【映画記録】ティモシーシャラメの顔が良い
映画「ボーンズ・アンド・オール」を観た。
人を食べてしまう衝動を持つ人間は食人族と呼ばれ、社会の中に一定数存在するとされている。映画を観た感触だと、左利きの人くらいの確率でいる。主人公のマレンは、父親に捨てられ母に会いに行く旅路で三人の食人族に出会っている。
うち一人が青年・リーだ。飄々とした所作も、世間を知った気になっている幼さも、膝が丸出しになっているダメージジーンズも良いが、何よりめっちゃめちゃ顔が良い。それもその筈、リーを演じたのは、映画「君の名前で僕を呼んで」で、吹けば飛びそうになまっちろいながら浮世離れした美しさと芯の強さを持つ主人公、エリオを演じたティモシー・シャラメその人である。
美しすぎて吐きそうです。
以下、ネタバレを含みます。未鑑賞の方、ネタバレいやだようという方はどうかご自衛ください。
相談をして「わかる」「それな」と言ってもらえると安心する。自分が抱えた悩みと全く同じ悩み事がYahoo知恵袋に投稿されているのを見るとほっとする。自分で解決策を見いだせない悩み事が、先人の知恵や友人知人のアドバイスに頼ることで解決するかもしれないという希望とか、みんな同じことで悩んでるんだなという安堵とか、そういうものが、特に思春期は必要だ。
マレンが食人族を自覚したのは十八歳で、食人が異常なことなのだと理解している。異常でなければ、父親はマレンを捨てたりしない。
異常だが、衝動は自分で止められるようなものではない。電話中でも眠気が勝てば眠ってしまうように、目の前にマニキュアを施した友人の指が翳されたタイミングで衝動に襲われればうっかり食いちぎってしまう。手に負えない。手に負えないのに、誰にも悩みを打ち明けることができない。高校の友人に「ついつい人食べちゃうんだよねー、どうしたらいいとおもう?」なんて聞いても、冗談として流されるか通報されるかだろう。
サリーは、マレンが初めて出会った同志だった。
サリーは若干不気味な老人であり、マレンと同じく食人の衝動を持つ人間だ。食人族はにおいで嗅ぎ分けることができることを教えてくれたし、死体や死ぬ間際の人間の嗅ぎ取り方も教えてくれた。サリーとマレンは、病死した老婆の遺体を一緒に食べる。
食人という行為を共有し、「こういうときはこうしたらいい」というノウハウを知る。サリーが教えてくれたことは少なからずマレンを救った。もしもサリーがマレンと同世代で、もうちょっと清潔感があって、食べた人間の髪を編み込んだロープなんかを持ち歩いていなかったら、マレンはそのあともサリーと行動を共にしていたかもしれない。
サリー、うん、サリーがあまりにも気持ち悪いのだ。
マレンは初手からサリーを警戒しまくっていた。マレンの食人族のにおいを「数マイル先からにおっていた」とか言うサリー、年端もいかない女の子であるマレンを無遠慮に家に連れて行こうとするサリー、食人云々はさておき結構だいぶ気持ち悪い。マレンは、行く当てがないからついては行くものの、自衛の為にポケットに石を忍ばせる。最後はサリーの目を盗んで家を抜け出し、長距離バスに飛び乗って逃げる。
老人サリーと青年リーは、いずれも食人族であり、その特性のと付き合い方を(少なくともマレンよりは)分かっている。いずれもマレンにとって共感を得ることができ、先人として教えを乞うことができる相手だ。
にもかかわらず、マレンはリーを選び、サリーを拒絶する。
サリーとリーの相違点は幾つかある。サリーは食べた人間のことを覚えておこうとするが、リーはそうしない。サリーは進んで殺しをしないが、リーは雑木林で相手の首すじを掻っ切ってまで食べる。マレンにとって、リーの姿勢がより好ましく、サリーのそれは受け付けなかったということ、だろう。だろうか?サリーは達観しているのに対して、リーは自分と一緒に悩みながら苦しみながら普通の生き方を模索してくれると思った、とか、だろうか?
色々とこねくり回そうとしてみたが、正直、そんなに複雑な話ではないような気がしている。マレンは思春期の女の子だ。浮浪者のような見た目の、死体からはぎ取った髪を持ち歩いている老人は、普通にキモい。同志とは言えキモいおじさんと行動を共になんてしたくない、ティモシーシャラメの顔をした同志かつ同世代の青年に出会えたなら絶対そっちの方が良い。
サリーの方が熟練していて達観している。学べることが多いのはきっとサリーだ。サリーもそう思っている。だからこそ、マレンがリーを選ぶ意味が分からない。マレンはどうしてより有益なサリーを選ばない?サリーは、自分がキモいからだなんて思いもよらない。
最終的に、「食人」という要素はあまり大きな問題ではなくなっている。左利き、よりも遥かに深刻な問題ではあるが、本質は同じだ。誰もが、左利きの苦悩を語り合いたかった。自分が出した答えを共有したかった。或いは、一緒に答えを探したかった。その果てに、サリーの気持ち悪い執着がある。サリー。何はともあれ執着は罪だよ、サリー。
高倉の悩み事が世間一般の想定の域を出ないことと、悩み事を相談できる相手がいることの有難みをかみしめつつ、ティモシーシャラメの顔面に末永く見惚れている。
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