は、そもそも拝む以前の問題なのだ。条理に逆らって今生に留まる魂、所謂幽霊は往々にしてこの世に残した未練や執着にしがみついている。そういう感情を整理してやって魂を自然の流れに戻す為に緒神は拝むのだが、函南は未練も執着も抱えていない。未練にしがみつく前に、死んだことを自覚していない。
「あんたに自覚があろうが無かろうが、死んだことに間違いはないんだ。オラよく見ろ、あんたの死亡診断書だ。死因は頸部圧迫による窒息死、ちっそく、死だ」
「はぁ……まぁ首を吊ったらそうなるでしょうね……」
「ついでにあんたの葬儀受付書、これが焼き場費用の領収書、共同墓地の見取り図がこれ、あんたが埋まってんのはここ」
「え、あ、はぁ……何から何まで恐縮です……」
「分かったか?あんたは死んで、遺体はつつがなく処理されて、ちゃんと供養してもらってんの。間違いなく死んでるだろ?」
「そ、そう言われましても……書面では実感がわかないと言いますか……」
「偽造不可能な公文書のどっこが不満なんだこのやろ……っ」
「ほらぁ、やっぱ無理がありますって緒神さんー。書類は説得力に欠けますよぅ」
 後ろから口を挟んだのは助手の、否、助手を自称している桧垣菜々子である。助手も弟子も取らないと言っているのにしつこく付きまとってくるあたりどんな幽霊よりも厄介かもしれない。今日だって、邪魔だから付いてくるなと言ったのに。
「来るなっつったろーが……。子供は寝る時間だ、帰れ」
「残念でしたぁー、18歳は成人ですー子供じゃないですー」
「屁理屈を言うな」
「大丈夫ですよ、危なくなったらちゃんと逃げますって。そんなことより函南さん、やっぱ首吊った記憶無いかんじですか?」
「……あぁ、何も覚えてないし実感がわかないんだとよ」
 仕方なく留飲を下げた緒神の横をするりと通り抜けた桧垣が、ふぅん、と思案気に函南を見上げる。否、桧垣には幽霊が見えないようだから、梁のあたりを見ていると言うべきか。
「……やっぱり函南さん、自殺じゃないんじゃないですか?」
 仕舞にはこれだ。はぁぁ、と一段深いため息を吐く。
「まだ言うか、それ?」
「だっておかしいですよ。首筋には吉川線があったんですよね?首を絞められて、縄を解こうとしてもがいた証拠です」
 死亡診断書の詳細欄を示しながらそんなことを言う桧垣から書類を取り上げつつ、言い返す。
「ミステリの読みすぎだ。吉川線は他殺の証拠じゃねぇの、自殺でも苦し紛れにもがくこともあるんだよ」
「じゃあ何で首吊りなんですか?此処は地上21階で、窓は開いてたんですよね?梁に縄かけてる暇があったら飛び降りちゃった方が早くないですか?」
「飛び降りは痛いから首吊りがよかったんだろ」
「首吊りだって痛いですよ」
「屁理屈を」
「首を吊るにしたって、この部屋にはドアノブもクローゼットもあるわけで、わざわざロープを通すのに足場が必要になる梁を選ぶ必要性も分かりません」
「高いところからぶら下がるのが首吊りっていう刷り込みがあったんだろ。ドラマも映画もそういう演出が多い」
「そもそも窓が開いてたなら外部犯も疑うべきじゃあないですか。函南さんの首を絞めて、梁からつるして、ベランダ伝いに逃げたとか」
「そんな痕跡があったらとっくに警察が突き止めてるだろ」
「突き止めないですよぉ、函南さんの件は早々に自殺が既定路線になりましたから、ろくすっぽ捜査なんてされてません」
「だからって」
「あとあと、ロープの入手経路がいまだに謎なのも気になりますよ!函南さんが買ったものじゃないんですよね、これ?」
「函南那緒が購入したという証拠がまだ出てきてないだけだ。そもそも大量に流通してる量産品なんだから、大昔に買ったか、全然違う町で買ってきたのかもしれないだろ」
「えぇぇ……そんなの買ったことないですよぉ……」
「あんたは黙ってろ」
「えっ、函南さん何か仰ってるんですか?何ですか?やっぱりロープに覚えなんてないかんじですか?」
「っだぁ~~~~うるせ~~~~~~~!!!」
 呻きながら頭を抱える。面倒だ。この流れは本当に良くない。
「桧垣!お前はちょっと黙ってろ!話をややこしくするな!」
「だぁって」
「函南那緒!あんたは取り敢えず生きていようが死んでようがどっちでもいい、取り敢えず未練を言え!今ここで死んだとして未練になり得ることを全部言え!全部解決してやる!」
 順番が逆だが致し方ない。正攻法で解決できないならば切り口を変えるまでだ。はぁ……、と相変わらず気の無い返事をしつつ、函南は吊ったままの首をひねる。
「未練、ですか……。そうですねぇ、やっぱり北海道でしょうか」
「北海道?」
 緒神につられて、桧垣もほっかいどう?と復唱する。
「えぇ。仕事があまりに辛かったので、耐えられなくなったらさっさと辞めて、北海道の田舎町に移住する計画を立てていたんですよ」
「移住」
「えぇ。貯金も十分に溜まっていたんですが、叶わなかったなら残念でなりません……」
 しおしおとする函南が語った未練と、緒神が考えていたシナリオは矛盾する。
 函南那緒はブラック企業の激務に精神的に耐え切れず、逃げ場を失って自殺した筈だった。しかし、前提が違った。函南那緒には逃げる先があった。手の中の書類をぱぱ、と捲る。函南那緒が持っていた通帳は二つ。預金用とみられる口座には、確かに新天地へ引っ越して生活を立てるに足る金額が入っている。
 北海道で悠々自適の第二の人生を目論み、それができる金も持っていた函南が、どうして自殺しなければならなかった?
「……」
「緒神さん?どうされました?函南さんは何て?」
 桧垣がひょこひょこと顔を覗き込んでくる。もしかしたら桧垣の仮説が正しかったのかもしれない。だとしたら面倒だ。函南那緒が自身の死を自覚するには、彼を殺した犯人とその手段を証明しなければならないかもしれない。そうでないと、未練と事実が矛盾する。
 全く勘弁してほしい。推理は拝み屋の仕事じゃない。



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