見出し画像

コーチ編 Part1 『僕のコーチとしての原点』

Twitterでテーマを募集して、
「大学院生としてコーチしていたときに何を考えていたか」
という面白いテーマをいただいたので書きます。

まず、私は大学卒業後に、大阪教育大学大学院に進学し、6年?7年間バスケットボール部のコーチ(?)をしていました。
(?)にした理由は、自分がやっていたことはコーチングではなかったし、いまだに自分がコーチと呼べる存在になれていると思っていないからです。

大学院卒業後も4年間続けていましたが、今回は在学時のことについて。

コーチを始めたばかりの頃は本当に何もわかりませんでした。
何もなかったのです。
オフェンスもディフェンスも何をすればいいか、何をしたいかもありませんでした。
なので、正直当時何をしていたかほとんど覚えていません。
でも、選手には怒鳴り散らしていましたし、とてもクレイジーな人物でした。

つまり、僕はとても悪いコーチでした。

自分でもいつもそれは分かっていました。
分かっていてもどうしてもわからない。目の前の選手をうまくしたいのにその方法を知らない。
イライラが募るばかりで、夢の中でさえ選手を怒る夢を見るほどでした。


実は、この点については未だに減らないバスケットボールの体罰の原因になってるのではないかと思ってます。
この辺を書くとまた別のテーマになりそうなので、また書きます。


もちろん、手を拱いていたわけではありません。毎日バスケットボールの専門書を読みあさり、研究そっちのけでバスケットボールの勉強に明け暮れました。

でも、、全くわからない。
本当に、まっっったくわからなかった。

バスケットボールを教えることは、当時の僕にとってそれほどに難しいことでした。

幸い、当時のチームにはリクエストをくれた計太くんを始め、優れたリーダーがおりチームは強くなりました。
本当に彼らに助けられ、彼らから多くを学んだ時間だったと思います。
ありがとう。

大学院を卒業するころ、僕にはある出会いがありました。
その出会いが、その後のコーチとしての人生を一気に加速させることになるのですが、、

それはまた、別の話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?