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【短編小説】宵の明星はまだ見えない

 こんな夢を見た。

 夜行列車「宵の明星1934」の車内で殺人事件が発生する。被害者は自室のベッドの上で脳天を撃ち抜かれて死んでいる。現場に拳銃は無い。部屋は個室、扉は内側から施錠された上にご丁寧にチェーンロックまでかけられていた。窓も内側から閂がかかっており、そうでなくても時速120kmで走行する列車の窓は逃走経路になり得ない。密室殺人、不可能犯罪である。しかし確実に、犯人はこの列車の中にいる。

「……アガサ・クリスティのパクりか?」
 呆れてそう言うと、さっきまでソファに優雅に沈み込んでつらつらと語っていた玲泉真宙は弾かれたように飛び起きた。
「ちっがーう!ちゃんと聞いててくださいよ千歳さん!被害者は射殺!オリエント急行の富豪はナイフでめちゃめちゃに刺されて失血死でしょう!?」
「犯人が一人になっただけだろ……」
「犯人が一人だったらオリエント急行殺人事件は成立しないんですよ!」
 パクリと言ったのがよほど気に入らなかったのか、真宙は古典ミステリを盛大にネタバラシしてまで否認する。構わず推論を並べる。
「で、パクリにしない為に拳銃を選んだのか?随分と安直だな」
「そんなわけないじゃないですか!全ての事象にはかくある合理的な理由があるんですよ、パクリ回避なんて非合理的でお粗末な理由で凶器を選んだりしません!」
「にしては面倒な手段じゃないか?ナイフと違って始末に困るし硝煙反応も残る、何より入手経路から身元が割れかねない」
「だから選んだんじゃないですか!客室どころか車両中くまなく探しても凶器が発見されず、誰の身体からも硝煙反応が出ず、凶器の入手経路も特定できなければ、千歳さんが推理するしかなくなるでしょう?」
 ずずいと詰め寄りながら捲し立てる真宙を、「はぁ……」と適当な相槌でいなしながらキッチンに立った。ケトルを仕掛けて、インスタントコーヒーをマグカップに放り込む。何も聞いていないのだが、「あ、お構いなく」と断った真宙は話を再開する。
「それに、客室の鍵はカードキーな上にオートロックです。中世ヨーロッパの特急列車とは設備が違います」
「そのようだな」
 片手間に、スマートフォンで件の観光列車の検索結果を見る。宵の明星、ルーツは1934年に開業した長距離寝台列車。戦争で焼けた車両を、復刻させたのは昭和後期。
「昭和の寝台特急を部分的にリフォームしてつけた鍵だろ?カードキーなら尚更、室内に鍵を放り込む隙間はいくらでもありそうだ」
「残念でしたぁ。カードキーは被害者の胸ポケットの中ですぅ、扉の隙間から放り込んだだけじゃそんなところには入れられません」
「ふぅん?何処にどんなふうにピアノ線を張るんだろうな?」
「今回はピアノ線は使いませーん。って、あ、今ちょっと誘導入れましたね?興味持ってくれました?」
 車内写真を、すい、すい、フリックして眺める。客室は価格に応じてランク付されている。窓に閂があるのはSクラスの個室のみ。最高級の客室だ。設備はベッドとデスク、冷蔵庫、洗面台、壁には空調。真宙が肩越しに手元を覗き込んでくる。
「Sクラスの客室は7号車の8部屋。チケットの競争率は高く、発売と同時に完売するのが常です。でも何故か、9月最終週の便は毎年全く同じ客が、同じ部屋を取っているんですよ」
「彼岸に豪華列車で旅行か。良い身分だな」
「優雅ですよねー。あ、でも彼岸の旅行ってよくないらしいですよ。何でも、本当に彼岸に連れていかれちゃうとか」
「今度はホラーか?きさらぎ駅の映画は良くできた異世界TRPGだったな」
「あの都市伝説をどう下敷きにしたらあの映画ができるのか謎ですよねー。って、話逸らさないでください?」
「先に逸らしたのはそっちだろ?」
 振り向きざま、カウンターに置いたスマートフォンの代わりに机の下から取り出したものを、真宙の腹に押し当てた。距離を取られないよう、腕を掴んで引き寄せる。

「それで?その殺人プランを、何処の誰に売ったんだ?」
 拳銃を突きつけられていると言うのに、真宙は呑気ににっこり笑う。
「えー?それは推理してもらわないと。サボりは良くないですよ、名探偵」
 ごり、銃口を押しつける。薄い真宙の腹、浮いた肋骨の感触が銃身越しに伝う。
「……推理なんて迂遠な手段を取らずに済むなら、それに越したことはないんだよ」
「迂遠だなんて!千歳さんの推理はいつも最短ルートで真実に辿り着くじゃあないですか。だからみんな、千歳さんの推理を楽しみにしているんですよ」
「みんなって誰だ」
「みんな、ですよ。私を含めて」
 相変わらず訳のわからないことを言う。時間稼ぎか、或いは遊んでいるだけか?此処で真宙を殺したところで、殺人計画は止まらない。だから私は撃たないと、真宙はたかを括っているのだろうか。銃を握る手に力が籠る。

 不意に、くしゃりと紙の音がした。
 見ると、真宙の腹と銃口の間に紙が二枚挟まっていた。いつの間に。真宙が胸元に忍ばせていたのか、腕を掴んで引き寄せたあの瞬間に挟み込んだのか。若干シワが寄ったそれは上等紙、先刻スマートフォンで見たホームページのエンブレムと、「宵の明星1934 乗車券」の文字が印字されている。
「9月最後の運行は明日、東京駅発です。これから起こる事件のあらましも凶器も教えて差し上げたんですよ。まさか、乗らないなんて仰いませんよね、名探偵?」
 玲泉真宙、と名乗る犯罪卿は、尚も穏やかに微笑んでいる。




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