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隣のまだ見ぬ世界

ここでは仮に「コンサルさん」としよう。

コンサルさんはとある業界で一世を風靡した。

経営者として格段の実績を誇りながらもある時、無理をしすぎて倒れてしまった。

それであれこれセラピーや身体論、カウンセリングなどを学びまくる中で、僕の本を読んでくれて「システマこそ最強のストレスマネジメント」という結論にたどり着き、僕にコンタクトしてきた。プライベートレッスンを頼みたいと言うのだ。

倒れた後はしばらくの療養期間を経て、全く別の業種で小さなビジネスを始めた。だから一線を退いたとはいえ、世の中の表裏両面を知りぬいたコンサルさんの元を、多くの経営者たちがアドバイスを求めて訪ねていた。その中には誰もが知る企業の人や有名人もいたようだ。コンサルさんはおそらく彼らからは一銭も受け取っていない。だから厳密には職業コンサルタントではない。ただ単に「仲間を助けたい」という一心で相談に乗っていた。実際に僕もシステマ東京をリニューアルする際に相談しに行って、とてもためになるアドバイスを頂いたのだけど、やっぱり謝礼は一切求められなかった。

僕はその人の元に月1回のペースで通い、システマの呼吸やメンタルマネジメントを教えた。もともと博識で、熱心だったそのコンサルさんはどんどん吸収していって、ついでに持病の腰痛まで改善してしまった。

しまいにはほとんど雑談しに行くような感じになったのだけど、つい僕がこんなことをポロリと言った。

「ストレスがかかるといっても、経営者の皆さんは自分で決められる裁量があるんだから、従業員より気楽なのでは」

するとそのコンサルさんは珍しく険しい顔をして一言。

「とんでもない! 経営者たちのストレスはそんなもんじゃありません。」

これは僕のすぐ隣に、全く知らない世界があることを知った瞬間だった。

コンサルさんの剣幕はあまりにも実感に満ちていた。経営者の苦難、苦悶、苦渋。それを僕はまったく知らない。理解していない。

それではこの人達を本当の意味では助けることができない。いくらシステマを持っていても、活用することができない。

だったら理解しなくては。

それが手始めに日経新聞を読み始めたり、経済や政治について勉強し始めたきっかけとなったように思う。株式会社を立ち上げてみたのもその一環だ。

僕が知らない苦しみを理解したい、なんていうと高尚な感じがするけど、とにかく自分のすぐ隣に「全く未知の世界」があることが我慢ならなかったのだ。

そうして分かったのは、世の中には「お金を動かす人」と「お金に動かされる人」の2種類にざっくり分かれるということだ。これは性質とか人格とか偉いとか偉くないとかではなく、立場の問題だ。これはすなわち、「世界を動かす人」と「動かされる人」の違いでもある。

別にどちらが良くて、どちらが劣るというわけではない。両方とも世の中には必要だし、両輪となるからこそ世の中が回る。

べつに僕は両方の世界を知り抜いているわけではない。ただざっくり2つあるようだ、ということの一端に触れただけに過ぎない。

ただ僕は隣にあった世界に、少しだけ足を踏み入れた。

すると世の中の見え方がまるで変わる。

それまで共感できていたことに、深い違和感を感じるようになる。

あるいはそれまで違和感を感じていたことに、共感できるようになる。

つまりはひっくり返る。

これはシステマを通じて東側の世界観を知った時以来の、大きな変化だ。

その人が別にどの立場に立とうと自由だ。

でもその自由を得るには、対岸の世界を知る必要がある。知った上での選択と、知らずにただそこにいるのとでは雲泥の差なのだ。

僕はシステマで世界を良くできると本当に思っている。

それには世の中のあらゆる立場の苦しみを理解しなくてはいけない。共感できず、寄り沿えなくても、とりあえずひとかけらでもいいから理解しないといけない。そうしないとシステマを届けることができない。そしてシステマの本当の凄さやおもしろさに触れることもできないと思う。

だから僕は隣の世界をもっと理解していきたい。現時点では全然、端っこもいいとこだから。同年代や年下でもすごい人はいっぱいいる。ただこうして少しずつ自分の世界が広がっていくことは、たまらなく楽しいことでもある。古い知人とはどんどん価値観がズレていってしまうという側面もあるのだけれども。

でもまだまだ世の中の第一線で戦ってる人たちのことなんて、まだまだ計り知れない。そういう人たちはどんな世界を見ているのか。どうにかして見てみたい。その視点を共有したい。その時、システマがどんなふうに見えるのだろうか。どんな使い方ができるのだろうか。

僕はまだまだ世界のことも、システマのこともなんにも知ってはいないのだ。

世界の最先端ではどんな戦いが繰り広げられているのか。

目下進行中の「世界頂上戦争」ではどれだけ激しいものなのか。

僕はまだその土俵にすら立っていない。その土俵が見えるところにすらいない。最も苛烈な戦いを知らないまま、「武術の先生」を名乗れるのか。「ロシアンマーシャルアーツのインストラクターだ」なんて、偉そうなことを言えるのか。果たして生きている間にそのバチバチの激戦の片隅にでも加わることができるのか。

そういう歯がゆさが、日に日に強くなっていくよ。

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