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敗北というリラックス

緊張と恐怖心は結びついている。

だからリラックスは、怖い。

その怖さを通り抜けることで、抜ける力みというものがある。

経験的にも一段階深くリラックスできるようになる時には、うっすらとした恐怖心が伴う。これがない時は、一時的なかりそめのリラックスである可能性が高い。

動きが頑なに変わらないケースを思い返してみると、共通して腰に独特のこわばりがあり、これがなかなか抜けない。立とうという力が強すぎて、倒れることができない。このこわばりがある場合、他人の話が入っていかないという共通点もある気がする。ここは要継続調査だ。

これは一種の上昇志向なのだろうか。倒れる自分、立場が下になることへの抵抗なのだろうか。自己効力感、万能感なのだろうか。

でもむしろ無力感の方が、リラックスをもたらす。読んで時のごとく、「力みが無い」と書くくらいだし。

少なくとも僕はそうだ。

震災直後にふとした縁で被災地入りし、その惨状を目の当たりにした時に、自然の猛威に対して覚えた無力感。人間、どんなに頑張ったって自然に全然歯が立たないじゃないかよ、と。

その時にふっと力が抜けた気がした。人類がいくら頑張ったって無理なものは無理だ。だから自分がいくら頑張ったってたかが知れている。だから自然の力を借りた方がいい。僕のプッシュ&ムーブの解釈はそういう考えに基づいている。

言い換えれば諦めだ。

その時のことについては月刊秘伝6月号に「震災と武」というタイトルで寄稿したのだけど、今でも大きく考えが変わったわけではない。

だからクラスでなかなか力みが抜けない様を眺めていると、どうしても「この人は何を諦められないのだろう」と考えてしまう。

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