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映画「エル・スール」について

「エル・スール」と「方南町」の微妙な関係

2024年3月末、キネマ旬報シアターにて鑑賞。
この「エル・スール」は、本年2月ビクトル・エリセの新作「瞳をとじて」を公開時に、特定の映画館で「ミツバチのささやき」とともに再映された。
上映館数が少ないため、観ることができずにいたが、常日頃通う劇場にて上映されてたいへんありがたい限り。
「瞳をとじて」も上映されたので、もう一度鑑賞し、続いて「エル・スール」を観た。
比較すると「エル・スール」の方の客入りがよかったようだ。

「エル・スール」を最後に観たのは、10年以上前にことになる。
タイトルに偽りない、正しく「南へ」という映画であったと思う。
それと「ミツバチのささやき」と同じく少女のまなざしが印象的だった。
また、唐突に映画が終わるということも記憶している。
それくらいのものだ。

今回観たところの率直な感想はといえば、やはりラストの唐突さに尽きる。
だが、この観客を突き放すかのような唐突さに、感動せずにはいられない。
映画そのものを観客に委ねたかのような終わり方である。

製作者により、その「南へ」行ったあとは描かれなかったというが、その気持ちもわからなくはない。
全体の長さからすれば、これでよいとも言えるはずだ。

「ミツバチのささやき」でもそうであったが、「エル・スール」でも家族が揃うシーンは、僅かしかない。
夫婦の不和を描くならば、普通は夫婦そのものを対峙させるはずだが、ビクトル・エリセはそうしない。
最近観たばかりの相米慎二監督「お引越し」も、夫婦の不和とその子(少女)という設定なのだが、「お引越し」では普通に夫婦が衝突していることが描かれる。
しかし、「エル・スール」では、夫婦が揃って映るシーンすらひとつもないはずだ。

家の中で少女(エストリア)が家庭内家出をして、べットの下に隠れる。
このエストリアの可愛らしいこと!!!

この「エル・スール」の全体に漂う透明感は、人物同士が一定の距離を保っていることから生まれていると思う。
ビクトル・エリセは溝口健二のファンのようだが、この「エル・スール」には小津的ものを感じずにはいられない。

ここからは余談である。
ワタシは、仕事のため車で東京の主要幹線道路の環七をよく通るのだが、渋滞などしていると「方南町」の文字が目に入る。
そのたびにワタシは「方南町」=「エル・スール」と呟いている。
「方南町」には、地下鉄丸ノ内線の支線の終点の駅がある。
なぜここで終点になっているかは知らない。
路線図を見れば、支線とはいえ「方南町駅」で突如分断されるのは、ちょっと不可解な感じが否めない。
延伸計画がなかったわけではないだろう。
この「方南町駅」の運命は、どうにも映画「エル・スール」の後半が描かれなかった運命と重ねずにはいられない。
映画の夢と、地下鉄の夢が交錯するのである。

2024年6月22日UP
※このテキストは、筆者がYahoo!検索(旧Yahoo!映画)に投稿したものを転載したものです。


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