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シンデレラになれなかった私たち

先週の日曜日は友人の結婚式に招かれた。雨は少し降ったが、次第に晴れた日だった。

友人は白無垢とシンプルなウェディングドレスの両方を着こなし、とても艶やかできれいだった。幸せそのものが服を着て歩いているようだった。

キラキラしたピアス、咲き誇る花、何度も沸き起こる拍手、窓から漏れ出る光、色鮮やかな料理、スマホのシャッター音、お行儀のいいグラスに注がれるシャンパン。

なにもかも完璧で、幸せを撒き散らしていた。

それをなんとなく享受するわたし。

あぁいいね、素敵だね、よかったね。

祝福の気持ちと裏腹な思いを抑えることはできなかった。

あぁ私は。こんな日を迎えれるのだろうか?

幸せに包まれながら、静かに絶望する。

なんてったって結婚式に招かれるのは8回目である。8回もお祝儀を包み、慣れないヒールを履き、新しい家族の誕生を祝福してきた。

そして8回、絶望してきた。

結婚式ほど複雑な思いをするイベントはない。

祝福する気持ちは多いにあるし、招かれて嬉しい。限られたテーブルにわたしの席を設けてくれるなんてありがたい。席に置いてある名前のカードに友人はみんなわたし宛のメッセージを書いてくれた。それは全部大切に持って帰り、保管している。みんなとても素晴らしい式だった。

でも彼氏もなく、結婚の予定がまるでないわたしには、光りすぎていて、苦しいのだ。

最近結婚した友人はみんな口を揃えて言う。「かけこみセーフできたわ」

30歳を目前になんとか20代で結婚することが出来たよ、と口々に言うのである。それを言うならば、わたしはもうアウトが決まっている。29歳の現在、結婚の予定がないから。そのレースはいつからか始まっていた。いや、気づいていた。私だって気づいていた。25歳ころから全力疾走しなければならなかったようだ。でもいつからか走れなくなり、ぼんやり歩いていた。次々にゴールする友人たちを見送りながら。そして勝手に絶望しているのである。

リレーを比喩したものの、結婚がゴールではないことはわかっている。

結婚はいつするかでなく、誰とするかだ。

わかっているからこそ、自責の念が込み上げてしまう。なんでわたしは。アウトなんだろうと。自分が誰にも選ばれない現実が突き刺さる。

婚活もしていた。だけど疲弊してしまい、芳しい結果も残せずやめてしまった。

結婚がすべてでないし、20代で結婚しなくてもいい。

分かっている、分かっているけど、焦燥感で身が焦げてしまいそうだ。

わたしはシンデレラになれなかった。王子さまとダンスを踊ることもなく、ガラスの靴を落とすこともなく、12時を迎えそうだ。魔法が溶けていく。君はお呼びでないんだよ、とネズミたちが囁いている気がする。



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