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【エッセイ】等身大で生きていく

 ユニクロでTシャツを買った。無地のオーバーサイズTシャツだ。

 高倉のクローゼットには無地のTシャツが無かった。決まって変な柄が入っていたり、文字が入っていたり、イラストが入っていたりする。高倉はこういう派手で変なシャツのことも大好きだが、最近ちょっと、柄物を身に着けるに抵抗を覚えることが増えた。
 柄物は好きだ。身に着けるとテンションが上がるし、誰とも被らないアイテムは高倉を無敵の気分にしてくれる。オフィスカジュアルの範疇から出ないように、変な柄のシャツやパンツで遊ぶのが好き。好きだから、そういうアイテムばかりがクローゼットに増えてゆく。
 そして最近。柄物ばかりのクローゼットを開けるたびに、なんだか疲れてしまうのだ。こういう元気いっぱいの服を身に着けるだけの体力が、いよいよ無い。

 無地だ。無地のものがいい。柄も文字もしんどい。何も書くな。無地のシャツを寄越せ。
 その一心でユニクロに向かった。丁度、ユニクロ創立何周年だかのセールをやっていて、イメージ通りの無地Tシャツがワゴンセールよろしく安売りされていた。渡りに船とはこのことか。有難うユニクロ。
 そして、着てみて感動した。柄のないシャツ、着心地の良さを追求した飾り気のないシャツが、こんなに安らぐものだとは思わなかった。無地、今回は真っ黒いTシャツを買ったのだが、シルエットがすとんとしているし、肌触りもさらさらしていて心地いいし、何より気分が落ち着く。アガる言葉も書いてない、可愛いイラストも入っていない、好きなアニメのプリントだってない。気分を上げるためのものが何一つないシャツ。気分を上げなくても、等身大で立っていられるシャツ。二十代の頃の高倉だったら、無地のシャツを着ていては所在なくて仕方がなかっただろう。

 世間には、年相応の服装という価値観があるらしい。十代はSPINSのパーカーを着て、六十代は着物を普段着にするような、ともすれば偏見とも取れる社会通念。ファッション誌も「二十代向け」「三十代向け」「四十代向け」で区分けされていると聞く。正直、こういう向きはくだらないと思っていた。年齢に応じて似合うファッションが変わる、というのは、社会的地位が上がるにつけて服装に費やせる金額も変わってしかるべき、という固定観念から来るもので、実際はいくつになっても着たいものを着たらそれでいいじゃないか、と。
 しかし、もしかしたらそういうことじゃないのかもしれないと、ユニクロのTシャツに袖を通して思った。
 まだまだ自分の土台がなかった二十代の自分が、自分を保つために選んだファッションは、多分戦闘服だった。エリマキトカゲがエリを広げて威嚇するように、自分を大きく見せるためのもの。それを「好き」と解釈していたのも、もしかしたら虚勢の正当化だった。経験を重ねて、土台ができて、威嚇する必要がなくなった高倉が、「もういいかぁ」とエリを仕舞うように、派手なファッションを手放すのは自然な変化かもしれない。それを世間は「二十代向け」「三十代向け」「四十代向け」と呼んでいるのだろう。

 それにしてもユニクロのTシャツ、これは本当にいいものだ。スティーブ・ジョブズではないが、ずっとこればっかり着回してもいいかもしれないな、と極端なことを考えつつ、まだ派手なクローゼットを閉じる。


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