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武器よさらば: 会話から武器を取り外そう

折しも、幸福に関する駄弁りの二回目で「あなたは銃を片手にコミュニケーションをとっている」という話を書いたすぐ後だったのですが、ある女性から、「男って、女に対していつも武器を片手に話すよね」という記事を共有され、「おおそうか」と思ったのでした。これがまさか、男女論になるとは……。

上記の記事では、「女性は男性を見るだけで恐怖を覚える」というものでした。体格差から物理的な力の差が示唆されるところから、丸腰同士でも男性は武器を持っているに等しい、となっており、男性に原罪を植え付ける内容となっております。体は大きいけど気は優しい、みたいな人の存在を全否定した清々しい内容となっています。

あー、そんなこと言うなら、女装して暮らそうかな、などと僕は思ったのでしたが、まあ、とりあえず今はやめておこうと思った次第。

ところで、コミュニケーションのなかには、非暴力コミュニケーションという概念があります。Nonviolent Communication で、略称はNVC。

このNVCの本はマイクロソフトCEOのサティア・ナデラが絶賛していて、個人的に、とても注目度の高い本でした。ビジネス界でトップに君臨する人物——しかも、他国から移民してきてアメリカで上り詰めた男——が、どのようなコミュニケーションを評価しているのか興味があったからです。

結論から言うと、この本は掛け値なしの良書です。ありとあらゆるコミュニケーションのエッセンスが含まれており、示唆に富んでいます。本稿では、その一部分「人に要望を伝える」ところに絞って、我がことを振り返ってみたいと思います。

NVCにおける要望の伝え方と悪い例

NVCでは人に要望を伝えるとき、基本的な型があります。それは物事をプレーンに観て、自分の感情をプレーンに表現して、自分のニーズをプレーンに表現して、そして卒直に具体的な要望に落とし込むというステップを踏みます。

■ NVCのプロセス
第一の要素 状況を観察すること
第二の要素 相手を観察したとき、自分がどう感じるかを述べる
第三の要素 自分が何を必要としているから、その感情が生まれたのかを明確にする
第四の要素 非常に具体的な要求
(『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』)

これら四つの要素を掘り下げていくのが今回の雑談の目的です。……と、その前に、これらをやらなかった場合のバッドコミュニケーションの例を挙げておきましょう。

・道徳を振りかざす
・他者と比較をする
・責任を回避する

道徳を振りかざすというのは、日本語では「常識」を振りかざすことにも近いでしょうか。〇〇じゃないなんてお前はおかしい、不道徳だ、あるいは病気だと言って相手を貶めます。すくなくとも、それで言うことを聞かせようとします。

他者との比較については、これまで別の稿でも述べてきましたが、最悪の手法です。誰も幸せになりません。簡単に不幸な気持ちが味わえます。

責任を回避する具体的方法とは、本書にいくつか挙げられているのですが、一部を抜粋すると……

・曖昧で誰のものでもない力のせいにする。
・自分の状態や病歴のせいにする。
・他人の行動のせいにする。
・権威側の司令のせいにする。
  :    (『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』)

「失くしたんちゃうねん。どっか行ったねん」みたいな発言になると、まあ、話はどうにも収まりません。解決しないどころか、始まりもしません。でも、こういう話しかたをする人は多いですよね。

観察する(ただ観る)

幸せについて駄弁るの三回目でも述べましたが、心に沸いた言葉を事実だと思い込むことは不幸の始まりです。

「あんたっていっつも〇〇よね!!」という怒り方をすることがありますが、目の前の人が〇〇のように思う、ということと、目の前の人が〇〇であるということは異なります。前者は解釈であり、後者は事実です。そして、往々にして、人には事実などわかりません。

わたしがしたこと、していないことについて、あなたの指摘を受け止めることはできる。そして、あなたの解釈を受け止めることもできる。
しかし、どうかそのふたつを混ぜないでほしい。
  —— マーシャル・ローゼンバーグ

本書中に書かれてはいませんが、ここでだいじになるのはやはりメタ認知なのでしょう。上座部仏教でいうところのサティ(気づき)であり、ものごとをマインドフルに観ることなのでしょう。

「〇〇のように見える」ということを「こいつは〇〇だ!」と結びつけるのはまず避けましょう。他者に対してもそうですが、自分に対してもそうです。

いまちょうど、これを書いているカフェで、となりの女性集団が「へーそれってバカじゃん!」と言っていましたが、バカのように見えることと、バカであることは違うこと、まずここからスタートです。

感情を素直に述べる

次に、NVCでは、観察結果をもとに湧いた感情を素直に述べることとあります。ここで面白いのが、「〜と感じる」という文で表現されるものは感情ではないということです。えっなにそれ。

感情とは、うれしい、かなしい、いらつく、……みたいなものです。たしかに、意外にも、ストレートに感情を表現する言葉には「〜と感じる」が不要になるのです。

一方、「俺は惨めな豚のように感じる」というのは、感情ではありません。評価・解釈を伴っています。「惨めに感じる」でもまだ削ぎ落としが足りません。これを掘り下げていって、自分の感情が「人に相手にされなくて悲しい」とわかるくらいまでになれば上出来なようです。

そうです。ここからわかるように、たとえば「無視された!」のようなものは感情ではないということです。無視されたくない相手から無視されれば悲しいものですが、腹を空かせたライオンから無視されれば、安心してほっと胸をなで下ろすところです。なので、「無視された!」が本当はどういう感情なのかは、実はひとつには決まらないのだそうです。

本当のニーズを述べる

自分の感情が、うれしい、かなしい、いらつく、と分類できたら、今度はそれがどんなニーズを伴っているのかを表現します。本書例文をアレンジすると、以下のようなものが間違い例と修正例として挙げられています。

誤: 来てくれなくてがっかりだ
正: 一緒に遊びたかったのに、来てくれなかったので、遊べなくてがっかりだ

正の例のほうでは、誤の例で隠れていたニーズがはっきり表現されていますね。けれども、多くの人は(僕も含めて)、誤の例のほうで話すことのほうが多いのではないかと思います。それどこか、もっと酷い話し方をすることもあります。たとえば、「まじムカつく!」とか。

残念ながら、多くの人は、自分が本当に必要としていることを自覚するような考え方を身につけていない。必要としていることが満たされていないとき、相手の何がいけないのかを考えることに慣れてしまっている。
こうして、仮にコートをハンガーに掛けてほしい場合でも、わが子に向かって「ソファーにコートを置きっぱなしにするのはだらしない」などと言ったりする。(『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』)

あるあるですね。ストレートな表現を避けた上で、なんか嫌みったらしいことを言うのって。それはほとんど無意識で行われているので、意識的に変えていかなければなりません。

強要ではない要求をする

そして最後、ここが重要です。「ナイフ片手に会話をしやがって」などと言われないためには、穏当に要求をする必要があります。要求は決して強要になってはいけない。

とはいえ、本書の言葉を借りれば、人は、自分の望むものを得られていないときに鬱になる。鬱とは「いい人」でいることの報酬だといいます。よって、穏当に要求しながらも、要求は通さなければいけません。伝わらないような婉曲的すぎる要求をしても、叶えられることは決してありません。婉曲表現ばかり使っていると、要望は叶わないので、鬱になります。

だから、要求の仕方には、意識的にならなければならないのです。

「夕飯に使うからバターを買ってきてと頼んだのに忘れるなんて、困ってしまうわ」
妻はもう一度買い物に行ってくれと明確に要求しているつもりかもしれないが、夫は妻が自分に罪悪感を植え付けようとしているだけだと解釈するかもしれない。
(『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』)

要求は一度伝えたら相手に必ず正しく伝わるとは限りません。だから、正しく伝わるまで、意識的に「伝わる」要求を繰り返すことになります。つまり、「伝える」ことは「伝え続ける」ことと同じです。

NVC的に要望を伝えるなら、「バターを買い忘れる(1.事実の観察)なんて、困ってしまうわ(2.感情を伝える)。どうしても夕飯に必要なの(3.ニーズの表現)。もう一度、買いに行ってくれるかしら(4.要望の表現)、もし時間があるならでいいのだけど

最後の部分がここでの鍵です。要望は基本的に、相手が望むときだけ応じてほしいと強調する必要があります。単に「Aをやってほしい」と伝えるだけでは、実行しない場合、なにか恐ろしい罰が待っているのではないかと勘違いをさせることがあります。

決して、罰を与える結果にはならないということを、強調しなければなりません。でないと、冒頭述べたような「男は女に対して武器を持って話すよね」「男は加害者性を思い知れ」的な勘違いを生む元凶になります。

余談ながら、恐妻家の人の書いた別の本では、妻の「話し合いましょう」は死刑宣告であり、これから何を言われても謝り続ける必要があると書かれていました。「相手が武器を片手に会話をしていると思う」のも、「言うことを聞かなければ罰が与えられると思う」のも、実は、男女の別はないのです。

だからこそ、男女の別なく、武器を捨てて話すことに意識的になる必要があります。その際には、このNVCがひとつの手掛かりになるのではないかと思います。

この本はまだまだ続いていて、要望を発する側の方法論だけでなく、相手の言葉の受け取りかた、怒るべきときの正しい怒りかた、また仲裁のしかたなど、コミュニケーションのさまざまなシーンで役に立つ知恵に溢れています。NVCがいいなと思われたかたは、ぜひ本書を購入することをおすすめします。

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