映画「恋愛日記」について
※本テキストは、この映画のネタバレを含みます。
トリュフォーの「天国は待ってくれる」
2024年5月DVDレンタル(DMM)にて鑑賞。
同時にエルンスト・ルビッチの「天国は待ってくれる」も借りたのだが、我ながらこの「2本立て」は素晴らしいチョイスだったと思う。
どちらも異常なほどに「女好き」の男の話である。
(ということで、本テキストは、「恋愛日記」と「天国は待ってくれる」のネタバレを含む)
「天国は待ってくれる」の方では、主人公の女性遍歴は、数多くあるものの詳細は省略されている。
しかし、こちらの「恋愛日記」では、逆に主人公の女性遍歴が「詳細」に描かれている。
というのものの、ある女性の出会いからはじまり、次のシーンでは、べットを共にしているというのは、いかがなものか???
だいたい恋愛対象の女性が多すぎて、最後の方では、最初の方の人を忘れてしまった。
ラストシーンで、関係ある女性が埋葬に訪れるが、半ばトランプの「神経衰弱」の如く、出てきた女か否かがよくわからない。
ワタシは、泣いていた赤い服の少女がラストに登場するのではないかと推測したが、当たらなかった。
「天国は待ってくれる」は明らかなコメディだったが、「恋愛日記」は、コメディの要素はあるものの全体的には、シリアスなストーリーだと思われる。
どちらの映画もラストは、主人公の「好色一代男」が死んでしまう。
「天国は待ってくれる」の主人公(ヘンリー)は、死後の世界で、閻魔大王に会い、数々の女性遍歴を語り、「決して女性たちを不幸にしたわけではない」として、天国行きを宣言される。
ならば、「恋愛日記」の主人公(ベルトラン)の場合はどうだろうか?
この人物も、関係あった女性たちを幸せにしたようだ。
だが、終盤に登場したベビーシッターのように、善悪が判別しかねる事例もあった。
すべての女性たちへの懺悔に意味も込めたのが、映画の中での小説「恋愛日記」だったのだろう。
ベルトランに、「天国行き」の切符を与えるべきか?
その答えは、観客それぞれに委ねられている。
特に女性ならば、判断が大きくわかれるのではなかろうか?
また、小説「恋愛日記」の最後の校正において、「赤い服」から「青い服」と変えられたため、あの階段で泣いていた少女は、この小説を実話だと思うことはないはずだ。
もし、最後の埋葬のシーンにこの少女が登場するならば、いくらか成長している必要があり、それを短く表現するのも難しい。
この少女が登場する重要性は、汚れを知らぬ「女性」をひとり出ることによって、ベルトランの「良心」を強調する役割があった。
これが「赤」から「青」に校正されることによって、補完された。
おそらくは、閻魔大王もベルトランに「天国行き」を命じるにちがいない。
2024年5月24日UP
※このテキストは、筆者がYahoo!検索(旧Yahoo!映画)に投稿したものを転載したものです。
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