【映画記録】ずっとこっちを見てくれない
映画「千年女優」を観た。
言わずと知れた、今敏監督による名作映画。そして高倉が世界で一番好きな映画だ。Filmarksさんによるリバイバル上映企画の一環で、全国の映画館で上映された。
以降、ネタバレを多分に含みます。どうかご自衛くださいね。
物語の構成はシンプル。大女優・藤原千代子のドキュメンタリーだ。藤原千代子は女優になる前、出会った青年から「一番大切なものを開ける鍵」を預かり、青年に鍵を返すためにその影を追い続けている。但し、藤原千代子は女優なので、彼女の半生を振り返る物語には彼女が演じる物語がシームレスに介在する。彼女はいつも、誰かを追う役を演じ続けていた。
青年が残していった鍵は、青年の不在証明だった。藤原千代子は青年の名前どころか素性も行方も知らない。何をして官憲に追われていたのかも分からない。官憲に追われるような青年との出会いなんて、同級生との恋バナに青年の話は持ち出せないのだから、恋を語ることだってできない。青年がそこに居たこと、青年に恋をしたことを、証明してくれるのは鍵だけだ。首にかかったその鍵だけが、誰を探すべきか教えてくれる。青年が既に亡くなっていても、それでも。
藤原千代子は人生で二度、この鍵をなくしている。一度は映画監督が藤原千代子を手に入れる為に意図して隠した時。そして一度はちょっとした事故だ。事故以降三十年、藤原千代子は鍵を持たずに生きた。
事故で失われたこの鍵は、映像製作会社の社長・立花源也という男が持っていた。立花源也は藤原千代子の半生を振り返るドキュメンタリー企画の主催、且つ、藤原千代子の熱狂的な大ファンで、その愛と献身は時に藤原千代子の半生にも侵食した。地震が起これば藤原千代子に覆い被さり、藤原千代子が監禁されれば見張りに扮して彼女を逃し、藤原千代子の身代わりに撃たれもした。立花源也の目は常に藤原千代子を追っている。立花源也が映画製作の業界へ飛び込んだのも、藤原千代子を追ってのことだっただろう。
立花源也が鍵を拾ったのも、藤原千代子を庇った時だった。撮影中の地震で、藤原千代子の上に振ってきた舞台セットから、彼女を身を挺して守ったのは立花源也だ。撮影スタジオには多くのスタッフが居たが、咄嗟に藤原千代子のもとへ駆けつけたのは立花源也だけだった。立花源也にとって藤原千代子は、命を投げ出すに値する。
事故以降、藤原千代子は表舞台から姿を消し、立花源也は鍵を返す機会を失う。以降三十年、立花源也は藤原千代子に鍵を返すために藤原千代子を探し、ドキュメンタリーの取材まで漕ぎつけた。
立花源也と藤原千代子はいずれも、「鍵」をもって「追う」という動作を取る。
しかし着地は違う。立花源也は三十年を経て藤原千代子に会えたが、藤原千代子は結句青年に会えなかった。
藤原千代子は最後、鍵を握りしめて病床につく。藤原千代子の余命は長くなく、立花源也もそれを知っている。枕元でめっちゃ泣く。だって好きな人が死んでしまう。それでも立花源也は笑って「やっと鍵の人に会えますね」と絞り出す。それがせめて、藤原千代子の救済になればよかった。
しかし藤原千代子は、彼に会えても会えなくてもどっちでもいいと笑う。そして病床は宇宙船とリンクする。月へ旅立つ藤原千代子は、「だって私、あの人を追いかけている私が好きなんだもの」と言い残す。
立花源也のそれはきっと愛だった。自分のことなんかどうでもいいから、藤原千代子の幸せを願っていた。献身。純愛。立花源也が藤原千代子に会えたのは、本当に会いたかったからだろう。そこに打算もミーハー心も無い。
一方、藤原千代子のそれは恋だったのだろう。胸を焦がす感情。十四日目の月のような、ずっと満ち足りない気持ち。恋は人生の春だと言う。恋をしている自分が好きで、満ち足りない自分が愛しくて、自分をそうしてくれる人のことが好きなのだ。鍵は、藤原千代子が好きな藤原千代子を実現する為の符号で、再会の約束ではなかった。
成程、恋とはそういうものかもしれない。好きな人とは、自分を自分が好きな自分にしてくれる人だ。恋は必ずしも愛に呼応しない。仕方がないことだったのかもしれない。
それでも最後くらい、せめて一度くらい、立花源也のことを見てくれたって良かったのではなかろうか。
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