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マネージャー、このか弱き存在

そういえば、ずいぶん前に、『もしドラ』って本が流行りましたよね。野球部のマネージャーがドラッカーを読んで野球部を立て直していく話でしたっけ。筋書きはめちゃ定番でしたが、それだけに当時はすごく受け入れられ、売れていた記憶があります。

組織の活動がうまくいくようにマネージする、というのは部活のマネージャーも、会社のマネージャーも変わらないと思います。しかしながら、不思議なことにマネージャー=エースだという誤解がまかり通っているような気がしてならないですね。

平社員(いわゆるインディビジュアル・コントリビューター)である間は自分の手柄を誇ってさえいればいいのかも知れませんが、マネージャー(ピープル・マネジャー)が、「わが営業部で一番稼いでいるのは俺!」などと言いだしてはおかしいのです。おかしいのですが、課長になっても「部長、俺すごいです!」、部長になっても「本部長、俺すごいです!」というヒラ根性でやっている人はそこそこいるようです。

いや、本当は、インディビジュアル・コントリビューターでさえも、自分のノウハウを同僚に使ってもらって、互いをエンパワーするという活動もしなきゃなんですけどね。

素晴らしい管理職を投入せよ

素晴らしい管理職というのは得がたいものです。管理職の下に付いた人が自分の上司が未熟であることを嘆くことはよくありますが、意外にも、同じように役員などの上層部が管理職層(つまり部下)の未熟さを嘆くこともよくあるようです。

こうして最近流行りのフラット組織が導入されるなどするわけです。フラット組織の導入には、ホラクラシーなど名前のついた手法が知られていますね。これは、管理職というものを置くことによる弊害を排除するためのシステムです。

一方、有名な話ですが、グーグルは管理職を撤廃する組織実験をずいぶん前に行っていました。そして結局、管理職をなくすよりも素晴らしい管理職をおくようにしようという結論に至ったようです。

今回はこちらの本を中心に考えていることを述べたいと思います。またしても、とても有名な本です。

現在のグーグルは管理職がありながらも透明性と自由とを謳歌している……らしいです。もし内部の人にコメントをもらったら「そうだよ」と返ってくるか、「そんなことはないよ」と返ってくるかはわかりませんが、ここではそういうことにしておきましょう。

もし、ほんとうにそうであれば、あらゆる組織にとって参考になるはずです。ヒエラルキー式の組織はもちろん、すでにホラクラシーになってしまって管理職がいなくなってしまった組織についても、「素晴らしい管理職の特性」を取り込むことでよりよくなるだろうと思われるからです。

「マネージャー=権力者」を否定せよ

ヒラからマネージャーに「勝ち上がる」と、「偉くなる」または「身分が高くなる」のだという考え方は、どうやら日本だけの悪癖ではないようです。どうやらどこの国でも、マネージャーになると権力を得るようになるようです。

しかしながら、マネージャーというのはロールのひとつにすぎません。マネージャーには戦略立案や情報の管理、組織の統制、さらにはメンバーの鼓舞などという役目が回ってきます。が、これは悪用が可能なだけで、悪用していいものではありません。

最後の「メンバーの鼓舞」は、これも仕事のうちなのに、一向にやらないマネージャーもまあまあいますよね。情報統制に執着したり、指揮命令権だけ使い倒す割には……という。

『ワーク・ルールズ!』的には、マネージャーは権力を手放せとあります。ロールとしてやるべきことを成す必要はあるものの、ものごとを決める段になったときに、マネージャーに一段高いレベルの権利を持たせるのはやめようということのようです。

理由は簡単。マネジャーの思う「最高」が正しいとは限らない、からだそうです。

そりゃそうなんですよね。マネージャーは年功の長さだか資格の数だかヒラのときの売上の大きさだか、何かの理由で選ばれてマネージャーになりはしたものの、だからといって彼の考えることがいつも最適なわけではないんですよね。どんなに過去にうまくいったって、所詮はサンプル数N=1の低信頼度の意見しか出せません。

サッカー実業団にたとえるなら、エースストライカーが監督やコーチどころかオーナーにまでなってしまうようなものです。若い頃めっちゃシュート上手かったからって、歳を取ったあとで理事会で幅を利かせるのは妙な話です。選手と理事会では明らかにジャンル違いでしょう。

グーグルは、マネジャーの意見を取り入れるくらいなら、データにもとづいて意思決定をする方がずっといいと言い切っています。さすが、データドリブン企業ですね。僕はアメリカ人のこういうところは好きです。日本人はN=1の「おじいちゃんの知恵袋」を大事にしすぎる。

また、マネージャーの仕事は、部下の生殺与奪権を握ることではなく、部下が仕事をしやすくなるように障害を取り除いてチームを鼓舞することだといっています。これだけだと「ほーん」と聞き流す人も多いかも知れませんが、めちゃくちゃ極端に言うと、選手がトレーニングや試合に集中できるよう、グラウンド整備なんかはマネージャーがやるのだくらいに思っておくといいと思います。

「なんで管理職の俺がそんなことをしないといけないんだ」と思った管理職の人がいたとしたら、ちょっと立ち止まって考えたほうがいいかもしれません。管理職は身分ではありません。現場の人々が稼げるように手助けをするロールです。

それでも納得がいかなければ、こう考えてみるといいかもしれません。グラウンド整備は貴人の仕事だ、と。

文化を憂う

メンバー全員で「わたしたちのチームの文化とは」と語り合ったことはありますか? ないとしたらまずいので、まずはそこから始めましょう。ということなのですが。

「わたしたちのチームの文化とは」という会話が常態的に発生するようになると、ある一定の時期から、「私たちの文化の良さは失われようとしているのではないか」という声が上がってくるようになります。

忙しさにかまけて、あるいは別の何かが発生して、従来美徳とされたものがなくなっていくのではないかという不安をもっていることが、メンバーの口から出てくるようになります。

でも、『ワーク・ルールズ!』では、この種の不安を口にするのを歓迎すべしとあります。それは、ひとりひとりがまだこのチームを諦めていないことの証左だからです。

もうどうにもならないといって匙を投げてしまうと、「会社に不満はありません」で終了するようになります。でもこれは、「会社への不満? ああ、ないよ。不満に思ってもしょうがないし。会社はお金をくれるところ、それ以上でも以下でもないし別にいいよ」の略のようなものです。

会社にいる理由が「文化」であるうちはずっとそこに残るでしょう。文化というのはコピーが容易ではないからです。これが崩れてしまって、例えば「給与」だけが会社にいる理由になってしまうと「より良い給与」で引き抜かれるまでの間、在籍しているにすぎません。

マネージャー、このか弱き存在

ふつう、人間は権威が大好きなんだそうです。自分が上に立つのも好きならば、自分の上の人に媚びるのも大好きなのだと。

僕はどっちも嫌いな風来坊なので、社会不適合者まっしぐらなのですが……。

けれども、ここでは、普通の人間は人間の中で序列を付けるのが好き、そういう前提でお話をしましょう。誰かの下にいる間はその範囲で自分の利益にしがみついて風見鶏をし、ひとたび権力を持てば、それを振るってみたくなる。政治家なんかでもいますよね。誰か別の人の権利を制限してみたがる人は……。緊急時は仕方がないのですが、緊急時でもないときに緊急感を演出する人もいるようです。

いざ、マネージャーになると、人がやっていることを目ざとく見張るのが趣味に加わる人もいます。これは単なる覗き趣味です。見張ったところでパフォーマンスなんか上がりやしません。むしろ長期間続けばメンタルがやられるだけで、いいことなんかありません。

みなさんの周りにはいませんでしたか? リモートワークが始まるからって、「抜き打ちで電話掛けるからな」とか言って脅すマネージャーは……。そうですか、都市伝説ですか。そういうことにしておきましょう……。

部下のパフォーマンスを高めるよう期待を掛けられたマネージャーは、マイクロマネジメントに走って、部下を絶えず監視していると気が楽になるようです。が、本書では、これは、「マネジャーの自信のなさを表しているにすぎない」と看破しています。

どのみち、ほとんどのマネージャーは立派な人間でも、選ばれし者でもなんでもないのです。ただの人間。か弱い人間です。でも、マネージャーには人間の器を超えた期待が掛かってしまう。そして結局、期待とともに手渡された権力だけを大事に大事に振りかざす。

そして、

社員は会社を辞めるのではなく、ダメなマネジャーと働くのを辞める。

こうなるのです。そういえば、新将命さんの本では、リーダーは「できる人」であることはもちろん「できた人」でなければならないとされていますが、「できた人」なんてそのへんに転がっているものでもないのです。仕事が「できる」だけの人は、プレイヤーとして据え置いてあげるのが親切と言えそうです。

教育する力を内部に蓄える

とはいえ、組織やチームにはマネージャーが必要です。マネージャーをつくらねばなりません。

もちろん、ヒエラルキー組織ではマネージャーという役職が必要です。一方、フラット組織でも、よいマネージャーの備える特質というものを組織全体で持たねばなりません。

マネージャーの成長のために必要なことは、部下からのフィードバックなのだそうです。そりゃそうですよね。マネージャーが部下をどのように扱っているのか、一番よく知っているのは当の部下たちです。マネージャーの上司では決してありえないのです。

そして、本書では、必要であればマネージャーに教育を施しなさいとあります。ちかごろ、「学び直し」(Reskilling)などという言葉が流行っていますが、これを部下にのみ押しつけているところも多そうです。要は「仕事が上手く行かないのは部下のせいなので、部下は足りないオツムをどうにかしろ」ということのようです。そうではなく、ここでの教育対象はマネージャーです。

これもまた、マネージャーを「特権階級」と誤認していたとしたら、思いつかないことかもしれません。なにしろ、一部の企業ではマネージャー/管理職は一種の「あがり」であって、そこからわざわざ何かを積み上げる必要などないからです。

でも、管理職は出世するほど、管理範囲が広がるほど、学ぶべきところが多くなるのが本来です。管理職教育をまじめにやることで、グーグルはまともな管理職づくりをしているようです。

ところで、外部講師に教わるという選択肢は控えるようにという注意書きがありました。たいてい、社内にも教えることができるレベルの人がいて、しかも、その会社に適した事例を教えてくれるからだそうです。社内のリアルデータを用いて話ができるんですから、学びの効果が段違いです。

まあ確かに。そこいらの自己啓発本で読める乾いた言葉を聞かされるよりは、先達から血と汗の臭いがする話を聞けた方がよほどいいです。そして、教えあうことで、教える側もまた学びになるわけですから、それを外注するのももったいない。

さて、本書は超大作で、述べたいところはここに収まらないくらいあるのですが、たったこれだけの部分をピックアップしても、得られる知見はたくさんあったように思います。

話はめちゃくちゃ脱線するのですが、僕が昔リクルーターとして学生さんと話していたとき、冒頭のような「部活がダメになっていたところを立て直しました」というストーリーを話して自己アピールをする学生さんがとても多かったことを思い出しました。毎年5〜6人はいましたかね。

これ、「壊れたものを直しました」という典型的なお話で、とても簡単に自己アピールできる筋書きなんです。マイナスだったのをゼロにする。なんといってもわかりやすい。わかりやすいのに、ゼロをイチにするようなリスクを負わなくていいのだから楽です。濫用されるわけです。

これをマネージャーになってもまだやっていたら大問題です。先に述べたように、マネージャーの仕事はグラウンドの整備、小石拾い——部下がトラブルなくスムーズに働ける舞台づくりです。

ところがどっこい、部下がトラブルを起こすまで対策を打たず(ひどいときは部下が相談しても無視を決め込む)、火種が大きくなって炎上したら、マネージャーである自分がしゃしゃり出てきて、代打のプレイヤーとして働くことで火消しをする。そして、「部長、俺すごいです!」「本部長、俺すごいです!」をやる……。そんなマネージャーもいます……いるのです……。

こういうとき、部下はとんでもなくしらけているんですよね。

「自分はプレイヤーとして働いた方が活躍できる」という自覚のあるマネージャーは世の中にそこそこいます。そこでマネージャーとしての能力を磨こうとするか、プレイヤーとしての過去にすがるかで大違いです。後者の人たちには、マネージャーにはならずに、プレイヤーとしてずっと活躍してもらいたいものです。

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