すごいふつうの会社員

子どもの夏休みも今週で終わりです。去年の夏休みは息子の読書感想文の手伝いをして本当にすり減ってしんどくてつらかったので、今年は何も手伝いたくない!と宣言していましたが、自由研究の手伝いをしなくてはいけなくなり、先週末はほとんどそこに時間を費やしました。

息子が自由研究を選択してしまったため、問いの立て方・疑問提起から仮説(予想)を踏まえて研究結果から仮説は正しかったか検証し考察する、みたいなところから一緒にやってたわけです。そこまでやる必要はないのかもしれないけど。夏休みの宿題には、自由研究を含んだ、工作や美術作品または標語などの自由課題から選択するタイプの宿題があるわけだけど、自由研究とは?(だけではなく自由課題への取り組み方指南)みたいな、そういった指導は一切ないまま夏休みに入るわけじゃないですか。家庭でフォローするにも限界はあるよねと毎年思うわけです。

そんな週末を過ごしているので、さっさと読み切りたい研鑽Rubyプログラミングは開いてさえもいませんし(かれこれ数ヶ月かかっています)、Cloudflare Workers に go → wasm 化してグリッチした画像を返す API 作ってたのも中途半端に投げ出したまま完遂するに至っておらずエディタを開いてさえもいません(可能かどうかの CPU time の検証さえできていない)。そのわりに新しい本だけどんどん買い足してるので一向に積読は減らない。

エンジニアやプログラマーが土日勉強すべきかの是非については特に何も意見はないのですが、そんなこんなで"勉強"(なのかかどうかはよく分かっていませんが職業として自己研鑽したいこと)をやりたくてもやれない勢ではあるわけです。

それを踏まえると、「自分が「できるシニアエンジニア」「超絶最高プログラマー」になりたいとして必要な可処分時間を捻り出すのは到底厳しく、会社員として社会貢献する、というもう少しぼんやりした生き方でもいいのでは?」という境地になってきている。

ただ変に抽象化されると、ちとつまらん。つまらんというか、それってごく当たり前のことなのでは?という向きもあるので、以前時間堂という劇団が標榜していたテーマにあやかって、「すごいふつうの会社員、ふつうのすごい会社員」でありたいな、と思うなどしています。

エンジニアやプログラマーという職能だけを想起する言葉から会社員に置き換えているのは、役者やめてカタギになって人生は暇つぶしだとかそういった考えは捨て置き、"とにかく日銭稼ぐために会社員をやっている" という感覚になることで仕事がすこぶるやりやすくなったのでそうしました。普段の仕事も別にエンジニアリングやプログラミングだけやってるわけではない。

じゃあ会社員じゃなく公的機関で働くようなことになったらどうなるんだということはあると思いますが、「すごいふつうの〇〇、ふつうのすごい〇〇」のフォーマットは変えずに任意の職業を入れていく所存です。

すごいふつうの人間、ふつうのすごい人間。

真っ当に生きてるけど少しだけ抜けのある語感が好きです。


以下記事投稿後にぶら下げた追記

「自分は他者と違う特別な存在でありたい」という幻想に囚われているから現在に至ると思ってて("すごい" というワーディングにも名残がある)

10年前まで役者やってたせいもあるが他者からの承認欲求が強く、エンジニアを名乗りだしてからもその傾向は強いまま、なぜか身の丈に合わない経験だけした結果、十分なスキルがあると勘違いをしていたと40になって振り返ってる状態。

拗ねて貝になって生きてるのもつまらんから、なにがしかテーマを持って生きていきたいですね、ナウ、って感じ。

https://fedibird.com/@tkdn/110972757772214150


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