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【エッセイ】真っ黒いラーメンどんぶり

 生まれて初めて、黒い食器を買った。ラーメンどんぶりだ。しっとりとした質感の黒い陶鉢で、表面が手作りっぽく波打っている。DAISO品なので手作りでないことは確かだが、言わなければバレない程度には上品な佇まいをしている。
 高倉の家の食器は軒並み白い。引っ越すときに実家から拝借してきた白い浅皿は、数年前のヤマザキ春のパン祭りでもらったものだ。それに合わせたわけではないが、買い足した茶碗、小皿、カレー皿、全て白い。大きな平皿には花柄があしらわれているが、それでも白基調だ。

 思えば、実家の食器も白がちだった。食器棚を思い起こすと、真っ白と言うわけではないが、淡くて明るい色の食器ばかりが並んでいる。強いて言えば赤と黒の汁椀があるが、これは母の趣味というよりは様式美とか伝統的なものだろう。
 食器だけでなく、実家は全体的に淡い配色でできている。白いソファ、ナチュラルウッドのローテーブル、パイン材の棚、ベージュのカーテン。濃い色を多用すると部屋が暗くなるからね、というのが母の受け売りだった。その理屈はおかしい。家の明るさは家具の色でなく照明の輝度で決まる筈だ。或いは家族が円満かどうかとか、仲良しかどうかとかだろう。笑顔が絶えない家は明るい家と形容される。

 高倉の趣味と母の趣味は全く合わない。高倉の部屋のカーテンは濃い茶色だし、ベッドカバーは黒いし、家具は黒やウォルナット色でできたものばかりだ。高倉は武骨でインダストリアルなかんじが大好き。茶色いカーテンを買う高倉に「部屋が暗くなっちゃうよ」と母は忠告してくれたが、高倉はどうやら暗い方が落ち着くようだ。できるだけ重苦しい配色の部屋を、オレンジ色をしたアンティーク電球で照らし出して暮らすのが、高倉にとって最善。

 ラーメンどんぶりの話に戻ろう。
 黒いラーメンどんぶりを買ったのは成り行き(ちょうどいいサイズのラーメン鉢が黒しかなかった)だが、正直これは大正解だったと思っている。白い食器ばかりが並ぶ棚に置いてみて、改めて黒の美しさに見惚れた。黒の食器ってこんなに、こんなにかっこいいものだったのか……!
 勢いに任せて、ラーメンを作ってみた。豚骨ラーメンのスープをラーメンどんぶりの中に入れる。スープが真っ白く輝いていた。豚骨ラーメンのスープってこんなに白かったのか。今まで白い食器しか使わなかったから、全然気が付かなかった。次いで投入した麺もまた白く、黒い椀に映えている。シリコンスチーマーで蒸しただけの野菜を上に乗せる、冷凍のネギと、メンマも乗せる。こんな手抜き料理はそうそう無い。そもそもこれは料理と呼べるのかすら怪しい。しかし、真っ黒い椀、重厚感と高級感がある黒の椀のお陰で、まるで高級料理店の一皿のように見えてくる。しなびたメンマも上品な珍味みたいな顔をしている。

 最高に美味しいラーメンをすすりながら考える。この美味しさはラーメンの美味しさなのだろうか、黒い食器の美味しさなのだろうか。
 通勤路の途中にある、DAISO系列のオシャンティインテリア店、Standard Productsの、ショーウインドウを思い出す。一番目に留まりやすい高さに、サイズ違いの黒い皿がマトリョシカみたいにディスプレイされていた。今どきのお皿はシンプルでお洒落で機能的だ。あの形なら収納もしやすいだろう。
 真っ黒になった食器棚を夢想する。重厚感と高級感が魅力的だ。まるで高級料亭の棚みたい。若干重苦しさはあるかもしれない。その棚に、今ある真っ白い食器たちは入りきらないだろう。

 その時、白い食器の眩しさが恋しくなったりするのだろうか、と思ってしまって、食器棚を真っ黒にするまでは踏み出せずにいる。

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