【エッセイ】大丈夫だよ、ばあちゃん
祖母の話をしたい。
母方の祖母は、昭和の女性像をそのまま具現化したような人だ。美人で優しい、気が利いて、面倒見が良くて、旦那様に献身的。さだまさしの「関白宣言」が可愛く見えるほどの暴君ぶりを発揮していた祖父に、文句の一つも言わず何十年も尽くしてきた。祖父と祖母の関係性の話は、主に母からの又聞きでしかないので全面的に信じているわけではないが、少なくとも祖父が「酒を呑むからつまみをつくれ」と言うと祖母が「はいはい」と台所に立つ、という光景は幾度となく見た。祖母は祖父の好みを完璧に把握していて、その時祖父が欲しいつまみを必ず出して「これこれ!」という祖父の感動を引き出すことができた。
この献身は家族に対しても発揮される。幼い頃の高倉が、たまたま実家のダイニングテーブルに余っていたじゃがいものてんぷらを「美味しい!!美味しい!!」と大感動しながら食べたというエピソードを、祖母は末永く覚えていて、高倉が帰省するたびにじゃがいものてんぷらを作ってくれる。当の高倉はというと、じゃがいものてんぷらエピソードを全然覚えていないし、今の高倉はじゃがいものてんぷらよりもかき揚げが好きなのだが、祖母の中の高倉像は年月の経過で更新されない。
同時に、祖母は聡明な人だった。何気ない一言が必ず的を射ている。高倉の人生の節目には、誰かの名言を筆でしたためて贈ってくれた。実家の高倉の部屋には、留学前に祖母がくれた「まず一歩前へ」と記された一筆箋が飾ってある。
高倉が祖母に相談事をしたのは、たった一度だ。
大学を卒業して社会人になろうという頃、高倉はバイトで知り合ったおじさんに言い寄られていた。LINEで「女性として好き」と言われ、レタリングで記された恋文を渡され、「精神的に参っている」ということで夜通しハグされるなどしたこともあった。今となっては気持ちが悪いことこの上ないし縁切り待ったなし案件なのだが、当時の高倉はそれはそれは愚かで、「尊敬できる人だし……」と二の足を踏んでいた。こんなこと、父母にも妹にも相談できず、もっと気軽な相談ができるような友人知人も持ち合わせていなかった。
母には言わないでほしい、という前提を置いて、これを祖母に相談したところ、こう返ってきた。
「あなたがどう思っているにしても、あちらには間違いなく下心がある。正しい結果にはならない。悪いことは言わないから、距離を置きなさい」
祖母には「わかった!有難う」と言ったが、高倉は愚かだったので、内心は全然煮え切らなかった。多分祖母は高倉が煮え切っていないことも分かっていて、実家に帰るたびに母の目を盗んだタイミングで「その人と、どうなった?大丈夫?」と心配してくれた。大丈夫だよ、大丈夫だよ、有難うね、と刷り込むように嘘をついた。
結局、そのおじさんと縁を切ったのは、祖母に相談した五年後だった。
祖母は最近、足を壊して施設に入った。頭もぼんやりしているようで、以前のようにスムーズな会話は成り立たない。病気というよりは、老化だ。老いに効く薬は無い。
母に電話をしたところ、「おばあちゃん、ずっと高倉のこと心配してるのよ。地元から離れているからかしらねぇ」と教えてくれた。そっかぁ、元気だよって言っておいて、と母に返しつつ、祖母に申し訳ない気持ちが胸を占める。心配をかけているのは地元から離れているから、だけじゃないのだと、高倉には分かる。
あんな相談しなければよかった。何年経ってもじゃがいものてんぷらを作ってくれるような人が、あんな相談をおいそれと忘れてくれる筈がない。きっと老化も手伝って、いくら「解決したよ」と言っても、そう更新してくれない。母に言わないで、という約束もずっと守ってくれていて忍びない。
ごめんね、ばあちゃん。心配しなくても大丈夫だから、大丈夫だよ、ごめんね。もう分からないかもしれないけど、大丈夫だから。大丈夫。ばあちゃん有難う。
分かっている。何を言っても、祖母はずっと安心しない。できることが何もない。せめて、本当に大丈夫で居続けることが贖罪になるだろうか。