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【エッセイ】墓に私はいないけど

 私は肝硬変で死ぬだろう。そのことだけは、はっきりしている。だが、だからと言って墓は建てて欲しくない。私の墓は、私のことばではあれば、充分。

寺山修司著「墓場まで何マイル?」より引用

 「田園に死す」「書を捨てよ町に出よう」「天井桟敷」などで有名な寺山修司先生は、絶筆「墓場まで何マイル?」でこのように書いている。私の墓は私の言葉。それは、なんと理想的な弔われ方だろうか。

 眞木高倉は常に世界がほんのり嫌いで、ずっとぼんやりした希死念慮を抱えているので、たまに、死んだあと自分の体をどうされたいかを考えることもあります。ここは日本なので、一般的には火葬されることになるのでしょうが、遺骨をどうするのが望ましいとか、墓はどこがいいとか、そういう自分の最期についてです。
 とはいえ、墓は実家の墓があるので、例えば今後誰かの籍に入るとか、実家と絶縁されるとか、そういう天変地異が起こらない限りは実家の墓に入ることになるのでしょう。実家の墓は森を切って開いた山肌にあって、車のエンジンをぐんぐん回さないとたどり着けないような、辺鄙で静かな場所です。眺望は良く、天気のいい日は瀬戸内海まで見渡せます。
 黙っていれば高倉も、燃やされて、あの墓に入ることになるのでしょう。それも悪くはないと思うのです。
 しかし、もしも望むことができるなら、遺灰は瀬戸内海に散骨してほしいような気がします。高倉のゆかりの海。神の海。六時間ごとに同じ潮流を繰り返す、時計仕掛けの海。高倉は瀬戸内海が大好きなのです。

 さりとて、墓をはじめとした死者を弔う儀式全般は、死者の為でなく、遺された人の為に執り行われるものなので、死者当人の意見というのはあまり重要でないというか、順守されるものではないとも思うのです。実際、寺山修司先生の墓は東京都八王子市の霊園に建てられてしまったそうです。
 葬儀とは、遺された人が、一人の人を喪ったという事実を噛んで飲み下して、明日からを生きていくための儀式なのだと知っています。先日の祖父の葬儀は、恐らく祖父が生きていたら「こんなみすぼらしい式があるか!」と憤慨しそうに小さな家族葬でしたが、高倉を十分に前向きにしてくれました。遺族の為の儀式なのですから、それでいいのだと思います。
 同様に、高倉が「遺灰は瀬戸内海に撒いてほしいなー」と言ったところで、高倉の遺族がそれを守る必要と言うのは、あまり無いのです。高倉が希望を出すこと自体、お門違いなのかもしれません。
 そもそも、高倉には今後家族が増える予定もなければ、親族も極端に少ないので、高倉が死ぬとき、高倉の遺体を丁重に弔ってくれる遺族などという人は、もしやいないかもしれません。その場合、高倉の遺体をどうにかしてくれるのは公的機関ということになるのでしょう。お役人さんに「遺灰は瀬戸内海に―」なんて無茶を申し上げるわけにはいきません。
 となれば、高倉は死んだあとの処理について何を望むこともせず、「良きに計らって頂ければ……」と言うに留めるしかできないのです。

 しかし、やはり、「墓は私のことばであれば」は、字書きとしては理想的な死にざまだと思います。墓が故人を偲び、思いを馳せる場所ならば、言葉はそれができる場所だと思うのです。実家の墓石は何も語りませんが、ここにはずっと高倉がいます。
 いつか高倉が死んだとき、誰かがこのエッセイを思い出して、ここにお墓参りに来てくれたなら、こんなに嬉しいことはありません。

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